ex03 「きっと果たされる約束をあなたと……な話(前編)」
誰もが寝静まったであろう夜遅く。私は一人、とあるお城の一部屋を訪ねた。
メリッサ様や私達の部屋とは違い、ここに扉の前で寝ずの警護をする兵士さんは居ない。この世界での彼女の扱いを象徴しているようで、私の胸がちくりと疼く。
もしも彼女がそれを望めば、私達と同じだけの満たされた生活を送ることだって出来たはずだ。だからこの部屋は、この世界に自分からは何も求める事のなかった彼女そのものといえるのだろう。
私はそんな彼女が少しだけ眩しく、そして妬ましい。
「ど、どうぞぉー?」
前もって決めていた合図で来訪を知らせた私を、妙に震えた自信無げな声が招く。こんな時くらい堂々としていれば良いのに、どうしてかこの娘はいつまでたっても挙動不審気味だ。
「失礼しますね」
一声かけて部屋に入ると、嗅ぎなれない匂いを感じた。
私達の使っている部屋よりもずっと小さなこの部屋。ベッドと小さな机、そして同じく小さな衣装箱くらいしか物が無いこの部屋を、今はお茶の香りが満たしていた。きっと私が到着する頃合を見計らって、この柔らかな香りの準備をしていたのだろう。
決して好ましいとは思っていないであろう私などにまで、こんな気遣いをしてくれた彼女は。そして今、部屋の真ん中でなんとも言い難い顔で笑っている。
曖昧なくせに不快感を感じない……いつかの誰かに重なる、少しだけ困ったような微笑みで私を迎えた。
「……お邪魔します。絹川さん」
「いらっしゃいですよ。百合沢さん」
そして二人だけの、秘密のお茶会が始まった。
「まず、確認させてもらいたいの。さっきの話で貴女が言ったこと……あれは本気なのかしら?」
「えと、私があの女神サマとの決戦について行かないって話ですよね? ……はい、本気です。私が同行しても、足手まといにしかならないと思いますからねぇ」
「そう……まぁ、それはかまわないわ。私も、みすみす貴女を危険な目に晒したいとは思わないもの」
私たちは今、同じベッドの同じ側に隣り合って腰掛けていた。
向かい合って座れるテーブルすらないこの部屋で、彼女が私に勧めた場所がここだったのだ。硬いベッドに腰掛けて、渡されるまま両手で抱えたティーカップが、少し冷たくなっていた指先を暖めた。
今からさかのぼること数時間前。私達は、異世界から来た四人だけでの話し合いを済ませていた。
自分達のおかれた立場、この世界で出来ること。そしてあの女神。それら全てを話し合った結果、私たちはあの女神を名乗る存在と決着をつけることを決め、そしてそのまま元の世界へ帰ることを決めたのだった。
正直に言えば後悔はある。というよりも、この世界を訪れてからの自分を省みると、後悔しかないというのが正しい。
もしも始めの段階で、私があの女神の真実に気づいてさえいれば。もっと早くから、この世界をきちんと見ていたならば。そしてなにより、あの人の言葉にきちんと耳を傾けてさえ居れば……。
そんな思いを私はここ数日で嫌と言うほど味わい、そしてそれは、昼間に交わしたあの人との会話でピークを迎えていた。もしもの仮定が現実であれば、あの時あの場所に座っていたのは私の方だったのかもしれないのだから。
今は私の隣に座っているこの少女の横顔が視界に入り、昼間の執務室で諦めたはずのそんな思いが、ほんの少しだけ鎌首をもたげようとしてくる。
だから私は、今このベッドの上で、二人分くらいの隙間を空けて隣同士に腰掛けている状況をあり難く思う。こうして、同じ何かを見つめているであろう彼女と向かい合わずに済むのだから。
「わかったわ。一緒にあの女神のところへ行かないというのは、私も納得した」
「う、うん。……どもです」
「…………それで? 貴女は、元の世界に帰るつもりはあるのかしら?」
「ふぇっ!?」
とうとう聞いてしまった……。私は多分、そんな顔をしていたはずだ。そして彼女も、聞かれてしまったという表情を浮かべていることだろう。
……もう、戻れない。
「誤魔化さないで。お願いだから」
「百合沢さん……」
「私はね、貴女が羨ましいの。……わかるでしょう? だから、今だけは誤魔化さないで聞かせて欲しい」
「ごめん、なさい……」
「謝って欲しくなんかないわ。謝ってもらったところでどうにもならないんだもの。……私は貴女じゃないし、貴女は私じゃない。たったそれだけのことなのよ。でも……でも、だからって――」
「わかりました、百合沢さん。ちゃんと……話します。最初から、全部」
そして絹川さんは、語りだす。彼女とあの人が、これまで何を行ってきたのかを。何を思い、何を願い、そして何を目指していたのかを、この少女はとつとつと語ってくれた。
それは私達が見てきたものとはまるで違う、もう一つの世界の形だった。そんな景色を、絹川さんとあの人はたった二人で戦い続けてきたのだ。
否応なしに理解させられることとなる。どれだけ私達が勇者だなんだと持て囃されていようと、本当の意味でこの世界を守っていたのはこの二人なのだと。
誰にもその真意を知られること無く、誰の目に留まる事無く。それでも、ありのままのこの世界の未来を守るために動き続けてきた二人。そんなの、誰がどう考えたって正義の――。
そして私は、既にふっ切ったはずで、それでもやっぱりもやもやと渦巻いていた心が、唐突にストンと落ち着いてしまったのを感じた。それは、失恋という単語を言葉だけでしか知らなかった私の、マイナスでしかなかったイメージとはかけ離れた、ずっと晴れやかな気分だった。
なんだ……。私が入る隙間なんて、始めから無かったんじゃない。
「私はね、百合沢さん……やっぱりあの人が心配なんだ。多分このまま行けば、あの人が願うような世界はきっと来る。でもそうなった後も、あの人の人生は続いていくんだよ。自分が蒔いてしまった種がまた何時芽吹くかわからない以上、それを監視し続ける生き方は変えられないと思う」
「……そうでしょうね。きっとあの人は、それが辛いなんて一言も口にしないまま、いつかその日々にすり潰されてしまうのだと思うわ」
「そんなの……私は嫌なんだよ。私はあの人にも幸せになって欲しい。どんな苦労が待っているんだとしても、それでも生きてて楽しいって思って欲しいんだ」
「だから、貴女はここに残ることを選んだのね。……あの人の傍に居て、幸せを感じてもらうために」
「そこまで大したことが出来るなんて思うほど、私は自惚れてなんかいないんだ。でも、少なくとも一緒にいれば。あの人のやっていることを、ちゃあんと知っている誰かが傍にいれば……。それだけで、ちょっと位は違うんじゃないかって思う」
「貴女自身は何も望まないの? その……き、なんでしょう?」
「うひょっ? ち、ちが――」
「絹川さん」
「……そだね。誤魔化しちゃダメだよね。……うん。多分、そうなんだと思う。私ってさ、これまでそういう甘酸っぱいのとは無縁で生きてきちゃったんだ。百合沢さんみたいに綺麗じゃないし、宇佐美さんみたく可愛くもない。だから、この感情がなんなのかはっきりとはわかんない。でも……」
「でも?」
「でも、多分……いや、きっと。私はあの人に惹かれてるんだと思う。あの人と同じものを……あんな生き方の出来る人が見ているものを、これからもずっと隣で見ていたいって思ったの。そんな風に誰かを思ったこと、初めてなんだ」
「…………」
「私はずっと、みんなが幸せに生きてる世界が好きだった。誰もがいろんなことを頑張って、それぞれの幸せを見つけて生きている世界を見ているのが、何より大好きだったの。だからずっと、私はそれだけで良いやって思ってた。
でも今は、そんな風にみんなが楽しく生きている世界を、あの人と一緒に見ていたいと思う」
しっかりと前を見つめながらそんなことを言う彼女は、私なんかよりよっぽど綺麗だと思った。ずっとずっと、美しいと思った。
そして私は、本日何度目かの敗北を喫することになる。
私は、あの人の目に留まりたいと思い、あの人をこそ見守りたいと思った。けれど彼女は、あの人が見つめるものを、ずっと一緒に見続けることを望んでいるのだ。
……どちらが隣に座るべきかなんて、言うまでもないじゃないか。
私は大きく吸い込んだ息を、少しずつゆっくりと吐いた。悔しいという気持ちも、悲しいと嘆く思いも、やっぱり若干ではあるが残っている。けれどそれでも今は、隣に座るこの娘に笑いかけてあげたいと思った。
「……うん。……わかった。良くわかったわ、絹川さん。貴女の人生だもの、貴女自身の思うようにやるべきだと思う。私は、あなたの決めたことを、全面的に応援する」
「百合沢さん……」
「私には出来なかったんだもの。あの人と生きる道を選ぶことも、この世界で生きることも。何よりも、この世界というものを、貴女ほどきちんと見据えることが出来なかった。だから貴女には上手くいってほしいと思うわ。この世界で、あの人の隣で」
「ありがと……。私、百合沢さんに申し訳――」
「良いのよ、それ以上言わないで? それにね、そもそも私には、どうしても元の世界を捨て去ることなんて出来なかったの。その時点で、貴女に敵うわけが無いんだわ」
そう。この世界に残るということは、それまで過ごしてきた全てを捨て去るということ。そこまでの覚悟を持てなかった私では、始めから逆立ちしたって絹川さんに敵わなかったのだ。
「あっ! ……いや、それは……」
だというのに、ここに来て絹川さんは、あわあわと手にしたティーカップを鳴らし始める。
私はなんだか、微妙にいやな予感がした。
「絹川さん……? 今さら私に隠し事なんてしないわよねぇ。もしもまだ何か言い忘れていることがあるなら、遠慮せずに言って御覧なさい。今なら、怒らずに聞いてあげるわよ?」
「えっとですね? そのぅ……、実は……」
後編に続きます。
すぐにお届けできる予定です。
新作開始しております。
雰囲気の違うお話ではありますが、
そちらにもお付き合いいただけると嬉しいです。
『中年独男のオレ達が、何の因果か美少女冒険者
~気が付いたら異世界に居た三人のオッサンたちの苦悩と欲望の日々~』
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