ex02 「酒と泪と男と女と部屋とワイシャツと私とポニーテールとシュシュと……な話 ~転がる(後編)~」
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続きは18:00前後に
更に勢いを削がれた王女・百合沢連合軍。ですが、百合沢さんはまだまだ納得していません。
「それでもっ! 彼女達が虐げられていることに変わりはないでしょう? 女性の人権を踏みにじるような行いが平然と行われている。そんなの、許せませんっ」
「では百合沢君は、彼女達から生活の糧を取り上げると主張するのかな?」
そして迎え撃つハインツさんも、一歩も譲らず言葉を返します。
「なっ!? そんなことは言ってませんっ」
「いや、そういうことになるのだよ。もしも、現在娼婦として働いている彼女達を、その職から開放したとしよう。おまけで背負っている借金も帳消しにしてあげても良い。
……そうすると、どうなると思うね?」
「それはもちろん、家族の元へ帰ったり、町で別のお仕事を始めたりするでしょう?」
「いいや違う。地方から売られた娘達は、そもそも養うことが不可能だから売られたのだよ。である以上、今さら戻ったところで家元で暮らすことなど不可能だ。またすぐに売られるか、最悪そのまま殺されるだろうな」
「そんなっ……」
「都心部の娘達にしても同じだ。娼婦から解放されたとしても、いずれ別の誰かに売られていく運命に変わりはない。良いかね……ヒトを売りに出すというのは、つまりそういう事なのだ。彼女達の人権とやらは、売られたというその時点でこの上なく蹂躙されているのだよ。
中には、自主的に娼婦となる道を選んだ娘も居るだろう。だがそんな彼女達も、生きる為の最後の手段として娼館の扉を叩いた。そんな者達に、君は今さら一からやり直せと言うのかな?」
「そうではありませんっ。でも……ですが……」
ハインツさんの語る圧倒的な現実の前に、百合沢さんはとうとう反論の切り口をなくしちゃいました。苦々しく頭を垂れる百合沢さんを見れば、彼女の意見を封じることには成功したっぽい。
……けど、これで終わっちゃったら今後にしこりが出ちゃいませんか? 百合沢さん、少し涙ぐんじゃってますよ?
暗くなってしまった雰囲気に、私は思わずおろおろしちゃいます。みんな仲良く、とまでは言いませんけど、百合沢さんとの間に波風立っちゃうのはヤなんですよねぇ。
この娘、なんだかんだで真っ直ぐな、一緒に居て気持ちの良いヒトなんですもん。
「…………君の気持ちは、わからなくもないのだよ。百合沢君」
そんな私の願いが通じたんでしょうか。これまで坦々と現実を話していたハインツさんが、ここに来て柔らかく諭すような口調に切り替えます。
「ここまでの話から、君達の暮らしていた場所が、如何に平等で保障に行き届いた世界であったかが良くわかる。そんな優しい世界で生きてきた君にとって、生きる為に身体を売るより術のない彼女達が、痛ましく思えてしまうことも良くわかるのだよ」
「ハインツさん……」
「こうは思えないだろうか? 憎むべきは、春を売る女が居ることではない。そうせねば生きていけない現状をこそ、真に考えなければならない問題なのだ、と。
だがそれは、一朝一夕で変えられるものではない。人々の暮らしをもっと安定させ、更に生きる為の教育も行き届かせねばならないだろう。政治、経済、教育、福祉……様々な分野での進歩が必要だ。
ゆっくりと、着実に、いつか訪れる誰もが自由に暮らせる日のために歩みを進める。それこそが、この世界に生きる人々が歩んでいかねばならぬ、険しくも堅実な道なのだよ」
「それは……わかります。でも、今居る方達を放っておくというのも、私には……」
「だからこそ、この国では娼婦の組合が存在しているのだよ。無理な仕事で身体を壊す事無く、任期を全うできるように。無法を働く者たちから、彼女達を守るだけの力を持った組織が、ね」
「あっ……。そういえば確かに……」
ハインツさん、ドヤ顔で申しております。ついさっき、健康診断の目的は伝染病の予防で、娼婦の方々の健康維持は副産物って言ってたような気もしますけど。
まぁ、百合沢さんは納得してるみたいだから良いのでしょう。
「そうですわね……私が言うまでもなく、ハインツさんは既に動いてらしたんですね。根本的な解決をするための未来への方策だけではなく、今を生きる彼女達を救う為の後押しまで……」
「日々を懸命に生きる彼女達の前で、私などが偉そうに口を出すことは出来ない。だがそれでも、この国に生きる民を守る責務を負った者として、できるだけの手は尽くさせてもらうつもりだよ。……まぁ、この非才の身でかなう仕事など、高が知れているがね」
「そんなこと無いです! 理想しか口に出来ない私なんかより、ハインツさんはずっとずっとご立派です」
「そんなことは無いさ。むしろ、君達のような若者が理想を口にしてくれるからこそ、先達たる我々にも鞭が入るというものだ。君のその気持ちは誇るべきだよ、百合沢君。
そうだな……。もしも一つ、偉そうな事を言わせて貰うなら、もう少し現状を鑑みる目を意識すべきだとは思う。時には立ち止まって、周りを良く見てみると良いのではないかね」
「はいっ。お言葉、心に刻みます。ありがとうございました!」
かかっていた霧が晴れたような、本当に朗らかな返事を百合沢さんは返しました。彼女の心に刺さっていた小さな棘は、今や綺麗さっぱりなくなってしまったのでしょう。
さっきまで食って掛かっていたハインツさんにも、今じゃ尊敬の眼差しを送っているくらいです。……あらら、ほんのり頬まで染めちゃってますよ。フォローしてもらったのが、よっぽど嬉しかったんでしょうねぇ。
王女サマのほうは面白く無さそうな顔をしていますが、それでもこの雰囲気には口を挟めないみたい。このお方って、どうにも思い込みだけで動いちゃうヒトだから、どうせそのうち、またなんか始めちゃうんでしょうけどねぇ。
何はともあれ一件落着。
絹川防衛ラインを突破した王女・百合沢連合軍でしたが、ハインツさんの口先三寸の前に脆くも崩壊。
このところ少しハインツさんへ懐いてきていた百合沢さんが、更に距離を縮めただけの結果となりました。
まぁ、その点に関しては私もちょろりと思うところがありますが、まだまだ問題視するほどではないでしょう。きっと。……たぶん。
なんにせよ、これで私のやらかしも帳消し間違いナシなのです。
善き哉善き哉。