男の目的
「よぉ」
後ろから声を掛けられ、シェリルは振り返る。そこには、話した事のない傭兵が立っていた。
彼は見回り中だったのか、武器をしっかり手にしている。
「何か」
シェリルが素っ気なく言うと、男はにやりと笑った。それを彼女は無関心そうな冷めた視線で返す。
「専属の強化職人って、珍しいもんでよ」
「そう。では」
程良く鍛えられた筋肉を見せつけながら近付く男に、嫌悪感を強くしたシェリルは話を中断させてテントへと戻ろうとする。
だが、背を向けて歩き出したシェリルの動きが止まる。
彼はシェリルの真後ろにいた。
傭兵として生活しているだけあって、あの筋肉はただの飾りではないようだ。たった数秒あるかないかという短い時間で距離を縮めていた男は、シェリルがふりほどけない程に強く掴んでいたのである。
「痛い。
放せ」
眉をつり上げて凄むと、男は嬉しそうににんまりと笑みを浮かべた。気味の悪い笑みである。
「なあ、色々教えてくれよ」
「必要ない」
彼の質問をばっさりと切り捨てて手をふりほどこうとするが、しっかりと握られており、企みは無効に終わる。
それにしても気持ちの悪い男である。シェリルはじり、と後ずさった。拘束されている手首が引っ張られるが、男から少し体は離れた。
「逃げるなよなぁ」
「話す事はない。
私は戻る」
シェリルが頑なにテントへ戻ろうとするのを面白がっているようだ。気持ちの悪い笑みを浮かべたまま、シェリルの手首を握る力を強めていく。彼女は手首の痛みを堪え、睨み続けた。
「教えてくれよ」
「……何を」
ぎりぎりと力を込められて小刻みに揺れる手首を見ながら、シェリルが小さく返事をした。
「おっ、やっといい返事くれたな」
手首に込められた力が抜ける。シェリルは短く息を吐いた。
「でもおせーよ」
はっと男を見上げた瞬間、シェリルは尻餅をついていた。突き飛ばされた衝撃で体を強ばらせる。両手をつく余裕すらなく、大地へとぶつかった臀部をひりひりとした痛みが襲った。
「な……っ」
「あんた、あの男二人と仲良くやってんだろ。
俺にも少し味わわせてくれよ」
シェリルに対し、この男が何を目的としていたのかが分かった。ただ強化職人が物珍しいからではなく、女を抱きたかっただけなのだ。そしてシェリルを選んだ理由は、リリアンヌとシェリルの内、シェリルの方が襲いやすそうだったからであろう。
男はシェリルのクロマを引っ張り、顔を寄せる。あまりにも近く、男の生臭い息が顔にかかり、シェリルは眉をしかめた。
だが、それが逆にシェリルを冷静にさせる手助けとなった。驚きや恐怖で強ばっていた体の力が抜ける。
「それは無理だ。
契約だから」
「あ?」
シェリルが再び淡々とした様子を見せ始めた事に違和感を覚えた男がクロマから手を離す。シェリルは男の動きを気にせず、自らに刻まれた印に意識を集中する。
ほう、とほんのり印が温かみを帯びた。
「マリウス、来て」
彼女の言葉が終わるのが早いか、アンドロマリウスが姿を現すのが早いか。次の瞬間、男はアンドロマリウスの手によって大地に伏していた。
「お前、運が良いな」
「……は……っ」
大地に口付けていた男は上半身を起こし、見下ろす悪魔を見つめる。アンドロマリウスはつまらなそうな表情で言葉を紡ぐ。
「こいつと契約しちまったからな。
仕事外で傭兵を殺すなって。
――こういう面倒な奴はさっさと殺しちまえば楽なのに」
「……お前はすぐ、口実見つけて人を殺したがるから」
シェリルが付け加えると、男はそのまま後ずさった。
「少し前に、追加で取り決めた。
あまりにも殺しすぎるから」
ひぃ、と小さく男が息をするのが聞こえる。シェリルの事は諦めてくれたようである。
「殺しは俺の趣味だ」
「もう良い。
私は戻りたい」
シェリルの一言で、アンドロマリウスは彼女を抱き上げる。そして男を足蹴にしてからテントへ歩き出した。
シェリルを狙っていた傭兵は、ただ腰を抜かしたかのように二人を見送るしかなかった。