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贖う者  作者: 魚野れん
エピローグ
346/347

甘い悪魔に零れる涙

 アンドロマリウスから声をかけられたのはシェリルが菜園の水やりをしている時だった。


「シェリル、気にならないのか?」

「何が?」

 アンドロマリウスは主語を言わなかったが、シェリルには何となく分かっていた。

 こちらで目を覚ましてから、元の世界に関する話を全くしていない。


 カプリスは今もエブロージャと呼んでもらえているのか、暮らしていた塔はどうなったのか、向こうに残してきてしまった小さなミャクス達はどこへ行ったのか……。

 あの世界に対する未練のように聞こえてしまいそうで、アンドロマリウスには言えなかった。


「もちろん向こうの事だ」

「気にならなくはないけど……こっちを選んだのは私よ」

 確かに遙か昔に買った書物や思い出の詰まった塔が恋しくなる時だってある。それでも、選んだ以上は後戻りするつもりはなかった。


 シェリルは懐かしの塔を思い描いた。

 騎士が暮らせるように作られた堅牢な塔。

 大人数が駐在できるだけの部屋数に大きな風呂や台所、武器庫や地下牢まで備わっている普通の人間が住むには不釣り合いなくらい大きな家。

 庭園は元々訓練場で平坦な大地だった。それを少しずつ耕して薬草類を植えていった。

 シェリルが眠りにつく前はそこそこの規模の庭園だったが、今はどうなっただろうか。


「気になるなら今度行こう。連れて行ってやる」

「え?」

 耳を疑った。もう二度と見られないと思っていた。


 シェリルはそれだけの覚悟を持って魔界へ行くと言ったのに、簡単に提案されてしまうと戸惑ってしまう。

 アンドロマリウスはシェリルの驚いた声を聞いて少しだけ頬を上気させた。シェリルの秘めたる思いを汲めた事に興奮したのだろうか。


「ミャクスと血の契約をして管理を任せている。アンドレの一族のような感覚だな。

 おまえの知っているミャクスはいないが、その子孫には会える」

「……」

 言葉を失っているシェリルをそのままに、アンドロマリウスは話を続ける。


 それは無理矢理契約をしてしまった後にアンドロマリウスの説明を受けていた時に似ていた。

「街には召還術士が悪魔を封じる為に眠りについたと宣伝してある。

 千年に一度、本当に困った時があれば民の声に応じるだろうと伝説も作っておいた。

 ぴったり千年である必要などないから、何かあった時には召還術士として街を守れば良い」


 この男は、どれ程までにシェリルの憂いをなくそうと奔走してくれていたのだろうか。じんわりとあたたかな気持ちが増えていく。

 悪魔のくせに。堕天して転身したくせに、優しすぎる。


「こちらに欲しい物があれば、向こうから取り寄せよう。

 だから、お前は何かを諦めなくて良い。

 俺が全て用意してやる」

 アンドロマリウスがそっと微笑みながらシェリルの目元へ手を伸ばす。

 そして人差し指であふれかかっていた滴を拭う。


「お前は、一番幸せな召還術士になるんだ」

「……その働きに対する報酬は?」


 涙腺のせいか、鼻がむずむずする。シェリルは挑みかけるかのように鼻を鳴らしながら聞いた。一度あふれ始めた涙は簡単には止まらない。

 彼が再びこぼれた涙を拭って笑った。

「お前が俺を見る時間が増えるだろう。それで十分だ」

「何それ」

 アンドロマリウスの言葉は意味が分からなかった。


「そろそろ俺に惚れてみろよ」

「惚れるも何も、私はあなたの妻だけど」

 一瞬、彼の表情に悲しみが走った。表情が豊かとは言い難い目の前の悪魔であるが、表情の変化が分かる程度には長い付き合いだ。

 正直な言葉とはいえ、彼を傷つけた事に後悔する。


「……だから、これからゆっくり惚れさせて」

 惚れているとは今更言いにくかった。これほどまでに大切に愛してくれている相手へ気持ちを返さずにいられるだろうか。


 恨むべき存在から失えない仲間、そして家族へ変わっていった。今では欠けてはならない比翼のような存在となった。

 愛の後に恋が来るのは変だが、シェリルとアンドロマリウスにはこれがしっくりくる流れなのだ。ここまで来て順番がどうのとは言うまい。


 シェリルは思いきってアンドロマリウスの額へ、頬へ、そして唇へと口付けを落とす。

 言葉にするのはもう少し待って欲しい。そういう思いを込めながら唇を啄む。


「家族は見返りを求めないものだ」

「……さっきの答え?」

 吐息と共にちぐはぐな言葉がアンドロマリウスの口から吐き出された。彼はシェリルの額に口付けを落として抱きしめる。


「そうだ」

「マリウス」

「何だ」

「――私達の蜜月は長くなりそうね」

「!」

 アンドロマリウスが何かを言おうとしたが、シェリルはそれを唇で封じ込める。精一杯の照れ隠しだった。

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