無愛想が消えた悪魔
目覚めの最初に聞く言葉ではないはずだ。少なくともそんな第一声は予測できなかった。シェリルは耳に入ってきたアンドロマリウスの言葉に、口元を痙攣させた。
「言いたい事は少なくない。
目が覚めた時にどこにいるのか分からないのは不安かと思ったが、そうではなかったようだな」
視線を逸らしながら言う彼は、自分の読みがはずれた事を恥ずかしく感じているようだ。
それを指摘しようにも、読みがはずれる以前の問題だと教えて上げたくとも、声が出ないのだから仕方がない。
じっとアンドロマリウスを見つめていれば、彼は何かを察したように身を起こして立ち上がった。
「喉が乾いているのだろう?」
アンドロマリウスは小さく頬を緩めて水差しをシェリルに見せた。ちゃぷちゃぷとガラスでできた水差しの中で音が鳴る。思わず喉が動いた気がした。
って違う。いや、喉は乾いているけど、違う。
シェリルは気持ちが通じないのをもどかしく感じながらも身を起こされて水差しを口に当てられ、傾けられるがままに喉を潤した。
嚥下はできた。そう思ってから、もし喉が上手く動かなかったらという考えが浮かび上がってぞっとする。
本当に良かった。ちゃんと動いて。
「しばらくは調子が出ないだろうが、すぐに良くなるはずだ。
……何だ、水が足りないのか?」
必死で口を動かした。ぎしぎしと顎の関節が鳴っている。
「――シェリル、まさか。話せないのか」
やっと気が付いてくれた。シェリルはゆっくりと瞬きをした。まだ、首を自由に動かす事ができない。
少しでもなめらかに動けば話しやすいのに。
「その通りなら、瞬きを二回。違うなら何もしなくて良い」
シェリルは必死の思いで二回瞬いた。
「念の為に聞くが、本当に目は覚めたんだな?」
瞬きを二回。アンドロマリウスは見るからにほっとした表情を見せた。
「話せないだけか?」
アンドロマリウスをじっと見つめた。話せないだけならまだ良い。自由なのは目だけなのだ。ほとんど寝たきりの老人と同じである。
「……全身?」
瞬きをした。アンドロマリウスの表情は変わらない。
彼は柔らかな雰囲気を纏ったまま、駄々をこねる子供に言い聞かせるかのようにゆっくりと話し始めた。
「寝過ぎだな。お前、寝坊だぞ。
眠りについてからとうに五百年以上経っている」
シェリルは驚きのあまり全身に力を入れた。起きあがってしまうほどに力が籠もってしまった気がしたが、実際はぴくりとも動かなかった。
「魂が馴染むまでに五百年かかった。
それから目が覚めるまでに七十二年」
恐ろしい言葉を聞いてしまった。そんなに眠っていた実感はない。
「お前が寝ている間に一つの世界を悪魔が支配できる事になったし、千年分の溜まりに溜まっていた仕事も全て済ませてしまった」
アンドロマリウスはシェリルの頬を味わうように撫でた。
「水でむせなかったのは、その間俺が唇を湿らせてやっていたからだ。
まあ、すぐに動けるようになるだろう。
俺も手伝ってやろう」
てっきり肉体が変化した魂に対して反発しているのかと思っていたシェリルは、その言葉を聞いて心底ほっとした。
確かに最初は上手く繋がっていなかったのかもしれないが、今動けないのは全く別の原因だったなんて。
「ほとんど会話にならない状態ではあるが、お前を待っている間に俺も色々と考えた。
完全復活したら、俺と結婚しろ。良いな?」
思わず2回以上瞬きをしてしまった。どうやら寝ている間に彼は別人のように変わってしまったらしい。
折角ならムードのある時が良かったなぁ、と目の前で不敵な笑顔を作る漆黒の悪魔を見つめたのだった。




