潤う悪魔と後始末をする悪魔
眠り続ける彼女から視線を動かし、ロネヴェが描いただろう天井の別世界を見つめた。
みずみずしく、生命の息吹を感じさせる森。白銀の鹿がたたずんでいる。その空には美しい鳥が舞い、木々の間には艶やかな蝶の姿が見える。
白銀の鹿はシェリルだ。
清廉な乙女。森林はこのエブロージャを示している。ロネヴェが描いた理想の召還術士という世界が描かれていた。
今まで、シェリルを守り続ける事がロネヴェを殺めた己の罪を購う術だと思っていた。
これからはシェリルを幸せにし、生き続ける事で罪を購っていこう。この天井に描かれている世界は終わりを告げ、新しい世界を描く時がやってきた。
どうすればシェリルが幸せになるのか、どんな世界を描くべきかは彼女の魂が安定するまでに考えれば良い。
アンドロマリウスは、珍しく自分の視界が揺らめいているのに気が付いた。
プロケルはゆったりとした速度で空を飛んでいた。急ぐ必要はないし、下から見上げた姿が忙しなく見えると困る。
今は優雅な天使として、事の顛末を植え込まなければならないのだから。
「天使様!」
白い翼に白い衣。天使然とした姿を見つけたらしい人間の声が上がる。
たおやかさを強調するように、ゆるりと旋回して声を上げた人間のもとへと降り立った。
「魔に身を落とした召還術士を懲らしめに現れてくださったのですか」
青年は期待の眼差しでプロケルを見つめてくる。シェリルは完全に悪役として立てられていた。プロケルは驚いた表情を向ける。
「まさか。かの者は悪しき存在を封じる為に奮闘しておられましたよ」
「嘘だ」
「いいえ、本当です」
ちらほらと近くにいた人間が何事かと集まってきた。もう少し集まるかと思っていたが仕方がない。何度か繰り返せば行き渡るだろう。
美しい天使にも似た姿を最大限に活かし、人間に向けて一度だけ優雅な礼をしてみせる。
悪魔プロケルとしてこの地に降臨しているが、見た目だけは天使そのものである。それを少しばかり加工してより天使らしく見せる。
「私はこの地を守護している召還術士が危機に陥っていると知り、手助けをしようと思い参りました。
ですが、既にこの街にはびこる悪しき存在は封じられた後。私の出番はありませんでした」
言葉だけで説得されてくれるのは、単純な人間と元々シェリルを好ましく思っていた人間くらいである。
プロケルは素知らぬふりで、精神感応で洗脳する。本人が思っていなくとも、それを信じる自分の声が聞こえてくればそれが真実になる。
「召還術士は悪しき存在を封じる前に皆さんに勘違いされてしまったと大層嘆いておりました。
私は彼女の嘆きを受け入れ、こうして事の顛末をお伝えすべく空を駆けていたのです」
転生した天使の影響が濃い人間はあまりいないらしい。こうして話を続けていけば、意外と素直に受け入れられていった。目の前にいる集団の怒気がなくなったのを見計らい、次へと向かう。
集まった人数が多いほど人間の扱いは簡単である。可能な限り人数を固めてから演説をしていく。
あと数回で一通りの調整が終わろうという時、一人の女性と出会った。
「……天使様、私を裁いてください」
「なぜ、あなたはそのような事を私に頼むのですか?」
目の前にいる女性は男の格好をしていた。女の格好をしている男の死体を見ていたプロケルは、対になるその似た容姿に、これがシェリルとアンドロマリウスを裏切った女だとすぐに理解した。
「懺悔を……私は己の欲に負け、愛しい方を貶めようとしました」
プロケルを見つめる女の瞳は静まりかえっていた。穏やかに凪いでいるのではない。ただ何も感じられない空虚な瞳だった。
「そうすれば、私だけのものになると思っていたのです」
「……」
この女に赦しを与えるかどうかはシェリルにしか分からない。当人はしばらく目覚めはしないだろう。
プロケルは神の御遣いがごとく、ただその話を聞いていた。
女はプロケルの琥珀色を無感情に見つめ、淡々と話している。本当にこれが罪の告白だというのだろうか。
無を抱いているその姿にプロケルはぞっとした。