自信がない漆黒の悪魔
シェリルからのおねだりがなくなり、アンドロマリウスは身を起こした。
シェリルの胸元に手を当ててどれくらい彼女の魂に力が共有されたかを確認する。
欠けていた魂は、ヨハンの魂と無の力の結晶を取り込み、少しだけ大きくなっていた。それを取り巻くようにアンドロマリウスの力が渦巻いている。
シェリルの髪はアンドロマリウスの力を受けても色は変わらなかった。ほとんどの力が魂の方へ向かったのだろう。良い傾向である。
アンドロマリウスはシェリルの頭を撫でた。
彼女は意識を閉じたまま、ゆっくりとした呼吸を繰り返している。
魂の周辺は黒い雲で覆われている。シェリルの魂に取り込まれれば、それも透明に変わるはずだ。
アンドロマリウスはふと、シェリルの声が聞きたくなった。深い眠りにつかせたのは自分だった。その術を解いてしまいたくなる。
魂を補完し、己の眷属にする。話を聞いた事はあれどもそれを実行するのは初めてである。前例はあるのだから、上手く行くはずだ。そうは思っていても、失敗した前例がある事も知っている。
シェリルは力を扱うのに慣れているから、大丈夫だ。何よりも悪魔の核を二つも持って、耐えきったのだから大丈夫だ。そう自分に言い聞かせるように繰り返していた。
アンドロマリウスはこの二つ目の根拠が薄氷のように薄っぺらい事を理解している。
だから不安なのである。
耐えきったからこそ精神と肉体、そして力の全てを消耗している状態であるはずだ。耐えきれる力は確かにあったのだろう。だが、その能力を最大限に発揮できる状態ではない。
アンドロマリウスはシェリルの意識を浮上させ、本当に大丈夫なのかと問いただしたい気持ちでいっぱいだった。聞いた所で本人にも分からないだろう。ただ、猛烈に今、声が聞きたかった。
力なく腰掛けるシェリルの額に鼻をつけ、頬を寄せる。彼女は身じろぎする事なく、アンドロマリウスのされるがままになっていた。
優しく抱き締め、さらさらと流れる髪を梳く。
首もとに顔を埋めれば、ほんのりと汗と土の香りがした。
今日は散々だった。守り続けてきた街の人間に追われ、親しかったはずの少女には裏切られ、少年は彼女を守ろうとして死んだ。
精神的にも辛い状況で天使に結界を張られて消耗しつつある中、アンドロマリウスとロネヴェの核を無理矢理押さえ込んだのだ。
途中倒れていたのも知っている。彼女の身体からロネヴェの核が力を漏らし、赤い霧が生まれていたのも見ていた。
首筋に口付けると、かすかにロネヴェの残滓があった。懐かしい味に口元を震わせる。
我が子であり親友であるロネヴェ。シェリルが愛した悪魔。
「――俺は本当に彼女と生きる道を選んでも良いのだろうか。
本当は、死なずにシェリルと並んでいたかったのではないのか?」
聞きたくとも、聞く機会がなかった。そんな問いをアンドロマリウスは小さく呟いた。
ロネヴェの残滓はもちろん、核も答えてはくれなかった。
しばらくシェリルを抱き締めていたアンドロマリウスだが、シェリルの魂に力が馴染むには相当な時間がかかるはずだと思い出す。
汗をかいて土にまみれた姿では、目覚める頃には酷い有様になってしまう。
さっさとシェリルを抱き上げたアンドロマリウスはそのまま浴場へと移動し、身を清める準備を始めたのだった。
シェリルの身体を丁寧に磨き上げるようにして洗いながら、アンドロマリウスはシェリルとの会話を思い出していた。
「私を幸せにして――か」
アンドロマリウスは無意識のうちにシェリルの唇をなぞっていた。これからも手を引っ張っていってくれとも言われたな、と苦笑する。
自分の都合の良いように捉えても良いのだろうか。シェリルの瞳には、確かにアンドロマリウスへ向けた情愛が込められていた。
アンドロマリウスの都合が良い方向であれば、その言葉はシェリルの気持ちがアンドロマリウスへ傾きつつあるという意味だ。
あれほどまでにロネヴェに執着していた女の言葉である。もう良いのだと言っていたが、ただの相棒としてこれからも一緒にいたいという意味だったかもしれない。
要は、自信が無いのだ。
アンドロマリウスは愛しく思う女へ縋り付くように抱きついた。