召喚術士の告白
アンドロマリウスが、何故、と掠れた吐息を出した。シェリルはその吐息をそっと吸い込んだ。
「私がついて行くわ」
「は……」
何を馬鹿な、とでも思ったのだろう。
シェリルはアンドロマリウスの両頬を包み込んだ。シェリルは決めたのだ。
さんざん拘っていたこの街を、ここでの生活を、全て終わりにすると決心したのだ。
ロネヴェとの思い出はもちろん、アンドロマリウスやアンドレアルフスとの日々を積み重ねてきた地である。だが、何にしろもうここにはいられない。
それならば、もうシェリルが生きる場所はどこでも良いのだ。
やけっぱちではない。ただの事実である。
旅をして回るのも楽しそうだったが、アンドロマリウスの負担が増えるだけで何の利もない。
それならば、魔界のアンドロマリウスの屋敷へと移住してしまった方が良い。
「もうここにはいられない訳だし、もうこの世界に未練はないの」
未練はない、そう言い切った瞬間、シェリルの心に冷たいすきま風が入ってきた。
長年親しんできた繋がりを絶つ事に、寂しさや未練を全く感じないという訳にはいかないようだ。
それでも、その感覚を大切に抱いて次の土地へと行きたい。時が経てば、その冷たく凍った未練も温かくなって芽吹き、良い思い出となるだろう。
「何故、魔界なんだ」
無理矢理絞りあげたチーズのような、くぐもった声でアンドロマリウスが聞いてくる。
思いつきによる言葉ではないくらい分かっても良いと思うのだが、アンドロマリウスにはそこまでの余裕はないようだ。
シェリルは気遣うようにゆっくりと言った。
「あなた……仕事が溜まっているんでしょう?
責任は、果たさないと」
「……」
千年近くも留守にしていれば、かなり仕事は溜まっているだろう。急ぎのものはアンドロマリウスの代わりにプロケルやアンドレアルフスが行っていたようだが、そうでないものも多いはずだ。
プロケルが戻って来いと言っているのがその証拠だ。
急ぎではないもの、アンドロマリウスでなければできない事だってあるだろう。しかしそれは毎日少しずつ溜まっていく。
……それが千年分である。シェリルだったら、実行するまではいかなくとも、このまま逃げてしまいたいと思う。
考えるそぶりを見せるアンドロマリウスは、仕事とシェリルを天秤にかけている所だろう。
本人が魔界に行くと言っているのだから、考える所ではないと思うのだが、彼にしか分からない何かがあるのかもしれない。
ただ、そろそろ納得してほしい所だ。
シェリルは先ほどから胸のあたりをぎゅっと掴まれているような感覚を感じていた。
徐々に強くなってきているあたり、これはあまり良くない事だと気が付いていた。これ以上酷くなれば隠しきれないし、何よりその前に気を失うかもしれない。
「――私ね、あなたとなら……幸せになれると思う」
「は?」
やけに早く、はっきりとした疑問の声だった。そんなに想定外の言葉だっただろうか。
アンドロマリウスのシェリルへの評価の低さに、今までの自分の行動を恨んだ。
「だから、私をあなたの生きる世界に連れて行って。
ロネヴェが守っていた召還術士のシェリルはもういないわ。
あなたが核を一度手放した時、彼女も死んだのよ」
そういう事にしてほしい。強い意志を込めて彼を見つめれば、アンドロマリウスははっとした顔をした。
ぎゅっと胸を掴まれる感覚に、シェリルは眉をひそめ、浅い息を吐いてやり過ごす。
「――お前……」
シェリルの異変はアンドロマリウスも知る所となったが、シェリルは気を失う前に、この話を終わらせたかった。
終わらせてからでないと、手遅れになる気がしたのだ。
「お願い。ね、ロネヴェの最期の契約は私を幸せにする事でしょう……?
私の、手を……これからも、引っ張っていってほしいの」
いつの日だったか忘れたが、アンドロマリウスにロネヴェとの契約内容を聞いた時、ずいぶんとひどく曖昧な契約だと思ったものだ。
「シェリルを幸せにし、支えてほしい」だなんて、恋人を殺す役に頼むものではない。
でも、もしかしたら。
ロネヴェはシェリルに似合いの相手を密かに探してくれていたのかもしれない。そして、その相手がアンドロマリウスだと考えたのかもしれない。
全くもって余計なお世話だとシェリルは思うが、それを咎める気にはなれなかった。未だに納得していないが、それがロネヴェの愛の形だったと理解できたから。