善し悪しのバランス
「でもね、シェリル。君に箔が付いた事で良い事もあるんだ」
プロケルの明るい声が彼女の頭に落ちる。シェリルは怪訝そうにプロケルを見つめた。アンドロマリウスには思い当たる事が一つあったが、シェリルが喜ぶとは思えない。
「アンドロマリウスよりも格下の連中は、君に従うようになるはずだよ」
「え?」
掠れた声で、「へ」とも「え」ともとれるような変な声を上げた。
「君がどこにいても、何か危険があれば助けてくれるようになる。
今まではマリウスやアンドレが何とかしてくれていたのだろうけれど。
その助けがなければ、君は自分自身でなんとか頑張っていたはずだ」
彼女は眉を下げ、口を少し尖らせた。
「召還術士といえども所詮は人間。契約なしに動く意味はない。
だけれど、今の君は普通の人間の枠から外れたのだよ」
「そう言われても……」
シェリルの迷惑そうな表情から、彼女の望んだ状況ではないと誰もが分かるだろう。
それでも、魔界の者はシェリルの意志とは関係なく動く。
「その状態のままで生きていくのなら、君は天使に対する天敵だと言っても過言ではない。
人間を攻撃する事のできない天使と戦う時、一番使える兵器になるのだから」
対立する可能性がゼロにならない限り、シェリルにその気があるかどうかは関係ない。
「禁忌に触れない程度に天使もいろいろと仕掛けてくるようになるだろうし、それを防ぐべく悪魔の活動も活発になるだろう」
「……私の不都合に対して割に合わないわ」
シェリルが不満げに呟いた。
こうなってしまったのは、元はといえばシェリルに目を付けたロネヴェのせいだ。そんな悪魔を育てたのはアンドロマリウスである。
「すまない」
親として、そして現シェリルの守護者として、ただ詫びた。
「――良いのよ。こればかりはしょうがないわ。
元凶は死んじゃったもの。
それに……」
シェリルは諦めたような、ずいぶんとくたびれた笑顔を見せる。
「この街の事だけを考えていれば良かったのに、うっかりロネヴェなんかを愛してしまった……」
がつんと殴られた気がした。懐かしい思い出を振り返るような、全てを受け止めた老人のような、後悔を滲ませるような、複雑な声色だった。
シェリルは悪くない。ただ一言そう伝えた所で彼女に響かないのは分かっていた。
「お前が旅して回るというのなら、ついて行く」
気の利かない言葉だと分かっていたが、謝り続けるよりはましだと思った。アンドロマリウスの発言を聞いたシェリルの表情はすぐさま変わった。
先ほどまでアンドロマリウスの心を揺さぶりかけたものとは全く別の質である。
メドゥーサの親戚にでもなったのかという程に強い眼孔を向けられる。
「ちょっと、何を言ってるの?」
「マリウス……本気かい?」
プロケルからも咎めるような視線を送られる。
元からアンドロマリウスは本気だ。シェリルの望みを最大限叶えるのが、ロネヴェを殺したアンドロマリウスの購い方なのだ。
「異界渡りができるようになったのだから、いい加減君には戻ってきてもらいたいのだけれど……」
空席を埋め続けるのは面倒だと、戻れるようになったのに戻らないのは職務怠慢だと、そう言いたいのだろう。
「――私の事は気にしないで」
プロケルに返事をしようとしたアンドロマリウスだが、シェリルの声に止められる。
「私の術は解けたのよ。
これ以上束縛なんてしないわ」
馬鹿な事を言い出した子供を見下すような言い方だった。
ころころと態度を変えていくシェリルにアンドロマリウスはただ困惑するしかなかった。