天使と交渉
アンドロマリウスは少年を見つめたまま、シェリルの言葉を聞いていた。
「ロネヴェとの契約だけで、死ぬ事はないのよ。
って言っても、私が死んだらあなたも死んでしまうから心中するようなものだけど……」
死を考え始めていたアンドロマリウスを、シェリルの言葉が揺さぶる。
そんな悪魔の心中を読んだのか、少年が口を開いた。
「決まった??」
「お前がシェリルに今後一切干渉しないと契約するまで駄目だ。
そしてその契約は、シェリルと行ってもらう」
少年はアンドロマリウスの出した条件に不機嫌そうに顔を歪ませたが、ありえない条件だとは思わなかったのだろう。
考え込んでしまった。
「マリウス、何を考えているの」
シェリルの叱責するような、冷たい声色が頭に響く。その声は、暗に死ぬのは許さないと告げていた。
「憎い悪魔を消すまたとない機会だ」
「死にたがっているみたいだわ」
「そうではない」
アンドロマリウスはシェリルを力強く抱きしめた。魔界の事を考えず、ただシェリルを守る事だけを考えるならば、この身の核を渡しても良い。
力を失った時点で、あの少年に滅されるだろうが、シェリルは確実に生き残れる。
理想は魔界の事を考え、シェリルの意思を尊重したい。シェリルに死ぬなと言われてしまえば、後は生き残れる道――つまり完全なる勝利を考えなければならない。
だが、それを叶える為には厳しい状況だった。
まず、やらなければならない事は二つ。
結界と少年の無効化だ。二点を無効化するにはアンドロマリウスだけでは難しい。
可能ならば、力を消耗していない強力な仲間が欲しい所だった。
少年は天使の転生だが、所詮人間だ。少年だけなら何とかなるかもしれない。
問題は結界だった。
恐らく天使時代の能力的にもアンドロマリウスの方が上だっただろう。しかし悪魔の核を保有し、悪魔として存在している限りはこの結界を内側から破壊する事はほぼ不可能だ。
結界さえ破れれば、少年を無効化するのは容易い。外部からの援助がない今、アンドロマリウスが一人で結界を破るしかない。
「――俺とシェリルの間にある契約が切れたら、お前とシェリルの契約が適応される。
これならどうだ」
アンドロマリウスは少年に条件を与えた。そこから勝手に少年がその意味を作り上げる。
「つまり、僕がシェリルと接触しない契約を条件付きでしたら、君は核を手放すという事?」
「そうだ」
途端、シェリルの叫び声が頭の中に響いた。
うるさすぎて何を言っているかは聞き取れなかったが、恐らくその言葉を咎める内容だっただろう。問題ないと適当な返事をしながらアンドロマリウスは少年と交渉を進めていく。
腕の中にある温もりが睨みつけてくる。身を案じてくれる事は素直に嬉しく思えた。
「まずは、条件付けの契約を。
見届けたら、俺はロネヴェとアンドロマリウスの核を手放す」
シェリルを見守る事自体は禁止していない。あの少年は必ず乗ってくる。
アンドロマリウスは少年の表情の変化を見逃さないように見つめながら、彼が考え込んでいる間にシェリルの説得をし始めた。
「無為に死ぬつもりはない」
「やっと応えたわね。どういうつもり?」
不満そうな声がアンドロマリウスの頭の中にがんがんと響く。
ゆっくりと説明したいが、時間をかける訳にはいかない。
「お前に命を預ける。良いか?」
「……構わないけれど、何をすれば?」
シェリルの声は普通の大きさに戻り、瞬間的に己の感情を制御したらしい。器は消耗はしていても、彼女の精神は堅牢だ。信頼できる。
「文字通り、命を預ける。
お前は自分を見失うな。何があっても自分を保て」
「え、ちょっ――」
「アンドロマリウス、その条件を飲もう。
シェリルと契約して平和を取り戻す事にするよ」
時間切れだ。
少年の明るい声がシェリルの言葉をやんわりと押し止めた。