天使の正体
「ロネヴェを殺した……あなたが憎くないと言ったら、嘘になるわ」
息を乱しながらも力強く答えたシェリルはそっとアンドロマリウスの頬に手を伸ばした。添えられるようにあてられた、その掌から温かな力がそっと流れ込んでくる。
どちらの属性にも属さない、召還術士だけが扱える無の力。
口元に笑みすら浮かべていた彼女は、力を失って目眩に襲われたのか瞼を大きく震わせた。
「無理をするな」
今では息をするだけでも、毒を吸い込んでいるのと同じくらいに辛いはずだ。シェリルの真意を測りかねる。
彼女はアンドロマリウスの制止をよそに、少しずつ力を渡していく。
「あなた、翼が真っ白……髪も、変よ」
ふふ、と声を漏らして笑うシェリルの手を無理矢理どけた。
「俺は大丈夫だ。元々天使だからな」
「……やせ我慢ね。
そんな、あなたより……奴らが、憎い」
シェリルの瞳に剣呑さが現れた。
愛しい男を殺した自分よりも憎い存在がいるとは、アンドロマリウスは考えたこともなかった。
「あいつらは、私を――」
「僕たちが何だって?」
アンドロマリウスは咄嗟にシェリルを抱きしめた。声のした方向には、ついこの前会ったばかりの親切な少年が立っていた。
「お前……」
アンドロマリウスの声に二人が反応した。
「知って、るの?」
「覚えてくれていたんだ。意外だった?」
人間だ。アンドロマリウスは間違いなく、あの時にそう判断した。人間の体に天使が降臨していたら、一発で分かる。
見分けが付かないほどに同化するのは通常ではありえない。考えられる事といえば一つしかない。
「……お前、人間に転生したのか」
少年はにっこりとした。
「もう、何度も転生したから、誰が見たってばれない自信はあるよ」
「転生を続ければ天使には戻れなくなるが、覚悟の上か」
天使の転生は許されていない。人間になるという行為自体が禁忌に当たるからだ。天使は人間を導く者であって人間に成り代わるものではない。
天使という姿を失ってまでして、やり遂げたい事がこれだというのか。
「アンドロマリウス。
シェリルを解放し、君が保有している二つの核を魔界から奪う事ができるならば、僕は何だってする」
元天使から感じられるのは狂気でもなく、使命感でもない。ただシェリルに対する執着だった。
「ずっと僕は彼女を見てきた。
彼女を導いて、見守って、時には一緒にこの街の人々を守ったんだ。
なのに、突然別れを告げられて……」
溢れ出そうな感情に蓋をするかのように、少年は目を閉じた。積極的に人間に寄り添う悪魔が人間と似ているのは分かるが、この元天使もなかなか人間に近付いているようだ。
何度転生したのかは分からないが、彼の人間くさい所作はかなりの回数をこなしたのだと知れる。
「……名前は思い出せないけど、誰だか、分かったわ」
シェリルがアンドロマリウスの胸元で小さく囁いた。
「ロネヴェと、出会う前……召還したの」
昔、シェリルが天使を苦手にするきっかけについて話してくれた事があった。その天使が、あれだという事か。
あの話を聞いた限りでは、まっとうな会話が成立する相手だとは思えなかった。彼が暴走する前に片を付けなければ。
アンドロマリウスは少年を真っ直ぐに見据えたまま、淡々と問いかけた。
「俺がシェリルから離れれば、彼女には何もしないのか」
「どういう意味?」
「今後、お前がシェリルにつきまとうつもりがあるのかを聞いている」
少年は笑顔を見せ、逆にアンドロマリウスは不機嫌そうに眉を顰めた。
「シェリルが一人で召喚術士をしている間は、手助けくらいするかも。
僕、困っている人を見捨てておけないからさ……」
見守っていくスタンスを変えるつもりはないらしい。
「私、あなたを失ってまで助かりたいとは思ってないわ」
シェリルが直接語りかけてきた。アンドロマリウスが考えていた事を否定する言葉だった。