天使の悪巧み
シェリルの異変にアンドロマリウスが気付いた。彼女はアンドロマリウスの方へ顔を上げて口を動かしている。
アンドロマリウスへの影響とシェリルへの影響の具合が違う事に、彼は違和感を覚えた。昔に馴染んでいた力だからだろうか。
もしかしたら無意識の内に悪魔の気配を抑え込んで影響を最小限にしようとしているのかもしれない。
何にしろ今動けるのは幸いな事だ。少しでも何か違っていたらシェリル同様に動けなくなっていただろう。
「シェリル、動けないだけか?」
アンドロマリウスは表情が険しくならないように極力気を付けながら話しかけた。
「いき、ぐるし……っ」
周囲に人間の気配がない事を確認し、アンドロマリウスはシェリルを抱えながらゆっくりとしゃがみ込んだ。
左腕でシェリルの背中を支えてやれば、彼女はゆっくりと深呼吸した。
彼女の手を握り、そっと魔の力を奪って天界の力を渡す。
ロネヴェとの契約が強い彼女にどれだけ効果があるかは分からないが、シェリルの中にある力の割合が変われば、少しはましになるだろう。
「シェリル様、こんな所にいたんですか」
覇気のない声がした。その方向に視線を向ければ、血の気が失せている割に赤く染まった青年が立っている。
「ヨハン」
アンドロマリウスがシェリルの代わりに名を呼ぶと、少しだけ口角を上げた。誰が見ても重傷だと分かるくらいにあちこちに切り傷がある。
顔や腕には殴られたと思われる痣もあり、痛々しい。
「ユリアにやられたのか」
「違う」
ヨハンはきっぱりと言い放ち、ゆっくりと近付いてきた。
「ユリアが……人を呼ん、でいたんだ。
そんな事より」
二人の側に膝をついたヨハンは、爛々と光る瞳でアンドロマリウスを見た。死を覚悟した人間の最期の輝きをその瞳に見た彼は、言葉を促した。
「街全体を、天界と同じにする、と……
もう、あなた方が、いきられる場所じゃ……っ」
天界の力で満たすのではなく、天界に変える。それは、意外な答えだった。不可能ではないが、そう簡単な事でもない。
天使達は、一石二鳥ならぬ、何鳥も狙っていたのだ。それは大きく三つに分けられる。
一つ目に、シェリルの解放。シェリルが死んでも、悪魔からただ解放されても同じ意味になる。
残念な事に、残りの二つを成就させればこの目的も自動的に成就する。
二つ目にアンドレアルフスの居場所の永遠消滅。アンドレアルフスの起点はこの街であり、アンドレの一族と呼ばれる人間達に支えられている。
まずは天界と同等の環境にする事で本人を撤退させ、戻れなくさせる。
そして、アンドレの一族を仲違いさせて真のアンドレ派を消し去る。別の土地でやり直す機会を最大限に封じさせる為である。
ヨハンが死ねば、アンドレアルフスに関する二点はおそらく成就する事になる。
三つ目はアンドロマリウスの排除だ。アンドロマリウスは堕天した存在である為、本当に我が身がかわいければ悪魔の核を捨てれば一応は生き延びられる。
アンドロマリウスが核を捨てれば、悪魔としても天使としても力を失い、他愛もない存在になるだろう。
彼が捨てなければならない核は少なくとも二つ。
アンドロマリウスとロネヴェの核である。
捨てられた核を天使が回収すれば、悪魔の誰かがそれを奪還しない限り、アンドロマリウスとロネヴェという名持ちは現れない。
同じ名前を持つ違う核はあるが、それとこれは話が別だ。
単純に魔界は強大な力を持つ悪魔二人分を失う事になるのだ。
今持っているアンドロマリウスの核は、アンドロマリウスの核の中でも一番まじめで常識的な感覚を持つ核だ。そんなまともな核を奪われてしまうのは大きな損失になるだろう。
アンドロマリウスとしても手放すつもりはないが、天使達はそこを狙っている。
邪魔な悪魔が減り、しかも敵の核を二つ手に入れる事ができたとしたら。
この状況を見過ごさずに念入りに動いていた理由も分かる。