停滞と善意の塊
「今までにもあった事だ。
今回はその計画の準備として、お前の評判を下げるのに奮闘している状況にあると俺は考える。
処方した薬で人間が死んだとなれば、干ばつ云々の噂よりも衝撃が強い。
人殺しだからな」
「遠回りで面倒な事を企んでるのね」
シェリルが吐き捨てるように言えば、アンドロマリウスは小さく笑った。
「正攻法に近いやり方で今まで失敗し続けているから当然だろう。
だが……下手に人と関われば足下を掬われる所まで近付いている今、俺達にできる事は多くはない」
彼の言葉にシェリルは頷いた。ほとんど王手がかかっている状況に違いない。まだ姿を確認できない相手、それもこの街の住人を見方につけている相手にできる事は消極的な対応だけだ。
「逃げるか、閉じ籠もって誰とも会わないか――か」
シェリルはそんな言葉と共に溜息を吐いたのだった。
時間が経てば経つほど、有利になるのは天使側である。それはシェリルもアンドロマリウスも十分理解していた。
だが、シェリルはこの街を捨てたくなかった。ここが、シェリルが育ち召還術士としてロネヴェと生活を共にした場所だからだ。
アンドロマリウスには理解できない、実に人間らしい理由だった。
シェリルがこの街から出て行くかを迷っている間、アンドロマリウスは姿を変えて街のあちこちを歩いて回った。噂を撒いている人間を探る為、酒場の周囲に潜む時もあった。
しかし、相手は身を隠す事にかなり気を使っているらしく、なかなか尻尾を見せてくれない。
「お兄ちゃん何してるの?」
背後から声をかけられた。砂色の直毛は眉毛の上で切られ、栗色の好奇心旺盛な丸い瞳を持つ少年がアンドロマリウスを見上げている。
じっと彼を見つめると、人間の魂が見えた。普通の人間よりも少しばかり綺麗な魂だ。
シェリルの魂も綺麗だが、徐々にその輝きは失っている。
人間は神の創造物の一つで、祝福されている程に魂の輝きが増す。シェリルは悪魔との交流が多く、神側からすれば堕ちつつある存在である為、徐々にその光を失っているのだ。
そんなシェリルよりも眩しい輝きを持つこの少年は、産まれた時のシェリルと同じくらい神に祝福されているのだろう。端的に言えば、天使が策略に使うには目立ちすぎる。
一度目にし、少年の存在を認識してしまえば、この街のどこにいても悪魔であるアンドロマリウスには分かってしまう。
何をしているのか、すぐにばれてしまう。
そんな人間を自分の手足に使うならば、簡単に手が出せない地位でなければ。例えば、以前にもあった皇族のように。
「ずっとお兄ちゃんうろうろしてるよね。
さがしもの? ぼく、手伝おうか?」
アンドロマリウスのじろじろと値踏みするかのような視線をものともせず、少年は続けて口を開いた。どうやら善意の声かけだったようだ。
魂の輝きが強い人間は善意に満ちあふれている者が多い。召還術士になった最初の頃のシェリルがそうだったように、人に尽くすのが自分の産まれた意味だと思っているような人間もいる。
シェリルの場合は、悪魔との関わりが多くなり、必然的に善意による活動を受動的な活動一筋に切り替えただけだが。
この少年は、まだ世間を知らず、それ故に誰かへと善意を施したいという活力に溢れている。目立たないようにしていたはずのアンドロマリウスを見つけたのも、それを証明していた。
「……大丈夫だよ。ありがとう」
柔らかい笑みを作って少年の頭を撫でる。
こういう少年には、優しく対応するのが正しい。優しい世界を壊すのは、案外簡単で、後々面倒な事になる事が多いからだ。
肌が白く、細いその体は、貧弱に見える。庇護欲を誘う、純粋で明らかにか弱そうな人間は、アンドロマリウスが思い描いた通り、嬉しそうに顔を上気させた。
「ぼく、ヨシュアっていうの。
さがしもの、早く見つかるといいね」
アンドロマリウスが捜し物をしているのだと思い込んだまま、少年はぐっと拳を作ってみせた。