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贖う者  作者: 魚野れん
第十六章 アルクの森
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シェリルの殺意のない思いつき

 普通の人間であれば、憎く思っている間に死ねたかもしれない。

 しかし、シェリルは召還術士である。人間の何倍もの長い時を生きる存在だ。人間としての感覚はそのままに、青年期がずっと続くのだ。つまり、普通の人間には許せない事も年月を経て許せるようになってきてしまう。


 人間には、忘却という名の祝福もある。物忘れという意味ではない。短い生を前向きに突き進み、短期間で能力を昇華させ、進化していく為に必要なものでもある。

 物事への強い感情を穏やかな性質のものと変化させ、それを糧として生きていけるようにするのが忘却だ。


 完全に忘れる事はなくとも、当時の感情をうっすらとしか思い出せなくなる事もあるだろう。

 それが今言っている祝福である。

 人によっては、風化、とか受容等と表現する者もいたはずだ。言い方は色々あるだろうが、シェリルはそれを忘却という名の祝福と表現している。


 液体石鹸を泡立て、アンドロマリウスの頭皮を優しく撫でながらシェリルは己の感情の機微について考えていた。

 正直、優しくしてくれる人ならば何でも良いのか、と自問自答した時もある。


 事実、アンドロマリウスはシェリルの事をとても手厚く面倒見てくれているし、ここ数百年も家族そのもののような暮らしぶりである。何度も我が身を挺して守ろうとしてくれている。

 そんな彼に対して恨み以外の感情が全くないというのであれば、それは人間性を疑った方がいいだろう。とすら思っている。


 ロネヴェの件も、アンドロマリウスがむしゃくしゃしてやっただとか、理由もなく襲いかかってきた訳でもない。魔界の決まりである。

 人間の世界で言えば、ロネヴェは法を破り極刑になっただけなのだ。

 たまたま、その処刑人がアンドロマリウスだったというだけで、彼自身を恨んでいい訳ではない――はずだ。


 そう、他人事でなければ。


 当事者であるシェリルは冷静に考えられるようになるまで、何十年もかかってしまった。

 アンドロマリウスと共に生活するようになったからと言って、気を許したわけではなかったし、アンドレアルフスから話を聞くまではいまいち信用しきれなかった。


 最初の頃は嫌々目を閉じているような雰囲気だったアンドロマリウスだが、シェリルが泡を流す頃にはゆったりとした雰囲気で、表情も柔らかになっている。

 シェリルが突然彼の首を落とす事もできる距離でもある。


 シェリルが死んだら彼も死ぬが、彼が死んでもシェリルが死ぬ訳ではない。

 シェリルを殺せば自分の身が守られる所か自らの死を招く事になるから、防ぐ事くらいはできても反撃はできない。


 つまり、本当に邪魔で憎ければ、今首を落としてみせれば良い。

 首が落ちたくらいで悪魔が死ぬかは分からないが、この世界でロネヴェが心臓を潰されて死んだのだから死にそうではある。


「シェリル」

「何よ」

 シェリルが仕上げのビネガーを馴染ませていると、アンドロマリウスが話しかけてきた。

「今の俺なら、いつでも殺せるはずだが」

「……」

 シェリルの思考を読んでいたのかと聞きたくなる程だが、シェリルは口を噤んだ。


「命がけになりそうな勢いで私の事を守ろうとする、貴重な盾であり矛になる悪魔を手放す訳ないじゃない」


 少しだけ考え、尤もらしい事を口にしながら、ビネガーで濡れている手でアンドロマリウスの額をぺしりと叩く。

 彼はきゅっと眉を寄せてからくつくつと静かに笑い始めた。


「別に命がけではない」


 本格的に笑い出したアンドロマリウスに、困惑と苛つきが押し寄せる。おもしろい事を言った自覚のないシェリルは不機嫌そうに口元が下がっていった。


「お前が死んだら俺も死ぬ。

 だからと言って、お前を守る為に死ぬのは本末転倒だろう」

 俺はそんなに馬鹿じゃない、と続ける。それはそうだ。だが、突然過去の話を蒸し返すかのような話題を出てきたのはどういう事か。

 その疑問への答えは、次の発言に込められていた。

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