薄汚れた悪魔の介抱の仕方
プロケルが姿を消すと、アンドレアルフスも商館へ戻っていった。双子になった彼らが心配なのだろう。シェリルも落ち着いたら彼らの様子を見に行こうと決める。
まずはアンドロマリウスをどうにかするのが先である。
「マリウス、傷とか治さないの?」
「ああ、これか……」
アンドロマリウスは珍しく自身の傷を癒さずに放置していた。そもそも傷を付けられた事も数えるほどしかシェリルの記憶に残っていない。
相当やっかいだったのだろうとは想像できる。
「そんなに大変だった?」
「いや……まあそうだな」
アンドロマリウスは否定しようとして、やめた。
「勝手が違うから苦戦したのは確かだ。
天使を一体相手にしていた方が楽だったな。
だが、手一杯で大変だったのはお前も同じだろう?」
「大変だったのはアンドレよ。
私は魔力をあげるだけで殆ど何もしてないわ」
シェリルはそう言って肩をすくめてみせたものの、実際は魔力だけではない。それを渡す為に血液を消費した。こればかりは簡単に戻るものではないのだ。
今はどうしてか傷の治療をしようとしないアンドロマリウスをどうにかするべきだ。シェリルはじっと目の前の男を観察した。
全体的に砂埃がついていて汚れて見える。こう言うのもなんだが、薄汚い。傷にも砂がすり込まれているようにも見えた。
悪魔に衛生観念があるのかは考えた事もなかったが、見ていて痛々しい。
もしかしたら、汚れが気になって治癒させていないかもしれないし、逆にそれをする気力が湧かないくらいに疲労しているのかもしれない。
シェリルは指先をくるくると回すように動かして術式を描く。虚空に描いた小さな術式は簡単なものだった。
完成したその術式をつついて発動させ、その隣には先ほど作ったものよりも複雑な術式を描き始めた。
「マリウス」
「どうし――」
急に立ち上がったシェリルを見上げるようにして首を傾げるアンドロマリウスに、勢いよく両手をついた。勢いよく両肩を両腕で押された彼は、目を見開いた。
シェリルは全体重をかけてアンドロマリウスを押す。斜め上から強い力で押され、バランスを崩した。椅子からの落下を覚悟した漆黒の悪魔はその翼を大きく広げて衝撃に備える。
が、床に衝突する寸前で空気が歪む。
アンドロマリウスは何が起きたのかと考える間もなく、シェリルと共に温かな水の中へと落ちていった。
「ぷはっ」
「っごほっ、お前、っぐ……っ」
川へ飛び込みをした時のように顔を出して呼吸を整えるシェリルの下で、彼女に押さえつけられて溺れかけているアンドロマリウスの咳込む声が響く。
自分のせいだとすぐに気が付いたシェリルは離れた。重石がなくなり体制を整えたアンドロマリウスが不満げにシェリルを睨みつける。
「と、突然やったのは悪かったわ。
でもあなた、汚すぎる!」
早口で弁解する。そして慌ただしく近くにある石鹸を呼び寄せた。
何とか彼を労ってやろうと思いついたシェリルは、小さな術式で浴場の湯を満たし、複雑な術式で空間移動を行ったのである。浴場の狙った場所へ移動できるか自信がなかったものの、どこに落下しても下敷きになるのはアンドロマリウスだ。
それくらいであれば彼も怪我する事はない。
湯船の上だったのは誤算だが、湯の中へ落ちる衝撃とアンドロマリウスがその中でもがいた事によって、汚れがある程度落ちたのは嬉しい誤算でもある。
彼女が石鹸を手にして睨み返せば、アンドロマリウスは表情を緩めて溜め息を吐いた。諦めた様子にシェリルは華やかな笑みを作る。
「今日は私が綺麗にしてあげる。
傷もちゃんと洗わないと治してあげられないしね」
漆黒の悪魔はむすっとした表情を作って湯船の中に潜り、ささやかな抵抗をするのだった。