ヨハンの心配と三人の余裕
「え、もう出かけてしまったの?」
ユリアは驚きの声を上げた。ヨハンは彼女の反応に苦笑する。想像と寸分も違わぬそれに、繋がりの深さを感じたからである。
「僕らは今、とても不安定な状態なんだそうだ。
肉体と魂をしっかりと繋げる為にも、ゆっくり休みなさいと主が」
「そう……」
出かけるアンドレアルフスやシェリルを見送りたいというユリアの気持ちはヨハンも十分理解している。俯いて考え込むような雰囲気に変わった彼女の頭をゆっくりと撫でた。
「今はゆっくり休んで、主らが戻られる時には万全で迎えよう」
「そう、ね……」
額に口付け、己の胸元にユリアの頭を抱き寄せる。自分が自分を抱きしめているようで不思議な感覚だった。二つの肉体へ分かれたが、それでも生きている。
昔は一つの肉体に一つの精神、それがあたかも別の存在であるかのようにうまく制御してきた。
不安に感じれば、それを宥めるのも同じ精神であった。
今は別の個体として、もう片方の性を物理的にも抱きしめてやれる。その暖かな温もりにヨハンは小さく息を漏らす。
シェリル達が早く戻れば良い。だが、シェリルとアンドレアルフスの二人が抱える自分達への気持ちをユリアが感じ取ってしまった以上、彼女は今まで通りに接する事ができるのだろうか。
愛して欲しいと叫ぶ、捨てられた子供のようになってしまわないだろうか。
ユリアの抱える、路頭に迷った子供のような心をどうにかしてやる事はできるのだろうか。
ヨハンからすれば、二人の抱く感情はどうでも良い。強いて言えば、振り向いてくれれば嬉しいが、ただそれだけだ。
自分がアンドレアルフスの一族として生まれた以上、この思いが一方通行以外の何物でもないと割り切っていた。
アンドレアルフスが、自由に活動し続けられるように支えるのが自分の役割であると、それ以外の用途では使い道のない人間であるという事を、十分に理解していたからである。無駄な期待は絶望を呼ぶ。ヨハンはそれを知っていた。
だからこそ、胸に抱いているユリアの事が何よりも心配なのだった。
「無駄に大事になる所だったわね」
「……相当神経質で、真面目な人間なのだろう」
シェリルの溜息にアンドロマリウスが同意した。アンドレアルフスは少しばかり顔色が良くないものの、優雅に先頭を歩いていた。
空間移動の術式はシェリルが使っている。アンドレアルフスの不調はもちろん、ユリアとヨハンを分けたせいである。
「何にしろ、同伴なしで許可が下りたんだ。
愚痴るのはそれぐらいにしておこうぜ」
「それはそうね」
いつの間にか三人は城下町の路地裏まで移動していた。アンドレアルフスが立ち止まると、その一歩先にシェリルが進む。
手慣れた仕草で術式を操り三人は扉の向こうへと消えていった。
扉の向こう側は森の入り口であった。シェリルの一歩前で立ち止まったアンドロマリウスが新緑の波を見つめている。さわさわと軽やかな葉の擦れる音が響く。
何の変哲もない、爽やかな森である。鳥のさえずりも聞こえるし、小動物の気配も感じる。
アンドレアルフスとアンドロマリウスは互いに見つめ合い、頷いた。シェリルはそれを見て、この森が本当に危険が感じられない場所であると知る。
「俺達が分からないって事は、何が起きるかも分からないって事だ」
「先に行ったり、変な行動起こすなよな」
真っ先にシェリルが森へ入ろうとしているのを制した二人が早口でまくし立てる。
「そこまで神経質にならなくっても。
――何よ、アルクの王様の神経質でも感染した?」
冗談半分にシェリルが文句を言えば、アンドロマリウスは口元を歪めて小さく笑った。相手はディサレシアだ。三人とも見知った相手を追っているせいか、余裕を感じさせる。
「案外、叫んだらディサレシアの方から見つけてくれたりして」
「その提案乗るぜ」
何が潜んでいるかも分からない場所であるが、対処できない事態に陥る事はないだろう。
アンドレアルフスは大声を出す代わりにシェリルへ、自らに施したおまじないを取り去るよう指示を出した。