ユリアの不安
「気分はどうだ」
ユリアの意識が浮上すると、すぐに気が付いたらしいアンドレアルフスの声が彼女の耳に届く。彼女がゆっくりと目を開ければ、見慣れた天井が視界に広がった。
いつも清潔さを保っている、用途不明の来賓室だった。アンドレアルフスが招待した人物を泊まらせる時に使う部屋だと聞かされて代々受け継いできた場所である。
それを自分が使う事になる日が来るとは思ってもいなかった。
「……少しだけ変な感じがしますが、概ね良好だと思います」
「そうか。それは良かった」
声のする先に首をひねれば、そこには穏やかな表情で眠るヨハンの横顔が見え、その先にアンドレアルフスの微笑みがあった。
ユリアは、男装時に鏡越しで見ている顔がすぐ隣にある事がとても奇妙な事であるように感じた。
これが、二人に分かれたという事なのは彼の顔を見た瞬間に理解したが、感覚としてはやはり不思議なものを伴っていた。
「隣に自分がもう一人いるのは不思議か」
「……そう、ですね。
何だか不思議で、でも感慨深い」
上半身を起こし、枕に肘をつく。空いている左手でヨハンの頭を撫でた。彼はまだ起きる様子を見せず、一定のリズムで胸元を上下させている。
愛おしそうに、そして少しだけ不安そうに彼を眺めるユリアにアンドレアルフスは声をかけた。
「ヨハンが目覚めるまで、暫くかかるぞ。
何せ、魂の少ない方をヨハンにしたからな」
「魂の少ない方……?」
ユリアの視線は再びアンドレアルフスへと動く。彼はヨハンの方を見つめていた。寝台の側に置いてある椅子に背を預けて足を組んでいる。
よくは見えないが、心なしか顔色が悪いように感じた。
「同じ性別ならまだしも、別なんだ。
子を産む女の方が魂の消費も激しい。だから均等に分ける事をしなかった」
子を産んだ途端に死ぬのは嫌だろう? と優しく言うアンドレアルフスにユリアは背中がぞっと冷えこんだ。シェリルの瞳を見たときに感じた絶望と近いものを感じたのだ。
悪魔は、悪魔だ。そう強く感じさせる言葉だった。
「魂が少ない分、ある種の負担も大きい。
目覚めるのに時間がかかるのはそのせいだ。
でも心配いらねぇよ、あんたみたいにちゃんと目覚めるさ。
俺はあんたらの願いを聞き届けるって契約したんだからな」
「――ありがとう、ございます」
ユリアとヨハンはアンドレアルフスにとっても、アンドレアルフスの一族であるという札を下げられた、ただの家畜なのだ。
家族のように思ってもらえていると信じていた。だからこそ、今回の願いを聞き届けてもらえたのだ、とも。
ユリアはアンドレアルフスの一族を繋げていく為の存在で、ヨハンは人手不足を補う為の存在。そうとしか認識していないのではないか。
そんな不安が押し寄せる。
気遣ってもらっていた、というのは錯覚だったのかもしれない。
一族の中でも特別優しく扱ってもらっているという感覚も、全部幻だったのかもしれない。ユリアを真に大切にしてくれる存在は、元々自分自身であるヨハンだけなのかもしれない。
ユリアは、少しでも早くヨハンが目覚めるように祈るしかなかった。
「おはよう、ユリア」
自分の声よりも少しだけ低く、ハスキーな声が耳元をくすぐった。ゆっくりと目を開けば、ヨハンの顔で視界が塞がれていた。
「ヨハン……」
「君の方が先に目覚めていたと主から聞いたよ」
ヨハンに額と額をつけられ、ユリアはうっとりと目を閉じる。ヨハンの温もりがとても恋しい。本当に二つの体になったのだ。
同じ肉体にいたせいか、こうして触れ合っていると繋がりをとても強く感じる。
一つに戻りたいという思いが浮かぶ。それはもう不可能だが、少しだけそう過去を懐かしく思っても罰は当たらないだろう。
「僕が目覚めないから、不安がっていたとも聞いた。
もう大丈夫?」
「うん。大丈夫よ、ヨハン」
柔らかな声色にユリアは眉を下げた。懐かしい。恋しい。一人じゃない。
ユリアは愛し合う恋人にそうするかのように、自らの鼻をヨハンの鼻にこすりつける。
「ユリア……」
ヨハンの体をぎゅっと抱きしめるユリアの腕は、ほんの少しだけ震えていた。