シェリル復活
着地する少し前にアンドロマリウスはシェリルを手放した。シェリルの身体が一瞬浮く。アンドロマリウスは落下する彼女の身体を少しだけ捻った。
その力にシェリルが抗えるはずはなく、そのまま回転した。
「ひゃあっ」
先ほどからの動きにパニックじみていた彼女は、間抜けな悲鳴を上げた。軽業師の獲物のように扱われているシェリルには冷静さなど、ひとかけらも残っていなかった。
「大丈夫だ、任せろ」
「無理!」
シェリルは即答した。アンドロマリウスの方は小さく含み笑いをする。
あまりにも余裕のない彼女の姿がおかしかったのだ。怒りを爆発させる事はあれど、このように混乱のあまり取り乱す事はなかった。
彼女が落ち着くまでは戦力になりそうにない。移動と威嚇をアンドロマリウスが行い、移動以外の補助をシェリルにしてもらおうと考えていた彼だったが、それはもう少し先になりそうだった。
アンドロマリウスはシェリルの頭が背中にくるように担ぎ直す。もしかしたら自分の翼が当たるかもしれないと一瞬頭の中によぎる。
だが、動きの止まらないアホロテを相手にしている今は何度もシェリルの担ぎ肩を変えている程、暇ではなかった。
飛んでいるときと地を駆けている時と何が違うかと言われれば、なめらかで縦横無尽な動きができるかどうか、そして方向転換の際にどれくらい衝撃がくるかどうかといった所だろう。
空中にいれば衝撃がないと言う訳ではない。ただ、アンドロマリウスの飛び方がなめらかに滑るスタイルを取っている為、大地を踏みしめて跳躍するよりは衝撃が少ないという事である。
アホロテからの攻撃を避け、移動できる方向を限定させ、散らばらないようにする。
言ってしまえばこれだけの事であるが、素直に言う事を聞いてくれる相手ではない。
「何なのこれ……っ!」
シェリルには何がなんだか分からないだろう。背後しか見えていないのだ。見えるのはアンドロマリウスの翼と眷属が削った壁がほとんどだろう。
情けない悲鳴を上げながら、何これ、もうやだ、を繰り返しているシェリルにアンドロマリウスは助言をした。
そろそろ舌を噛みそうだと思ったからである。
「少し黙れ」
「いや、これ、あぐっ」
言った途端にシェリルは反論しようとしていい音を出した。ほら見た事か。アンドロマリウスは心の中で呆れ声を上げた。
シェリルはそのまま口をつぐみ、アンドロマリウスにしがみつく力を弱めた。そうしている内にアホロテは次の壁を破り、目的地まで続く通路を移動し始めていた。
アンドロマリウスが最後尾に周り、逆走しないように追い打ちをかけているとシェリルが悪態を吐いた。正確には悪態を吐いているかのような低い声で結界を張ったのである。
彼女は勢いよく噛んだ時に口内を傷つけてしまっていた。その痛みで冷静さを取り戻したのだ。じんわりと流れ出してくる血を溜め、唾を吐くようにして吹き出した。
口内に溜めている間に術式を組立てていたその血液は吐き出されると同時に術式として展開していった。周囲に存在している水分を集めて形を変えた、やや赤みを帯びた薄い膜はすぐに硬化する。
さながらアホロテの吹き出した粘液のようであった。
「退路は断っていけば効率良いでしょ」
「やっと正気に戻ったな」
アンドロマリウスからシェリルの顔は見えないが、ぴりぴりとした視線が刺さる。いつもの調子に戻ったと確信し、シェリルに声をかける。
「一人で全部をこなすのは面倒だからな。
お前が結界を張ってくれれば俺もアホロテの攻撃を避けずに作業ができる」
「水の膜を張るわ。
今度はゆっくり飛んでよね!」
シェリルの小言に彼は笑い、彼女を抱え直す。普段の抱き上げられ方になり、シェリルはほっと息を吐いた。首もとに巻き付けていたクロマに触れ、手元が湿る程度に濡れさせる。
彼女は口の中にできていた傷口を指先で撫でて血を付けた。
口から指を引き抜き円を描けば、それを中心に術式が広がっていく。
「強度はあるから安心して」
「駄目だったら二人で鍾乳石ごっこか」
「馬鹿言わないで。あんなのもうこりごりよ」
威勢良くシェリルは鼻を鳴らしたのだった。