アンドロマリウスのアホロテ考察
アンドロマリウスは無言でシェリルの上に水球を作って破裂させた。彼女は肩をすくめ、目をぎゅっと閉じる。ほぼ同時に水がシェリルを襲った。
シェリルが目を開けて顔を拭おうと腕を動かせば、アンドロマリウスが制止の声を出した。
「え?」
「動くな。
だめだ、落ちてない」
シェリルの身体が固まった。動きを止めた彼女の腕と胴体の間に薄い膜ができていた。水に薄まれてさらさらとはしているが、強度は保たれている。
シェリルはそれを見て、たちまち表情を暗くさせた。
「水分を飛ばす方が早いかもしれないな」
「早くしないとアホロテが変な方向に行っちゃうわ」
淡々とした態度のアンドロマリウスにシェリルがしびれを切らして声を上げた。数匹のアホロテが声に反応して振り向く。
「待て、焦るな」
アンドロマリウスは黙ったシェリルには反応せず、粘液の水分を飛ばし始めた。
シェリルはむすっとしたまま乾いていく薄い膜を見つめている。
この液体は、極端に摩擦係数を小さくするようだ。アンドロマリウスはこの液体について考察していた。
恐らくこの摩擦係数の小ささが硬化した際に鍾乳石にも似た質感をもたらすのだろう。
更に、よく見てみればシェリルの衣類は先程水をかけてしまったせいで、少しだけ彼女の肌の色が透けていたのだ。
つまり、粘液に覆われていた場所は湿っていないようだ。興味深い。
アホロテはただ、幼体が乾燥しないようにあちこちに水をかけていた訳ではないのだとアンドロマリウスは理解した。
孵化が始まった頃にあちこちへアホロテが水を吹き出したのは、孵化した幼体を鍾乳石のように固まった壁から出し、孵化した幼体が移動しやすいようにする為だったのである。
滑りやすいという事は、少しの力でも大きく移動する事が可能だという事である。
アホロテに知能などないと言われているが、長く生き残り続けるだけの脳はしっかりと発達していたらしい。
目の前に現れた空間を逃げ場として一斉に動いていたアホロテであるが、最後尾付近の数匹は群の動きとは逆方向へと進み始めた。
シェリルは水分が減って固まってきた粘液を気にしながらも、群から外れていくアホロテがいないか確認しようとしていた。
アホロテのいる方向にアンドロマリウスが立っている為、視界が悪い。
体を動かして視線をずらそうにも、粘液が硬化し始めると動けなくなってしまったので、それも適わない。
だんだんとシェリルは苛立ちが溜まっていく。
「アホロテの方も見てよね!」
この大移動はエブロージャの将来がかかっている。シェリルは神経質な声でアンドロマリウスを責めた。アンドロマリウスの方はやはり動じず、淡々とシェリルにまとわりついたまま硬化していく粘液の処理を始めている。
不思議な事に、シェリルを滑らせていた原因であるこの液体は、肌に張り付いたまま硬化しないらしい。樹脂のようになった固まりを、無理矢理剥がそうとしてシェリルの肌を傷めてしまう心配はなかった。
これはアホロテの卵を保護する事を一番の目的として進化した物に違いない。そしてそれが先程考えていた摩擦係数の話に繋がっていくはずだ。
アンドロマリウスはアホロテの生態に少しだけ興味を覚えつつ、彼女の腕についている膜を剥がした。
シェリルの力ではどうにも動かない固まりであるが、アンドロマリウスは焼き菓子を折るかのような音を立てながらどんどんと壊し、彼女から剥がしていく。
シェリルは動く事のできない自分に心の中で呪詛を吐いた。唯一自由な首を動かせば、彼の後ろに巨大な影が見えた。いや、影ではない。アホロテである。
「マリウス、後ろっ」
「……問題ない」
彼は片手に持っている粘液だったものの欠片を無造作に放り投げた。それを目印に火花が散る。一番近くまで来ていたアホロテの目と鼻の先である。
突然現れた火花に、アホロテは驚きの悲鳴を上げて頭をのけぞらせた。
もう一つシェリルから剥がした欠片を投げ、同じように火花を散らせば他のアホロテは被害にあった一体を残して進路を戻す。
「お前を解放する方が先だ」
「間合いを狭くしたのね」
アンドロマリウスは小さく頷き、作業に集中した。シェリルはそれ以上何も言えず、両手が自由になるのを待つしかなかった。