アンドレアルフスの覗き見
「よし、完了」
アンドレアルフスが頷くと、従者がどことなく現れて書類を受け取っていった。首を回して凝りをほぐし、彼は長い息を吐いた。
椅子から立ち上がり、慎重に時間をかけて持ち帰った水鏡の方へ歩いていく。水鏡へと力を注げば、シェリルの顔が映し出された。
少しばかり消耗しているようだが、相変わらず美しく愛らしい。全身をヒマトで覆っている事から、夜の砂漠であると推察した。
その背景、シェリルの頬の高さには、普段よりもやる気の見えない悪魔が映り込んでいる。この顔の近さ、頭の位置からすると片腕で抱え上げているのだろう。
どこかで何かを調べているのか、召喚術士の仕事をしているのか。アンドレアルフスは指先を水面の上で縦に動かした。
シェリル達の顔から下の方へ画面が動いていく。
アンドレアルフスの想像通り、アンドロマリウスに抱え上げられているのが分かった。
別に彼はそこを確認したい訳ではない。水鏡の操作を慎重に行っているだけである。
指先を今度は時計回りにくるりと回す。画面は小さくなり、二人の姿が遠くなった。その代わり、見えていなかった場面が現れ始めた。
「うわぁ、何これ……」
アンドレアルフスは、二人の表情に合点がいった。彼らの周りは小さなアホロテで埋め尽くされていたのである。それも、正体不明の液体でべとべとになって。
碧眼を閉じ、美しい金糸の根本をかきむしる。その表情は歪み、絶望したかのようである。
「美しくない!」
思わず口からこぼれてしまう。はっとして周囲を見渡すが、もちろん誰もいない。
小さく咳払いをして興奮を納めるとそのまま画面の動きを追った。
二人はじっと動かずに様子を見ている。対象はもちろんアホロテの方だ。
二人の表情も、できる事ならば早くこの場から立ち去りたいという気持ちが表れている。
周囲を見ていると、どうやらここはアホロテの産卵場所のようだ、どのようにして割り出したのかは分からないが、エブロージャの近くであるに違いない。
アンドレアルフスは首を傾げた。
アホロテの巣はエブロージャの近くにはなかったはずだ。僻地とは言え、アンドレアルフスがあの街を拠点にすると決めた時に隅々まで調べたのだ。
誰にも邪魔されず、人間との生活を楽しむ事のできる場所にしたい。つまり、彼の希望にそぐわない事が起きたら困るからであった。
そうして選ばれた地がエブロージャであった訳だが、どうしてか今アホロテの巣があるらしい。
それも、繁殖用として。
「プロケル」
「……なんだい?」
自分の鏡を彼の屋敷に無理矢理繋ぐと、そこには浴槽に身を預けているプロケルの姿が映し出された。
面倒そうに返事をする彼は、こちらと会話する意志がないようにも見える。
濡れた長髪を器用に簪でまとめていた。前髪を垂らすように三つ編みし、後ろ髪を綺麗に編み込んでいる彼が全ての髪をまとめ上げているのは滅多に見られるものではない。
きめの細やかな白い肌には湯煙でしっとりとしていて、下手な女よりも美しい。
一つだけ気になるとすれば、その湯船は冷たそうだという事だった。彼はうっとりとして沈んでいるが、顔色は至って普通だ。むしろ青白く感じる。
恐らくあれは鉱泉の類であろう。彼は鉱泉好きである。鉱泉の暖かさを感じる為に、浴場の空気を冷やしたのだ。
一見暖かそうに見えるが、雪山などで湯気のようなものが上がるのと同じで、室温が鉱泉よりも低いだけである。絶対に寒い。
同じ状況で沐浴したいとは思わないが、貴重なものを見た。と、アンドレアルフスは目を瞬かせた。
アンドレアルフスが黙っていると、プロケルが催促の声を出した。話を聞いてくれる気はあるらしい。
「私が過ごしている世界にいる、アホロテという生物に関する知識はあるか?」
「私、ね」
プロケルは、屋敷で貴族として生きているアンドレアルフスの言葉遣いに小さく笑う。アンドレアルフスの方は聞こえなかったのか、気にしていないのか、全く反応していない。
「知っているよ。私が嫌いな生き物だから」
「ほう」
プロケルはその嫌いだという理由を挙げていく。その中にはいくつか気になる事が入っていた。