アンドレアルフスの仕事
屋敷に戻ったアンドレアルフスは従者からの手厚い歓迎を受けた。つまり、仕事の山を見せられたのである。
「はあ……」
アンドレアルフスは溜息を隠そうとはしなかった。溜息を聞きつけた従者の一人が飲み物を入れ替える。執務室では、余計な音は一切しなかった。
アンドレアルフスが動く事によって発生する衣擦れや、書類が捲られサインが書き込まれる音。そういった彼が出す小さな物音に支配されていた。
アンドレアルフスが外に出ている間、重要な決定権を持つ者でなければならない案件を他者に任せる事はできない。
だが、それ以外の屋敷の管理や担当区域の治安維持などは信頼できる部下や仲間、従者に任せていた。
自らこの屋敷を出て自由に生活しているのだ。自分の仕事はこなすべきである。この屋敷に帰ってきたら、這ってでも仕事をするのがアンドレアルフスのこだわりであった。
今までは定期的に屋敷に戻っては仕事を片づけていたが、今回はそうはいかなかった。
何しろ召喚術士のふりをしてカリスに滞在していたのだ。
滞在中、不用意に城から抜け出し、エブロージャで静かに生活しているであろうシェリルの存在に気づかれたくはなかった。
つまり、シェリルを守りたい自分のわがままが引き起こした結果である。憂鬱に思う事はあっても、責務を放り投げたままにする理由にはならない。
アンドレアルフスは真面目な悪魔である。魔界での自分の役割に誇りを持っているし、何よりこうして動く事がアンドロマリウスの地位を守る事へと繋がる。
これさえ終われば、シェリルを守る為の行動が開始できる。
溜まりすぎているこの仕事の山を目の前に、呆然としている時間はない。一刻も早く終わらせ、玉の加工を依頼し、それが完成するまでに情報を集め、二人のもとへと戻らなければならない。
溜息はすれど眼差しは真剣そのものであり、その目が書類以外へと移動する事もなく、また動かしている手を止める事もない。
静寂の中、美しい悪魔は淡々と職務を全うするのだった。
黙々と仕事をこなしていると、いくつか気になる報告が上がっていた。魔界で生きる者らの異常行動である。知能の高低、ヒト型になれるか否か、位の高さなど、共通点として挙げられやすいこれらに関連性はみられない。
普段真面目な悪魔が突然酒に溺れて湖一つを消し去ったとか、大した扱いをされるほどでもない小さな一族が突然蜂起して一つの街を占拠したとか。
かと思えば、ペットとして愛玩されていた天使がいつの間にか消え、捜索したところ僻地で飼い主を待っていたという。ペットに事情を聞いてもまともな返答は帰ってこず、ただ主に会いたいと懇願するばかりだったらしい。
緊急度の高いものからどうでもいいものまで、内容も様々である。因みに、占拠された街は占拠されたままらしい。特に害のない行為だったようだ。
追加報告の方では、彼らが恐ろしい程に魅力的で、街の者は皆鼻の下を伸ばして幸せそうにしているらしい。まるで意味が分からない。
何にしろ、血なまぐさい事にはなっていないだけ良しとするしかない。アンドレアルフスは気を取り直して違う書類に手を伸ばした。
ここ魔界は、何世紀にも渡る平和が続いている。同郷の者同士、守り合い、激減してしまった総数を増やすべく努力を重ねてきた結果である。
核を所有し、名持ちとして力を振るうべく取り合いが起きた過去は、全ての種族においての暗黒時代であった。
天界への大きな遅れと疲弊し摩耗しきった名持ち達。取り合うべきは、核ではなく互いの手だと気が付いた時には遅かったのだ。
絶滅、または絶滅寸前までに減ってしまった一族を再興する為、力を失ってしまった魔界全体の為、全ての生き物の意志がまとまったのである。
団結力は天界よりも確固たるものだという自負をアンドレアルフスは持っていた。
だからこそ、一歩間違えれば血なまぐさい事件へと発展していただろうこれらの案件が、背後で何かが蠢いているような感覚をアンドレアルフスに覚えさせたのであった。