緊張しがちなシェリル
シェリルとフロレンティウスの視線が混ざる。その視線で何か感じ取られてしまいはしないか。シェリルの心臓は静かに早鳴りしていた。
「残念そうだ」
「仕事を任せてきてしまったので、心配なのもありますが……
それ以上に、移動時間も考えずに口にした事を恥ずかしいと反省していたのです」
はにかむように眉を下げればマリアが笑う。
「ユリア、今日出ようが明日出ようが、半日じゃ変わらないわよぉ?
そういうお馬鹿な所、あたし大好きだけど」
「アンドレアルフス様のご不在中、代理をしてくださっているマリア様まで不在とあっては、と心が急いてしまっていたのです……」
シェリルがそう言えば、フロレンティウスが「ふむ」と頷いた。その表情からはシェリルを値踏みしているのか、興味深く観察しているような雰囲気は感じられない。
どちらかと言えば、子供などを見守るようなそれに似ていた。
「旅支度はこちらで整えよう。
今日は心おきなくカリスを堪能してもらうとするか」
「え、そこまでお気遣いいただくほどの価値なんて……!」
シェリルはすこしばかり大げさかとは思ったが、平民とはそういうものだろう、と開き直って深々と頭を下げて叫んだ。
シェリルの叫びはフロレンティウスの笑い声によってかき消された。
「おまえはマリアの下にいると言うのに、初いものだ」
「あたしがいっぱいいたら、職場がまとまらないわよぉ?
あたし、あたしの代わりにしっかりと纏めてくれるまじめな子が欲しかったんだもの。
良い子に決まってるわ」
マリアが自慢げに言う。だがその言葉の内容は、良識的な人間の言葉とは思えない。
さぼりたいから代打を捜していた、と堂々と言っているようなものである。
「今まで仕えてくれていた人間の中で、この子は一番優秀よ。
だから、あんまりからかうのはやめて頂戴?
それはあたしの特権なんだから」
「はは、マリア……私もその役目を少しばかり分けておくれ」
「ふふふ、どうしようかしらぁーん」
マリアは楽しそうに顔を歪め、フロレンティウスに頬ずりした。彼はまんざらでもない様子で彼女の太股に手を置いている。先程とは変わり、放蕩な雰囲気を醸し出している。
甘ったるい、娼婦のようなすり寄り方は、商館の主をしているだけあって様になっていた。
「折角だ。ユリア、お前を着飾ってやろう」
後で案内をよこすから部屋で待っていろ、そう言いながらマリアを連れて退出してしまう。
マリアに扮しているアンドレアルフスはそんな彼の腕に体を絡ませながらシェリルに手を振っていた。
拒否権のない誘いを待つ為、部屋でする事もないシェリルは精神統一をしていた。
静かな空間にただ一人だけ――正確には幻影がいるのだが――という時間は、エブロージャにいる時の孤独とは別の種類であり、ある意味では貴重な時間であるとも言えた。
そんな時、部屋を叩く音が聞こえ、シェリルは頭を上げた。
「ご支度が整いました」
部屋を出れば、三人の従女がいた。彼女らは、柔らかに微笑むとシェリルを大きな部屋へと案内した。
この部屋はどちらかと言えば華美な装飾の施された派手な部屋だった。シェリルが一歩この部屋へと踏み込めば、三人の従女は扉の前で一礼してその扉を閉めてしまう。
一瞬、部屋に閉じこめられたのかと身を固くしたが、奥の方から別の従女達が様々な布地を運び込み始めた様子に力を抜く。
何の事はない。ただ、役割分担が決まっていただけだ。
あまり身構えすぎるのも良くない。不自然な挙動は周囲の不審を呼んでしまう。
「どうだね、お前の好みはあるか」
従女の後から現れたのは、フロレンティウスであった。彼は昼食の時よりもラフな格好をしている。
その隣には、いつもならばいるはずのマリアの姿がない。
一体アンドレアルフスはどういうつもりなのか、と眉をひそめそうになるものの、今はフロレンティウスの動向の方が重要である。
それに、その考えを顔に出してしまってはまずい。シェリルはなるべく何も考えないように、穏やかな表面を取り繕った。
2018.11.11 誤字修正