寝ても覚めても悪夢のよう
シェリルの耳元で、誰かが囁いている。
「もう俺には執着してくれないんだろ?」
懐かしい、大好きな声だ。シェリルはまどろみの中、微笑んだ。
「あんたにとって、俺は過去だ。
俺に執着しているフリは止めて楽に過ごせよ」
シェリルにとって、ロネヴェという存在は過去ではない。そう言いたかったが、覚醒する事は叶わずただ小さく口を開いただけであった。
シェリルの頬に口付けが落とされた。いつもよりも少し湿っている気がする。
「俺は核持ちだから、悪魔として滅んだけど生きてるんだぜ。
あいつの中で、俺は見ている。
今のあんたは、俺の事はどうでもいいんだって、見てりゃわかるさ」
シェリルは眉をひそめた。身体はずっしりと重く、うまく身体が動かない。表情を変えるくらいが精一杯であった。
「俺は、あんたを愛している。
あんたに執着されるのが好きだった。嬉しかった」
しっとりと、冷たい口付けが落ちてくる。はあ、と溜息にも似た吐息がシェリルの耳をくすぐった。
「だけど、そんなあんたはもういない」
低い声だった。今までに聞いた事のない種類の声色にシェリルの息が一瞬止まる。ぞわりと鳥肌が立ち、一気に覚醒する。
「ひっ」
目を見開いた時、目の前に映ったのは家に招き入れた猫だった。猫はシェリルの小さな悲鳴に警戒する事もなく、かといって驚く事もなく。動じずに彼女の唇を舐めた。
ぞり、とざらついた舌が彼女の唇を震わせる。
「あんたは俺を捨てたんだよ」
頭の中に夢の名残が呟いた。
ロネヴェを彷彿とさせる猫を招き入れたから、これほど変な夢を見たのだろうか。得体の知れぬ恐怖を背負い、シェリルは小さく震えた。
アンドレアルフスの言う通りならば、ロネヴェはシェリルが自立する事を悪しきようには思っていなかったはずだ。
シェリルはロネヴェとの過去の再現を見ていてもそう感じていた。ならば、あれはシェリルの奥底にある罪悪感が見せた悪夢であるという事になる。
これは一体何に対する罪悪感なのか。罪悪感ならば、ずっと持ち続けている。新しい要素があるとでもいうのだろうか。それが何なのか、シェリルはまだ分からない。
シェリルは居座っている猫と目が合うと、たまに幻聴が聞こえるようになってきた。ロネヴェのような声で恨み節が聞こえてくるのである。
ふ、と過去に舞い戻れば優しくて大切にしてくれるロネヴェとの生活があり、現実に戻れば幻聴に襲われる。
ある意味ロネヴェとずっといるようなものであるが、シェリルはどちらの生活も嫌になっていた。
甘くて残酷な過去を突きつけられるのも、結局一人になってしまった自分と向き合うのも、疲れてきたのである。
いつ戻ってくるか分からない、喧嘩別れをしたアンドロマリウスを、シェリルは待っていた。ふらっと現れるかもしれない優しいアンドレアルフスを待っていた。
「早くマリウスに泣きつけば?
アンドレでも良いけど、あいつらなら喚べば出てくるぜ」
いつの間にか幻聴を呼び寄せる猫はいなくなっていた。猫は居なくなったが幻聴はなくなっていない。
「俺の事で悩むなんて馬鹿だよなー
もう俺の事はどうでもいいくせに」
ああ、また聞こえる。シェリルは溜息を吐いた。
シェリルは、幻聴のロネヴェと二人きりだった。