頭脳派クリサントスの正体
クリサントスは意外に頭が回るのかもしれない、とシェリルが彼の評価を改める。クリサントスを見れば、シェリルを慈しむかのような表情で見つめていた。
「……?」
勝ち誇ったような、驕り高い表情ばかりを見てきたシェリルには、とてつもない違和感である。
「……もう、お前は逃げられない」
「どうして?」
クリサントスはシェリルに向かって穏やかな笑みを浮かべたまま近付いてくる。彼の豹変にシェリルは警戒の色を強め、ベッドから降りた。
「その場所は特別なのだ」
シェリルは周りを見た。調度品は手工を凝らした、立派な業物ばかりである。それ以外に特筆すべき点はなく、調度品が素晴らしいだけの空間であるように見える。
「……ふむ、ぬるいか」
違和感を感じていない様子のシェリルを見て、クリサントスが小さく呟いた。
「え?
ぬるいって何……っ!?」
シェリルは最後まで言い終える前に、強烈な圧力を感じてベッドへ上半身が沈んだ。
「二人分の契約は結びつきが強く、強固な術式でなければ作用しないのか」
シェリルはクリサントスがぶつぶつと考察しているのを聞く所ではなかった。突然重たくなった身体を必死で動かし、体制を変えるのに苦心していたからである。
鈍い音を立ててシェリルはベッドから落ちた。どうにか力を振り絞って、ベッドに背を預けるように座る。自由のきかない身体に彼女は浅い呼吸を繰り返し、喘いだ。
目の前でしゃがみ込むクリサントスは別人のようである。やはり穏やかな表情で、シェリルを観察していた。
「あの悪魔、こちらの干渉を受けにくいのか……
ああシェリル。心配はいらない。
悪魔の力を抑圧させる為の術式であるから、力を取り込んでいるお前がこの様になるのは必然なのだ」
シェリルは口を開いたが、掠れた息が出ただけで声にはならなかった。
「これは天界の術式だ。
魔界に属する存在の力を拘束し、限りなく傷つけずに捕獲する為に生み出された」
シェリルは聞こえてきた言葉に反応し、クリサントスへ厳しい視線を向けた。シェリルの視線に気付いたのか、クリサントスは柔らかな笑みを浮かべて手を伸ばしてきた。
優しく慈しむかのように、シェリルの頬を撫でる。彼女の身体を得体の知れない不快感が襲う。触られた事に対する感覚とは別の、接触してはいけない正反対の存在が無理やり干渉してきたかのような感覚であった。
天界の術式に、連なる干渉。シェリルは頭の片隅にあった事を確かめるべく、口を小さく動かした。
残念な事にやはり術式のせいで自由のきかない身体から出したものは声にならなかったが、クリサントスがそれに気が付いた。
「話せないのか。
少しだけ緩めてやろう」
クリサントスの言葉が終わるのとほぼ同時に、シェリルの身が軽くなった。シェリルが安堵の息を吐くと、クリサントスは嬉しそうに微笑む。今までの様子を知るシェリルにしてみれば、気持ち悪いだけであった。
「天界が私と契約している魔族を離したいの?」
「いいや。それは不可能に近いであろう。
悪魔二人が暴走しないように、お前を手に入れて安全に管理したいだけだ」
「……ふぅん」
シェリルはクリサントスの言葉を話半分に聞き流した。本当の事とは思えなかったのだ。天界の思惑があるならば、今までの動きを考えればロネヴェの時のように自滅を待つか攻撃して強制排除の二択であるように思えた。
手元で監視というのは、違う気がしたのである。
「クリサントス殿下が、国力と自身の権力の為だけに欲しているからかと思ったわ」
彼女がそう言えば、クリサントスが再び嬉しそうに笑む。シェリルの読みが当たったようである。
シェリルはこの目の前にいる男の豹変ぶりに思い当たる事があった。
もしかしたら、これは憑依の形態をとった天使に準ずる存在なのではないか。そう思い当たったのだ。