翡翠の鱗粉
数秒の後、アンドロマリウスが口を開いた。
「……お前を使えと言われてもな。
アンドレ、ここで何ができる?」
アンドレアルフスは目を見開いた。そしてすぐにその瞳は半分程にまで細められる。
「おい、俺様を何だと思ってる」
「力が使えない役立たず」
即答したアンドロマリウスを睨みつけると、 彼の隣に移動した。隣に立つや否や、彼は両腕を伸ばして流れるような動作で力を支配した。
アンドレアルフスの纏う空気が変わる。彼の力に呼応するかのように、辺りの空気が張り詰めた。
彼を優しく包んでいたシェリルの術式が弾け飛び、いよいよ彼の存在感が増す。
金糸は神々しくも禍々しいほどに輝き、翡翠の瞳は妖しい光を纏う。形の良い唇が薄らと色づいて、蠱惑的であった。
リリアンヌがここにいたならば、感激のあまり卒倒しただろう。シェリルであれば、この禍々しい魔力に顔をしかめたかもしれない。
辺りの魔力をも制御したアンドレアルフスは、手のひらを軽く合わせて淡い翡翠の光を創り出す。それは彼の両手の間でふわりと浮かんでいた。
彼が手を合わせてその光を挟めば、翡翠の光が鱗粉のように弾けて舞った。
アンドレアルフスは、翡翠の光を纏った手のひらを使って円を描き、術式を広げ始める。
「夜だから少しはましだろう」
彼はそれだけ呟いた。後は無言で術式を紡いでいく。始めは円であったが、次第にそれは広がり縦長に変わっていった。
術式の展開で生まれ始めた白とも青とも言えぬ光が、翡翠の輝きと相まって幻想的な空間を醸し出す。
それらの輝きは瞬く間に術式で編まれた扉へと変化した。
「美しいだろう?
これを使わせてやる」
「……これは」
「見ての通り、あんたでも使える移動手段さ」
やや不機嫌そうに言うアンドレアルフスの首筋には、汗の粒が煌めいている。力を派手に使ったせいで、この世界から圧力がかかってきているのだろう。
「俺が力を使える時間は限られている。
急ぐぞ」
「すまない。助かる」
アンドレアルフスは軽く首をすくめ、扉を開いた。扉の先は何も見えぬ、完全な漆黒である。二人の悪魔は気にせずその扉をくぐっていった。
シェリルは、リリアンヌの足首に贈った飾りがしっかりとついている事に安堵していた。これならしばらく彼女の生命を心配する必要はない。
安心してクリサントスに集中できる、そう思ったのである。
「シェリル、私に何をした」
「少し動かないでもらったのよ」
二度も連続で動けなくなったクリサントスは、シェリルを警戒してか、その場から動かずに言った。
「でも、あまり効かないようね……」
「ふん。私はよく命を狙われるからな。
念には念を入れているのよ」
シェリルは心の中で舌打ちした。やはり彼もそれなりに対策を講じていたのだ。
最初に動きを止めた時点で装飾物の類を取り去れば良かった。そう後悔した。とっさに貴重な石を一つ無駄にした。
次はしっかり彼の装備を外させてもらおう。
「……残念だわ、殿下」
シェリル呟きに反応したクリサントスがわずかに動いた。クリサントスの動きに合わせて彼女は素早く移動し、指輪を引き抜いた。
引き抜いた指輪はそのまま投げられた。鋭く空中を回転して飛んでいくそれは、クリサントスに触れる前に弾けた。