5.砂の城門
老人はダテを置き、しばらく空洞の奥へと姿を消した。
ややあって現れた彼の手元には、丈の長い黄土色のマントと木製の水筒が持たれていた。
「俺が出て行くだろうって、わかってたのか?」
「まぁな…… 少年は頭のいい男だ。何かすると言って何もしない、そんな妄言を吐くような男ではあるまい」
「頭がいいね…… 初めて言われたな」
マントを羽織り、内側の紐に水筒を固定する。
「聞く必要も無いことかもしれんが、少年は石の元へと行くのか?」
「ああ、さすがに行かずになんとか出来るような考えは無い」
「そうか……」
老人は自らのすぐ横に飛んでいた、光の玉へと目配せした。ひらひらと、玉はダテの元へと飛んで彼の周りを一周した。
「石はこの近くの山の山頂にある。儂では足手まといにしかならんでな、そやつに道案内してもらえ」
「いいのか? こいつにウイルスの影響は……」
「最早実体も無いせいか効かぬようだ、戦いになっても邪魔にはならんさ。言葉くらいは通じる。役に立たせてやってくれ」
うなづくように、光の玉が上下した。
「そうか、頼むぜ」
ダテの一言に、玉は一度上下するとくるりと目の前を横に回転した。
老人は切り株に腰掛け、笑って言った。
「……ではな、少年。死ぬなよ」
ダテはその顔に笑顔を返し、目を伏せた。
上着の胸ポケットから赤い襟の箱を取り出すと、横に振って中身を確かめ、老人に投げる。箱はカラッと、小さな音をたてて老人の足下へと滑っていった。
「じゃあな、じいさん。あんま吸い過ぎんなよ」
光の玉を従え、ダテはその場を後にした。
その姿が消えるのを見送り、老人は残された箱を拾うと、中を開けた。白い一本が五本と、一緒に入ったライター。
一本引き抜き、フィルターを引きちぎってライターで火を灯した。
「軽い草だ…… 悪くは無いがな」
老人は満足そうに、甘い煙の中に座っていた。
~~
時折、砂塵の吹く砂の大地をダテは歩く。
叩き付ける砂の粒はマントに吸収され、来訪し、倒れるまでに比べると歩みは楽だった。ただ、問題があるとすれば体力、魔力だ。
「……きついな」
いかに肉体が屈強であろうとも、病魔に冒され、変質してしまった体はまだ本調子とはいかない。加えて彼は身体を強化する魔法を常態化させており、そこに払われる魔力のコストが今の状態に見合っていなかった。
一度カラになってしまった魔力は戻りが遅い。常態化させている魔法で消費される量と一日の回復量、その数値が同等であり、彼は今余分な魔法は使えない状態にあった。
彼の前を、光の玉が少し頼りなげに左右に八の字を描いた。
「なんだ? 心配してくれているのか?」
光の玉は上下に動いた。
「大丈夫だ、もうそれほど遠くも無い、辿りは着くさ」
言葉を話さない生き物との会話、それが成り立つ奇妙さ。犬や猫を飼った経験は彼には無い。少し新鮮な感覚だった。
「……前向いてんのか後ろ向いてんのか、よくわかんねぇな」
この数日、老人や自分の周りを飛び回っていた不思議なもの。その生き物に興味を持ち始めた彼の前に、それは目前まで迫り、その大きさ故に視界から消えていた。
――隕石を携える砂の城。
木々の色を失った山岳が、彼の前に広がりつつあった。
「よし、もう一息だ。行くぜ」
ダテは歩みを進める。荒廃した大地、荒廃した後すらない、ただの砂の上を。
やがて砂の中、僅かに盛り上がる岩壁と、見上げるばかりに続く傾斜がそれを伝える。
進入した、山へと入った。
それを彼が自覚し始めた時――
「どうした……?」
ばたばたと、忙しなく光の玉が彼の周りを舞った。
「……!?」
岩壁の高台から複数の異形が彼を見下ろしていた。
殺戮の人形、燃えさかる炎の塊、四足の工作機械、黒い霧を纏った巨大な狼――
「はっ…… お出迎えってわけかい……」
それはまさに一斉だった。並び立つ彼らにどのような合図の手段があるのかはわからない。
だが、ウイルスに冒され異形となった感染者達は示し合わせたとしか思えないタイミングで同時にダテに向かって襲いかかった。
真っ先に彼に辿り着いたのは人形。四体の人形だった。
人形はそれぞれに、手の甲、腕の甲、腕の内側、足首と、部位こそ差異あれどやはり鎌状の刃物を生やし、問答無用とばかりに取り囲み、四方から襲いかかる。
対しダテは屈み込み、右手親指から中指を地面に突き立てると、三本を瞬間的に伸ばして倒立から遙か上空へと逃れた。
目標を失い、空を見上げる人形達。その一体が、空から落ちた彼に顔面を踏まれ、その上半身を粉砕された。
再起の機会など与えぬと、ダテは反応に遅れる残り三体めがけて襲いかかる。
一足飛びから地に足を落とした強烈なステップ・インによるストレートパンチで一体の胴体を打ち抜くと、その脇にいたもう一体の頭部を上段の後ろ回し蹴りで吹き飛ばす。そしてそのまま、回し蹴りの回転から体を沈め、挙動を繋げてさらに回転を加えて最後の一体へと接近し――
「ふっ!」
かろうじて彼の動きに反応して振られた腕の鎌をかわしつつ、強烈なローキックで人形の足関節を破砕した。
ガラガラと崩れ落ちる人形達―― その舞い上がる残骸の合間を縫って、後続の化け物達が続く。
後方から跳びかかった狼を半身でかわし、すれ違いざまに後ろ足首を持って力任せに振り回すと、武器となった化け物で炎の化け物を叩き消す。
息を潜ませ、好機を狙って土中から現れようとした巨大なハサミムシのような化け物に対しては、地面から顔を半分出した瞬間に顔面を踏んで体液を撒き散らせた。
少し遅れて猛然と突っ込んできた四足で突き進む、回転する巨大な刃物付きの支柱を持ったブルドーザーの化け物を飛び上がって回避し、空から拳を打ち付けて爆散させる。
「ちっ…… キリがねぇか……!」
定型不定型、生者器物、元はただの動物や精霊だったはずの化け物達―― 感染者達は後から後からと山より降りてくる。
こちらへ向かう前、老人は彼らがここに集っていることに対して「居心地がいいのか」と言ったが、今の彼らを見るにそれは別の理由を持っていることが明白だった。
「どうやら相当、俺をここに入れたくないようだな」
隕石から巻き散らされているというウイルス、そいつが意思をもって外敵の侵入を阻もうとしているのだ。それはさながら、抗体が病原菌を排除しようとするように。
ダテが駆ける―― 化け物が砕ける――
繰り返せば繰り返すほどに、足場には散っていった者達の残骸が積まれていった。
それでも彼らは、攻撃の手を緩めない。
「驚くってのはあってもビビって逃げ出すってのはないようだな、仕方ねぇ」
ダテは右手の服の袖を捲り上げ、勢いよく地面に拳を叩きこむ。砂に覆われた山岳の岩盤が彼を中心に円形に窪み、激しく周囲を隆起させる。彼を取り巻いていた化け物達が吹き飛び、衝撃に任せてダテ本人も空へと飛ぶ。
「行くぜぇっ!」
手の届く者の無い上空二十メートル。彼の右腕がジャバラに避け、ひたすらに長い複数のロープと化す。彼は右腕を上げ、下方の彼らに向かって振り下ろした。
何十という数で投げられたそれらは地面すれすれで角度を変え、全てが同一の方向へと渦を巻くように中心へと運動を始める。
大も小も関係無く、強靱な鋼製のロープは取り囲まれた全ての者を巻き込み、描く渦の終着、中心点へと縛り上げた。
「へっ……! 大漁!」
距離を開けて着地したダテの体から紫色のオーラが上がり、右腕のロープを伝って捕らえた者達へと流れていく。網にかかった一塊が同色に包まれ、断末魔の炎上を見せる。
間もなく、締める質量の失われたロープの隙間から、白くなった彼らが崩れ、辺りに落ちた。一度に失われた数は三十か四十か、戦場にはぽかりと灰の空間が出来ていた。
「結構食えたな…… さぁ! 次はどいつだ!」
吸収した魔力を元に、常態化されている身体強化魔法が出力を増す。生き残った化け物達の一団は彼の咆哮を受け――
「……!?」
散り散りにその場を離れ去っていった。
「逃げ出した? どういうことだ……?」
ダテはぽかんと、あっという間に閑散とした山の麓に、独り口を開けて佇んでいた。




