3.変貌の石
その場所からは大きさの予想すら出来ない世界樹の内部空洞、二人の周りには覆うように煙が浮いていた。
「あの石が吐き出すウイルスは、感染した者を次々と変貌させていく」
「変貌……?」
ダテは自らの右腕を見ながら呟いた。
今は以前と変わらぬ右手。異常なところと言えば大きく切りつけられたはずの傷跡が既に無いという、回復の魔法を知る彼からすればどうでもいい事のみだ。
「今この世界樹の外にはおかしな化け物どもがウヨウヨしている。ただ醜悪な容貌の者もいれば、生き物なのかも疑わしいようなやつもいる。感染者達の成れの果て、殺戮以外の思考を持てぬようになった哀れな連中よ」
生き物なのかも疑わしいようなやつ。ダテには心当たりがあった。
「あの人形…… あれがそうなのか……」
「人形? 出会ったのか?」
「ああ……」
「なるほど、それであの怪我か…… よく助かったな」
老人はダテが逃げ延びたものだと思っているらしかったが、ダテは触れずにおいた。そんなことよりも、気になることが有り過ぎた。
「ウイルスと言ったが、あれは単純に魔物化じゃないのか?」
魔物化―― 魔力の要素の一つである『暗黒』の魔力。過剰にそれを浴び続けたものはまず理性を失い、度合いが過ぎれば『魔物』と化す。
「いや、それは違う。あの石は属性を関係なく魔力を吸う。それは魔物化の要素である暗黒属性の魔力とて同じということだ。それに、こちらの変貌は原型を無視する。いや、感染者が持つ最も殺戮に適した容貌へと変化すると言った方が正しいか」
ダテは額に手を置き、前髪を掻いた。
確かに彼の知識の中にある魔物化とはまるで違うようだった。老人が言うように隕石が属性に関係無く魔力を枯らしていくのであれば起こりようも無い。
「なるほどな…… 俺の知ってることの外の話のようだ」
「期待はしておらんかったが、やはり知りはせんか」
老人はパイプを吸い、煙を吹き戻した。合わせて吸ったダテの持つ一本はそこで終了し、彼は火種を地面にもみ消す。
「そんで…… 俺が外にいる連中のお仲間になる。それまでの時間は?」
完全に火が消えるのを確認しながら、彼は聞いた。自分は感染した。ならばそれを「仕事」のタイムリミットと考えるべきか、ただの命の期限と考えるべきかはわからない。だが少なくとも、さっさと教えて欲しい部分には違いなかった。
「わからん」
「わからんって……」
「儂は確かに医者だが、お前さんのような初めて見る個体相手にはエビデンスもない。なんとも言えんよ」
「……俺以外なら、普通は?」
「そうだな…… 空気感染なら濃度次第だが数ヶ月から半年…… まぁ、発症せぬ者もおる。だが感染者に接触して、直にもらったとすれば数週間で変貌し始める、そんなところか」
「はぁ…… 俺は後者ってことか……」
彼はげんなりした表情を見せ、再び手元の箱から一本を引き抜いた。それに対し老人は口の端を愉快そうに上がらせた。
「いんや、少年は前者でも後者でも無い。だからこそ、わからん」
「何……?」
老人は得意気に、少しパイプを持ち上げた。
「儂が作ったワクチンがある。すでにそれを使わせてもらった」
「ワ、ワクチン……?」
思わずポロリと、手にしていた一本を取り落とす。
「たまたま出来たようなものだが、効果は覿面だ。なんせ、ここにおる唯一の被検者は投与から二百年と変貌しておらぬでな」
老人が指を差す先、その先は老人自身だった。
「……ってことは、俺は……」
「わからん、三度目だぞ? 儂と少年とではさっきも言ったように個体が違うし、何より――」
「……!?」
手にしていたパイプがぐにゃりと歪み、底から煙とともに灰と燃え残った葉が落ちた。
「じいさん…… それ……」
「少年は儂などより、遙かに重傷な状態での投与となった。どれほどの時が残されているのか、これ以上の悪化は見せぬのか、それはなんとも言えんのだよ」
パイプは同じく歪んだ老人の手に『吸収』されていき、その姿を消した。
「あんたも…… 感染者なのか……?」
「それはそうだ。儂は周りの変貌を早くからウイルスだと見抜き、世界で唯一その濃度が無いに等しいこの場所に立てこもって研究してきた。だが、それでも完全に感染が防げるわけではない。ワクチンが完成したのは研究開始から三百年と経ってからの話だ。変貌の初期段階ではあったとも」
言いながら老人は歩み寄り、ダテが落とした一本を拾った。
彼の真似をするように指に挟み、先端を向けて催促の仕草をする。
「……初期段階ってのは、どういう状態だ?」
ライターを取り出し、火を向けてやった。
「四肢の先から徐々に裂けた触手のような状態になっていく、これが初期。胴体にまで届く、それが中期。胴体が変貌を始めれば思考までもが乗っ取られる、これが末期だ」
煙を楽しみながら、老人がニヤリと笑った。
「じゃあ俺は中期か、その一歩手前か……」
「外傷を負ったのが感染の速度を速めたのだろう。ここに連れ帰って投薬するまでの間、一日も無い間にそこまでに至った。投薬して効くか効かぬか、それも結構な賭けだったぞ」
「……効かなければ、どうするつもりだった?」
「さてな、襲いかかられれば死んだかもしれん。我ながら酔狂なことだ」
「おいおい……」
老人はフィルター部分をちぎり捨て、手にしていたそれを吸った。強くなった煙の風味に満足そうに息を吐くと、暗い空洞を見上げた。
「死ぬも死なぬも、どうでもよいのよ。儂は完成したワクチンを使いたかった。それだけだ」
虚空を見つめる老人。その姿にダテは、かける言葉が見つからなかった。ダテは首を振って箱から一本を取りだし、自分のためにライターを点火した。
「とりあえず礼は言っとく。ありがとな、助かった」
「何、退屈していただけだ。死んでおいた方が少年にはよかっただろう。外はあんな状態だ、遅かれ早かれ儂らは死ぬ」
「……助かる方法はないのか?」
「あるとも」
老人がダテに振り返った。その表情には老人らしい、思惑のわからぬ笑みが浮かんでいた。
「ある…… のか?」
「ああ、ある」
しわだらけの指先から一本が地に落とされ、皮でこしらえられた靴に踏まれた。
「発端となったあの石を、この世界から完全に消すことが出来ればな」
「石を…… 消す?」
「完全にな、一欠片も残してはならん」
老人は皿に残っていた果実を手に取り、後ろを向いて囓った。
「それは、確かなのか?」
「世界には自浄作用というものがある。それにこの世界樹も死んだわけではない。一所でも魔力が自然に供給されるようになれば、精霊達の復活と共に連鎖的に、あっという間に世界は元の色を取り戻すだろう」
「えらく…… はっきりしてるんだな」
「原因がはっきりしとるからな。不可能だが、筋道は立つ」
「不可能……?」
「石は途方も無く大きい。今のこの世界では大きな魔法は使えんし、使えたとしてもあの石は魔力を吸収する。消し飛ばす手立てが無い。それに、周りはウイルスだらけだ。居心地がいいのか化け物どもの巣窟になっている。あれでは近寄ることも出来ん」
ダテは軽く腕を組み、目線を左上、天井にぼんやり灯る光る苔へと向けて聞いた。
「なるほど…… それは厄介だな」
「厄介……?」
老人の首が、ダテに振り返る。
「儂は不可能と言ったが…… 何かするつもりか? 少年」
怪訝な顔に対して、ニヤリと笑ってみせる。
「仕事だからな」
「仕事……?」
彼はごろりと、背を向けて横になった。
「まぁ、あまり期待しないでくれ。助けてくれた借りくらいなら返すさ」
「ほう……」
どこか投げやりに答えるその姿に、老人は愉快そうに口角を上げた。
上空から、ふよふよと光の玉がそんな二人を見守っていた。




