1.砂の世界
光の玉がふよふよと、砂嵐の中を飛んでいた。
それはあたりを見回すように飛び、やがて一人の老人の元へと向かっていく。
老人は体全体を覆ったマントから目を覗かせ、砂の大地、ただ砂塵舞う生ける者の無い世界を見やり、言った。
「枯れてゆく…… すべて、埋まるか……」
~~
いつ果てるともなく続く、長い長い砂漠を歩いていた。
魔力の薄い世界、体に忍ばせていた魔力もとうにつき、空を飛ぶことも叶わない。食料などは初めからなかった。口に出来るものもここにはなかった。
分厚い雲に覆われた空からは強烈な日光の照射こそ無いものの、地には常に風が渦巻いている。叩きつける砂を防ぐ手立てもないままに、ただひたすらに歩く。そんな日々が既に五日目に達していた。
常軌を逸した彼の体力もそろそろと限界に近づき、あとは自然、死を待つのみ。
そんな彼の前に、唐突に人影が現れた。
「……? 人か……?」
人ではなかった。それは人の形をしながらも関節の一つ一つが「接合部」と呼んでいい、カクリカクリと不自然な動きを見せる、ひどくシンプルな人間大の人形だった。
その様相は奇しくも、彼の知識の中にある美術デッサン用のドールに近い。
だが、彼からすればなんでもよかった。元より、『人間』がこの世界の住人であるという確証などどこにもない。
「おい、話は出来るか? 出来るなら何か…… ここの話を……」
初めて見る自立して動く物体。彼は話しかけた。状況の打破を願って。
人形は答えた。
「……!? こいつ……!」
その細い両腕の内側から折りたたみナイフのように鎌状の刃物を出し、跳びかかることで。
普段ならば余裕を持って、数センチ、数ミリという単位でかわせる攻撃に、彼は右腕を大きく裂かれた。血のしぶきを左手で抑えながら、再び鎌を振りかぶった人形の胸板に前蹴りを加え、吹き飛ばす。しかしこれも、ヒビを入れることすら出来ず、相手を数メートル飛ばしただけに終わる。
人形はすぐさまに立ち上がり、彼に向かって走り出した。
「っ…… やろう……!」
悪態と共に、最早なんの力も残されていなかったはずの体に気力が湧き上がってきた。それは彼が戦う人間である証、生存本能を超越する、戦いにおける高揚感だった。
人形は跳び上がり、上空から鎌を打ち下ろす。
彼は砂を蹴り、鎌の落ちる点を越えて間合いの内側へと入り――
「なめんなぁっ!」
――カウンターの乗った上方への右ストレートパンチで人形を胸元から空中分解させた。
ガラガラと、人形のパーツと木くずが降り注ぎ、彼の体を凪いでいった。
「へっ、へへっ…… ざまぁみろ…… ザコが……」
そしてそのまま、彼は血を噴く右腕を上げたままに地面に倒れ伏した。
力尽きてしまった彼の元へと、光の玉が舞い降りていた――
~~
「……?」
砂の上に倒れたにしては背中がひやりとしていた。
耳元には、近くに満たされているであろう水の音が聞こえる。
「っ……!?」
水、という、あるはずのないものの存在に彼は覚醒し、目を開けた。
仰向けに見た天井には、遙か遠くに連なる木々に匍うツルが映る。
「うん……?」
上体を起こし周囲を確認しようとしたが、体に力が入らなかった。
猛烈に体が熱を持っていた。いつの間にやら衣服を脱がされていたらしい上半身が涼しく、今はそれが有り難かった。
「俺は…… 助か――」
しばらく使われていなかった喉が振動に驚き彼を咳き込ませた。その衝撃が全身に痛みを教え、彼に今、動けない状態であることを自覚させる。
全身に腫れるような痛み、それだけになく、目眩のするような高熱もが彼を襲っていた。
熱に浮かされた頭で、人形との戦いの後、砂漠に倒れ伏したことを思い出す。
あのままでは確実に死んでいた。誰かが救ってくれたのだろうと彼は思うが、その誰かは記憶にない。
ぼんやりと見上げる天井に、小さな光の玉が見えた。
「……?」
奇妙な光の玉は彼の元へと降り、そのまま彼の視界から抜けていった。
「なんだよ…… 一体……」
彼は体から発する熱や痛み、不可解な出来事、そんな全てを忘れるように目を閉じた。
全身から力が抜けていき、現実感が薄れて眠りの世界へ――
「おい」
はっきりと聞こえた人の声に、薄れかけていた意識が戻る。目の前に先ほどの光の玉が舞い、続き老人が顔を出した。
「起きたようだな」
老人だということがわかっても、いくつなのかもわからない。人の顔をしてはいるが耳はとがり、額のあたりには植物の太いツタが一本巻き付いている。その肌の色合いは皮膚と言うより、どこか木のようだ。一見にして自分とは違う種の人間なのだとわかる老人だった。
「まだ動けはせんだろうが、言葉はわかるか?」
そのジェスチャーが伝わるかどうか、そんなことを考える余裕もないままに彼はうなずいた。
「そうか、ではそのまま寝ていろ」
老人は去って行った。彼はそのまま、目の前に浮かんだ光の玉を見ながら眠りに落ちた。
~~
次に目を開けた時も、彼の視界に映る風景は同じだった。
眠りから覚醒していく脳が、自分が夢を見ることもなく眠っていたことを思い出していく。
眠りの前に覚えた痛みや熱が引いていた。どれくらい長く眠っていたのだろうか全身にうまく力が入らず、また、動こうという気力すら湧かなかった。
ふよふよと、光の玉が彼の目に映った。それは前の目覚めと同じように、目で捉えた直後に視界を抜けていった。
覚めない夢―― そんな気持ちの悪い錯覚に目を閉じた彼の耳に、こちらへと歩む足音が聞こえた。
「気分はどうだ?」
眠りに落ちる前に聞いた、老人の声だ。
「……悪くは」
「そうか、それはよかった」
老人が彼の口元に植物のツルを差し出してきた。その意図を理解し、彼はそれをくわえて吸った。乾ききった口内に清涼な水が流れ、その冷たい感覚が全身を満たしていくようだった。
「うむ…… 順調に回復しているようだ」
その口ぶりで、彼は状況を理解した。
「……ありがとう、世話になってしまったみたいだ」
老人が、クスリと笑った。
「何、感謝されるいわれはない。すぐに恨むことになるやもしれん」
恨む―― 不穏な言葉だった。
「体を起こせるのなら起こしてしまってかまわんぞ。お前さんは飯を食う部類の生き物のようだ。すぐに何か持ってこよう」
言い残し、老人はその場を去って行った。
彼は言われた通り、起き上がることを試みることにした。
全身に奇妙な感覚があった。それはまるで自分の体ではないような、動かし難い感覚。
以前に目を開けた時とは違い、手足にも、地面に横たわっているはずの背中にも、何かに触れているという感触が薄い。
仰向けから起き上がるため、まず下半身に力を入れる。力は入る、動きはする。だが、麻痺してしまったような感覚で、やはり地面に接しているという感が薄い。
左手をつき、それを支えに上半身を上げる。そして、上半身の重心を右に振り、右手でバランスを取ろうとして――
あるはずのものが無く、彼はそのまま右に倒れた。
「な、何……?」
痛みよりも驚きだった。階段を踏み外した、座ろうとした椅子がなかった、そんな感覚。
彼は砂漠にて右腕を切りつけられたことを思い出し、まさかの事態に恐れながら、自らの右腕を見た。
――そこにはあるはずの右手は、赤黒い、何本もの紐状の束へと変わり果てていた。
彼の絶叫にも似た、驚きの声が仄暗い空間に木霊した。
「#4」からまた舞台を変え、「#5」開始です。
これまで順に読んできた人はピンと来たかもしれませんが、
今回はついに、「あの秘密」に迫ります。
それでは、ごゆっくりお楽しみください。




