9.雛と成鳥
炎と闇が無遠慮に噴き合い、グラウンドにいた生徒達が怖れとともに間を空ける。飛び交う『真魔法』同士のぶつかり合いは、彼らにとって次元の違う戦争だった。
火球を放つシュン、その火球の軌道に合わせ『闇』を置いていくレラオン。火球は闇へと吸い込まれ、いともたやすく消失する。
上空へと跳んだレラオンが腕を薙ぐ。空間から生まれた五本の黒のレーザーが地上のシュンへと降り注ぐ。レラオンを追うように宙へと回避したシュンは、遠距離を不利と見て素早く空を滑り、肉薄を狙う。
レラオンはその考えを逆手にとるように倍近い速度で彼へと迫り、シュンの背後より後頭部を殴打して地表へと叩き落とした。
「シュン……!」
巻き込まれる危険を顧みず、生徒の波を抜けて表立ち、ユアナが声を上げた。
シュンはグラウンドに落ちる寸前、盛大に炎を地面へと叩き付け、その勢いで激突を防いだ。
「ダメ……! 力の差がありすぎるわ……!」
戦いの様子をシオンが悲観した。
その隣で、リイクが目元を険しくする。
「魔力量と経験の差か…… 条件が同じじゃ敵わない……! それにシュンは……」
シュンが右手をかざし、『真魔法』にその手を燃やす。左手は胸に、本を抱えていた。
「『ガラの書』を抱えている! あの本を守ったまま戦ってるんだ……!」
それは戦いにおいての、『守る側』ゆえの圧倒的不利だった。
「シュンの得意属性は『火』だ、一歩間違えれば自分の力で燃やしてしまうかもしれない…… あれではまともには……」
「そんなの気にしてる場合じゃないじゃない! 捨てちゃえば……」
「あの男は奪い去るだろう」
「……っ、なら、いっそ燃やしてしまえば……!」
「……僕もそれが、いいとは思う」
だがそれがシュンに出来るとは、リイクには到底思えなかった。
自分とてシュンの立場であったとすれば、そのような冷静な判断が下せる自信は無い。学校が秘していた、過激派が狙った書物。それにどれだけの価値があるのか、その処分を自らが下していいのか、命がかかった場面であれ、子供である自分達には選択の荷が重すぎる。
ましてやシュンは生真面目が過ぎるきらいがある。彼がその判断を下すとすれば、そのタイミングは相当に追い詰められ、最早勝機すら見えない場面になるだろうと察せられた。
「くっ…… 『真魔法』の無い僕達は…… 見ていることしかできないのか……!」
口惜しい思いにリイクは拳を握りしめ、そんな彼の呟きに、ユアナが振り返った。
グラウンドを駆け、レラオンへと走るシュン。
「『バーンウィップ』!」
シュンの右腕から、収束された炎がムチを現わし、複雑な軌道でレラオンへと迫る。
「なるほど! 厄介だ!」
読みづらい動き、音速で走る炎。ステップを踏むレラオンの足下を、二、三と衝撃が火花を散らす。
「だが……! 『影刃』!」
両手をかざすレラオンの前方、左右上方と地面に闇の穴が開き、穴から飛び出した黒い刃が激しく踊る。シュンの炎のムチが、秒を待たずと寸断された。
「あ……」
「どうした? 終わりか?」
勝ちを確信した挑発的な笑み。
敗色に絶望しかけたシュンの心が、怒りにかられて頭を無理矢理に動かす。
「……『バーン・レッド』……!」
シュンの全身が赤く光る。強烈な身体強化の『真魔法』。
「ふん…… 芸の無い」
肉弾戦を挑むには適している。だが、すでにその魔法は何度といなされていた。同系統の真魔法はレラオンにもあり、地力での格闘能力には大差があった。
超速の突進をかけるシュンに対し、レラオンは体を引き、その衝突に備える。
「『ベイク・ブレード』!」
「……!?」
殴りかかられると踏んでいたレラオンの前で、突如シュンが巨大な炎の剣を生み出した。
先端の丸い、幅広の大剣がレラオンをめがけ真横に薙がれる。
レラオンの胴元が一閃を受け、驚いた表情のまま、彼は腹から真っ二つにずれ、分断された。
「っ……!」
必死の攻撃が決まった、そう思った瞬間――
「満足したか?」
背後から強烈な肘鉄が首筋に入り、シュンは地面へと頭から突っ伏した。
「まさか、この局面で身体強化からの『二重詠唱』とはな…… 今のは少しひやりとした」
上から振る言葉に、シュンは斬ったはずの前方を見る。
分断されていたレラオンの上半身と下半身が黒く染まり、闇の煙となって消えた。
「闇の魔法とは奥深いものだ…… それは真魔法であれ、変わるものではない」
浅はかだったと、起き上がれない体でシュンは思った。
最早どうして敵うと思えたのか、それすらもわからなかった。戦ってみて確信した。何もかもが違い過ぎる。
百回戦えば百回負ける相手、それほどの開きがあると理解できた。
「では、貰っていくとしよう」
倒れた時にこぼれ落ちてしまったガラの書を、レラオンが拾い上げた。レラオンは今までシュンがそうしていたように、本を左手に持ち、倒れたシュンを尻目に歩いて行く。
「く…… ま、待て……」
敵わぬとわかっていても、手が伸びる。自らの無知や甘さが招いた失態の責と、守ろうとした友人達のためにも、大人しくしているわけにはいかなかった。体は起き上がらない。
しかし、その言葉に応え、レラオンは足を止めた。
「ああ、もちろん待つとも……」
レラオンは振り返る。
「まだ貴様に、とどめをさしていないだろう?」
その右手に、闇の魔力が黒々と灯っていた。
避けようとも動かない体、激しい打撃により混濁する意識。
「さらばだ、愉快な道化よ」
闇の魔力がその黒を濃く、大きさを増す。
シュンは死を覚悟出来ることもなく、敗北のみを悟った。
――道化、そうかもしれない。
放たれた的確な言葉に、得心しながら。
シュンは、目を閉じる――
「なっ!? 貴様……!」
届いた声。勝者から漏れた狼狽の声に、シュンの意識が覚醒した。
「……?」
ぼやけた視線がレラオンの背と、彼と向き合っている白い学生服を捉える。
――ユアナ……!?
状況の理解が、シュンの視界を一瞬にしてクリアにする。
レラオンが少し手を伸ばせば届きそうな距離に、人質であったはずの友人が立っていた。
その両腕に、『ガラの書』を抱えて――
レラオンは動けない。
勝利を確信した上での油断、それ以外の何モノでもなかった。
あるいは、『真魔法』が彼女の魔力をかき消していなければ気づけたのかもしれない。迫ったのが彼女ではなく、リイクや教師など、男であるならばその足音に振り返れたのかもしれない。
背後から忍び寄り、『書』を奪い取ろうというその手に。
「ユアナ……!」
掠れた叫び声が痛みを伴い気管から発せられた。
シュンの声に、驚き留まっていたレラオンが我を取り戻す。
「くっ! 小癪なマネを……!」
レラオンの手が、本を抱きしめるように抱えるユアナに伸び――
ユアナの全身から、髪と同じ桃色の煌めきが散った。
「うおぉっ……!?」
レラオンの体が押しとどめられる。シュンは片眼を瞑り、眼前を腕でカバーしながらその様を凝視した。
彼女を中心に、人が近寄ることもかなわない暴風が放射されていた。
「『風』…… 風の『真魔法』か……!?」
両腕で風を凌ぎつつ、レラオンが呟く。
触れたユアナは『取り込んで』いた。
ガラの書が選び出した、彼女への『情報』を。
暴風の中心で、ユアナが叫ぶ。
「シオン!」
彼女の声とともに、
ガラの書が、空を舞った――