39.ある女生徒の意地
立ち止まったまま、三人は海に浮かぶ豪華客船を見ていた。
「いいなぁ、あれってどういう人が乗れるんだろ」
真唯がぼんやりと、羨ましそうに言った。
「いや、金さえ出せば誰でも乗れるだろ。まぁ…… 二、三十万はいると思うけど」
「いやいや、絶対無理だよ! あの船だったら何百万だって!」
それは不思議な感覚だった。目の前にあるのはガードレール。充孝からすればほんの少し、足をひょいと上げてまたいでしまえば越えて海に落ちられるような危険な場所だった。しかも彼らが立っているのは路側帯で、一歩後ろに下がっただけで車に持っていかれるだろうという場所でもある。
そんな場所であるというのにただ目の前を大きな船が走っただけで、栄作も、怖いと同意してくれていたはずの真唯でさえこの場を動こうとはしない。
充孝はただこの落ちそうな場所が怖いというだけでなく、元より高いところが駄目だった。そんな自分が立ち止まり、暢気に船を見つめている。
なんだか何もかもがおかしいが、それに抗う気はまったく起きず、すべての違和感を肯定的に受け止めている自分はなんなのか。
そんな疑問すらも、浮かんだ途端に薄れていってしまう。
「いつか乗ろうか、オレ多分船酔いするけど」
「なんだよそれ!」
充孝は最早、定められた未来に抗う術を持たなかった。
~~
道路の先一点を集中していた伊達の目が、何百メートルと先の信号で停まった一台のトラックを捉えた。
「来た……!」
「トラックですか!? 大将!」
「ああ、今、かなり離れた場所の信号で停まっている。俺の予想では信号が変わって、まっすぐに梢達の所まで走り抜けてくるはずだ」
「え? 私には見えませんけど、そんな遠くから一気にですか?」
「ああ」
二月とクモが伊達の視線の先をうかがうが、彼女らの目には見えないようだった。
「おいちゃん目がいい」
「特別製だからな」
言って、伊達はニヤリと笑った。
「さぁ勝負だ。やるぜ」
目は開けたまま、伊達が両手を広げて臨戦態勢に入った。
~~
ゴウ、と、三人の背中をトラックが通って行った。軽くクラクションを鳴らしたつもりで、なんの反応も示さなかったそれに首を捻りつつ、運転手がカーブを下る。
「おっ、漁船だ漁船」
すでに遠くなってしまった客船から、いつしか三人の興味は漁船に映っていた。
「ん~、俺もいつか小型船舶でも取ろうかな」
「え~? 船はどうするの?」
「栄作はいっつも考え無しだな」
「お前に言われたくねぇよ!」
渡った横断歩道の信号は既に三回の切り替わりを見せていた。しかし、いくら経とうとも彼らがそこを動く様子は無い。そして、交差点に現れる歩行者の誰もがそちらへは行こうとしない。行こうとして信号を待っていた者達も、信号の切り替わりを待って渡らずに脇道へ逸れて行くという不自然な行動を見せている。
そしてまた、信号機は赤から青へと変わった。
~~
気合一閃、伊達は千里眼ではなく戦術結界を張った。
「大将、この術式は……」
「ああ、干渉力特化で選んだ。仲間の防御力が二パーくらい、ちょろっとだけ上がるっていうしょぼいもんだが、これなら俺の負担も少ない」
「憶えてたんスねぇ…… 全く意味無いから忘れちゃったと思ってました」
「俺もびっくりだ。ものは試しだ、出力を上げるぜ!」
許される限界近くまで結界の出力を上げていく。
「うわっ! なんスかあれ!?」
比較的魔力の高い二月にも見えるようだった。伊達の作る黄金の防御結界が充孝が見た灰色のドームと干渉し、バチバチと互いを震わせながら干渉し合っている。
「色が! 色が混ざってきたっス!」
「ぬぅぅっ……! あと一息か……!」
歯を食いしばりながら伊達が結界の制御を続ける。灰色のドームに干渉した黄金の魔力が徐々に内部へと入り込み、その力を打ち消し始めた。
~~
「あれっ? ……ってうわっ!」
漁船を見ていた栄作が、ガードレールを握って身を乗り出していた自分に驚き、体を仰け反らせてた。
「えっ? えっ? わたし達って、何見てたんだっけ?」
「うん……?」
不自然な場所で立ち止まっていた三人は自分達がとっていた行動の意味がわからず、目を白黒させていた。
「……あっ!」
空を見上げる、充孝の脳裏に先ほど見た灰色のドームの記憶が蘇った。
そして思い出したその内容は、今まさに彼の眼前にその異様を繰り広げていた。
自分のいるその場所で、金色と灰色のもやのようなものが絡まりあって、互いに奮えながらせめぎ合っている。
「栄作っ! 逃げるぞ!」
「えっ? 逃げる? 何から?」
「何?」
彼らには見えていないようだった。充孝は伊達に言われた、自らの目の特殊性を思い出す。
「なんでもいい! 早くここから離れよう! なんかここはマズイ!」
「な、なんだよ充孝…… また急に……」
気づいた充孝の説得も虚しく、友人達は咄嗟には動いてくれなかった。
~~
「よしっ!」
ここが攻め時と一気に力を放つ。灰色のドームが急激に色を薄めていく。
「大将!」
「大丈夫だ! 魔法を変えたのが正解だった! これなら触れずにいける!」
「やりましたね……!」
「おう! 後は結界内であのトラックを止めてやれば終わりだ!」
トラック、という言葉に二月の首が結界の反対側に動いた。
「あっ……」
遠く、彼女の目に、緑色のトラックが他に車の無い道路を高速で接近している様子が映る。
「ぐぁっ……!?」
――灰色のドームがその色彩を黒に変えて巨大化した。
「なんだと……!?」
伊達の結界があっという間に色を失い、逆干渉されていく。
「ま、まずいっスか、これ! まずいっスか!?」
クモが慌てた、伊達は――
「二月ぃっ!」
びくっと、二月が伊達に振り返った。
「……安心しろ、あいつは死なない」
伊達は優しく、彼女に笑いかけていた。
それに呼応するように、黒のドームが灰色へと変化を見せる。
「さぁ行くぜ!」
気合を入れなおし、結界を行使する伊達。
しかし、先ほどの巻き返しにより、ドームはほぼ干渉前にまで再生している。
意を決し、伊達は『禁則』に踏み込んだ。
「ぬうぅぅっ……!」
伊達の体が明滅し、結界が一気にドームを侵食していく。
しかし――
「これは…… 持たねぇ……!」
トラックの接近から接触まで、侵食は間に合えど伊達が持ちそうになかった。
だが、力を緩めればドームの力に押し返される。
その時――
「……!?」
別の方向からの力が横槍を入れた。その力は伊達を手伝うように干渉し、合わさった力がドームの力をみるみると奪っていく。
思わぬ干渉、ひどく憶えのある波動に伊達は力の放たれた方向を見た。
そして、その方向に見つけて、呟いた。
「無茶すんなよ…… 寝てなきゃダメだろ……」
立っている喫茶店の屋根の下、最初に訪れた時には無人だったはずの駐車場に黒塗りの車が入っていた。
後部座席の窓からはか細い、白い腕が力を放っている。
その腕は力を使い切ったのか、健闘を祈るように親指を立て、力なく落ちた。
「ありがとよ…… 後は…… ……?」
思わぬ助力でひと心地ついた彼は、奇妙な違和感に気づかされた。
――トラックは、まだか?
「おいちゃん!」
「大将! 大変っス!」
「どうした!?」
結界を維持したまま聞いた答えは、恐るべき緊急事態だった。
――大将! さっきのトラックが曲がりました!




