33.東棟フィッシュオン
充孝は逃げ回りながら、由良木 未沙都のことを考えていた。
自分をライバル視しているのはここ数日の付き合いでわかった。だが、今こうして散々な目に合わされている理由がわからない。確かに、何か話しかければその度に、自分のついていけないような早いテンポで挑戦的な物言いをしてくる人ではあった。しかし、感じるその印象は険悪なものなどではなく、どこかゲームを競いあっている相手のような親しみのあるものだった。友達と言うには失礼かもしれない、気安すぎて先輩としては嫌がるかもしれない。でも、自分達と一緒に活動する部活の仲間、そう言ってしまうことくらいは許されるのではないか。
そんなことを思い始めていた充孝にとって、今の彼女の行動は理解しがたいものだった。
「そこですわね!」
張り付いていた廊下の柱に『衝撃波』が走るのがわかった。激しく音を立て、コンクリートが砕け舞う。脱兎の如く、充孝は逃げ出した。
洒落になっていない威力だった。部活中にはあの重い的以外には放たれなかった力、その威力は完全に、一撃で人を重症に追い込むことが予想された。
充孝は決して、彼女の射線上に立たないことに気をつけつつ逃げ続けた。
~~
後ろ側から入った四階の空き教室、そこに待っていたのは由良木 未沙都。
彼にとって同じ部活の仲間であり、同じ能力の保持者である先輩にして生徒会長だった。
「由良木さん…… どうしたんですか?」
もとは使われていた教室であった東棟の空き教室は机や教卓が以前のままに置かれており、彼女は教卓の後ろに陣取っていた。
「少しばかり、お話がありますのよ」
「……オレ、メールアドレス教えましたっけ?」
「それくらい、由良木の力を使えば調べるのはたやすいですわ」
なるほど、と充孝は思い。携帯を取り出した。
「……? 何をしてますの?」
ぽーんっと、未沙都の体から巷でよく聞くデフォルトな音がした。
彼女はブレザーのポケットからスマートフォンを取り出し、それを確認した。
――梢 充孝
件名:無題
本文:(´・ω・`)
「あ、ほんとだ。由良木さんだったんですね」
「……なんですの? これ…… なんだかガッカリしてますけど……」
「可愛いでしょう? 気に入ってるんです、あ、メルアド登録しておきますね」
「あなたね、私はそんな話をしに呼んだわけでは…… って登録ぅ!?」
「えっ? いけませんか?」
「いいですけど! それはいいですけど! あなた勝手に……!」
いいのか悪いのか、真っ赤になって叫ぶ未沙都からはわからなかったが、同じ部の部員だしと思って充孝は登録しておいた。
「ふっ、ふん……! 人から送られたメールからアドレスを登録だなんて、あなたも結構機械には習熟しているようですわね」
「……? 普通ですが」
「それよりも話、話があるのですわ!」
「は、はい……」
未沙都は教卓から、一瞬黒板側に背を向けて体を捻り、ビシッと指を充孝に向けて言った。
「梢 充孝! 明日は自宅謹慎を命じます、いいですね!」
身に覚えはある、のだが。その理由は少し違うような気がして充孝は尋ねた。
「それはかまいませんが、なぜです?」
その一言に、逆に未沙都が狼狽した。
「かまいません!? なぜですの!?」
「えっ……? なぜって言われても…… オレ明日は何もありませんし」
「明日はあの二人と遊びに行くはずでしょう! からかってますの!?」
「あの二人……? 二人って言われると…… 誰です?」
見に覚えのない話をされた充孝は、わけもわからずそう言った。
未沙都は、口惜しそうな顔で教卓に突っ伏した。
「そうですの…… しらばっくれるつもりなのですね……!」
「え? 由良木さん?」
その時、充孝の目が未沙都の体周辺に漂う空間の歪み、大気が熱砂に歪んだような光景を捉えた。
充孝は目を擦りつつも、これは何かまずいと直感した。
「元よりどのような返事がいただけようと安心など出来ません、最初からこうするより他なかったのですわ…… 私の実力を持ってして」
未沙都は目の前の教卓に向け、手をかざした。
「……!?」
轟音とともに教卓が居並ぶ机を椅子ごと吹き飛ばしながら充孝へと迫ってくる。
充孝は教卓をかわしながら、吹き飛ばされて飛んでくる机や椅子を念動で静止させた。
「い、いきなり何を……!」
「梢 充孝!」
未沙都は両手を前にかざし、全ての机や椅子をモーセのように教室の左右へと「力」任せに動かした。
充孝は初めて、由良木 未沙都という能力者の凄さを目の当たりにし、脅威として捉えた。
「正々堂々、私と勝負をなさい! あなたが勝てば明日はあなたの自由、私が勝てば、あなたにはしばらく入院してもらうことになるでしょう」
「勝負…… というのは?」
「無論……」
未沙都がかざした手から『衝撃波』が放たれ、充孝の後ろの壁に穴を空けた。
「決闘、ですわ」
後ろを振り返った充孝は石膏ボードが砕け散った様を見て、未沙都に告げた。
「お断りします!」
「なぁっ!?」
一直線に教室の扉を開けて廊下へと走り出す充孝、未沙都は急ぎ後を追うのだった。
~~
充孝にしては幸いなことに、未沙都の動きはそれほど速くなかった。やはり女子であり、長身の充孝の走る速さにはついてこれないということもあるのかもしれないが、その実、この間の魔力の使い過ぎによる体調不良が大きな要因だった。
本気で一目散に逃げるのだとすれば、充孝はすぐに逃げられたのかもしれない。しかし、充孝は彼女を気遣わずにはいられなかった。
――なんとかして、止めた方がいいのではないか?
そういう思いである。逃げ回っている間も学校はあちらこちらが損壊してしまっている。だがそれよりも、充孝は未沙都本人が心配だった。
「やはり、止めなきゃ…… だが、どうやって……」
自分に襲い掛かってくることは迷惑に思うが、不調のままであれだけの力を使い続けることは彼女にとって危険なことだった。伊達から習った魔法の理論、そこで学んだ『魔力切れ』という状態を引き起こしかねないのだ。
数日寝込む程度ならばまだいい。だが、その後遺症によって魔力を失ってしまったとしたらプライドの高い未沙都はどうなってしまうだろう、どれだけ落ち込むだろうと考えると充孝には彼女が心配でならなかった。
「私から逃げることは不可能ですわよっ!」
「……!?」
逃げ込んだ理科室の扉を音を立てて開き、未沙都が現れた。
充孝は手にしていた濡らしたスポンジを投げつけた。
「はっ! 無駄ですへぶぁっ!?」
衝撃波でスポンジを撃ち、水しぶきを派手に被る未沙都を横目に彼は教室を脱する。
逃げながら充孝は思った。
――どうしてすぐに居場所がバレるんだろう。
未沙都の秘密能力は依然、秘密のままだった。
~~
校舎へと戻ってきた真唯は、外から東棟を見て驚いていた。
「な、何……? どういうこと……?」
四階から三階にかけて、ところどころに窓ガラスが割れている。
「……っ!」
見上げていた二階の校舎の窓から、ガラスを突き破って机が飛び出していった。
ガラスの破片が空中で夕陽に反射する、非現実な光景だった。
真唯は地上に落下した机の盛大な音に耳を塞ぐ。
「何が…… 起きてるの……?」
~~
二階から一階へとは脱出せず、三階に戻ってきた充孝はそのまま四階の階段へと上った。階下からは、息を切らしながら上がってくる未沙都の気配を感じる。
適当に思いついたとはいえ、我ながら中々の作戦だと充孝は思った。
未沙都はどういうわけだか、充孝の隠れた場所や今いる階を的確に見抜いて追いかけて来てしまう。『千里眼』について知らないわけではないが、彼女がそれを使っていることに充孝の考えは至らない。しかし、タネがなんであれよかった。
追いかけてきてくれるのであれば、それを利用すればいいだけだ。
魚釣りゲーム。魚の体力が無くなるまで糸を緩めたり、ロッドを倒したりして耐えるというルールのそのゲーム。最近栄作と遊んだテレビゲームの内容が、こんな場所で発想に役立つとは彼自身よくわからない巡り合わせだった。
「こぉずえぇ!」
「うぁっ!」
階段の真下から、充孝の立っている場所に向かって衝撃波が放たれた。
すさまじい振動に足元がぐらつく。
「由良木さん! 階段はダメです! 本気で危ないですよ!」
「うるさい……! のですわ!」
身の危険を感じた充孝は四階の廊下へと脱した。
彼には今困ったことがある。
「ううん…… 弱らせて、どうやって捕まえよう」
作戦の最後、どう考えても、捕まえに行った自分が粉々になるイメージしか浮かばない。
大きな魚と戦う釣り人は、それを引き上げるだけの腕力を持っていなかった。




