31.学生達のシフト
近頃日が長くなった空にもそろそろと日暮れの気配が入ってくる。部活の後、休憩がてら飲み物を片手に小一時間程校庭で話しこんだ充孝達は、ようやくと寮までの短い通学路を歩き始めていた。
「ん~、やっぱり結構難しかったね」
「いやいや、穂坂はいいじゃん、ほんのちょっとでも緑色の光が出るようにはなったんだし」
「でもものすごく集中して一回だけだよ? 伊達さんみたいにお話しながらなんて多分一生無理じゃないかなぁ……」
初めて教わった別種の特殊能力に話題の尽きない帰り道。居並ぶ並木の一本に、紐とパイロンで簡易な柵をしかれているものがある。例の落雷を受けた木だった。
ふと、充孝がその木の前で足を止めた。
「なぁ、栄作…… 結局、超能力ってなんなんだろうな?」
「ん、どうした充孝?」
充孝は落雷により損壊を受け、根元から半分の高さで上部を切り取られた木を見つめていた。
「……オレ達はここに来て、大人達から言われるままに超能力を学んでいるけど、それに何か意味があるんだろうか」
「おいおい、何を急に言ってんだよ…… 学校に嫌気でもさしたか?」
突然に物憂げなことを言い出す彼を栄作が茶化し、真唯は心配そうに見ていた。
「いや、だって意味が無いじゃないか。オレはよく講師から褒められるけど、オレの念動って物を動かすだけだし、会長くらいなら意味はあるのかもしれないけど、オレの場合は自分でやった方が早いって能力じゃないか」
「まぁ…… そうだよな。俺もそうだけど」
「梢くん達はまだいいよ、わたしなんて紙一枚の裏側が見えたり見えなかったりだよ?」
三者三様に、使いどころの薄い能力だった。
「これは、ちょっと内緒にして欲しいんだけど…… 実はオレこの間、ここに連れてこられて初めて街中で能力を使ったんだ」
「えっ……?」
「お、おい……! 充孝!」
その独白に二人は絶句する。使用は禁じられていない、禁じられているのは学校の特殊性の露見だ。だが彼らにとって、逮捕に繋がりそうなものは全てが怖れの対象だった。
「ああ、大丈夫。多分誰も見てなかったと思うし、使ってすぐに逃げたから何も無い」
「ほ、ほんとかよ…… でもなんで……」
「梢くん…… 何に使ったの……?」
「……人助け、かな?」
充孝は先週の日曜にあったことを話した。
ちょっとした買い物ついでに街をぶらぶらしていたところ、異音を放ちながらバイクが進入禁止の商店街に入ってきたこと。そしてそれに轢かれそうになった人がいたこと。
「咄嗟だったから集中も出来なくて、中途半端に念動が出たのがよかったんだと思う。その人はふっとんだりじゃなくて、後ろによろけてバイクを避けられた感じだった」
「マジかよ、あんなとこバイクで走るか普通……」
「それで、その後は?」
「逃げたよ。あっ、やってしまった、と思って必死で逃げた。その日は帰ってすぐ、どっかから電話がかかってくるんじゃないかと思って携帯の電源を切った」
「あ、うん…… 怖かったんだね……」
咄嗟から必死、そんな心境だった充孝は使った相手のことなど印象でしか覚えていない。それが他ならぬ、先ほどまで指導を受けていた相手だなどとは露と思わなかった。
「……でも、それからかな。少し思うんだ。もうああやって直接誰かを助けたりする機会なんて一生無いと思うんだけど。ひょっとしたらオレ達の力って、自分達が思っている以上に何か使い道があるんじゃないかなってな」
「……まぁな、でもそれって伊達さんくらい使えないと意味ないんじゃねぇか?」
「ううん、梢くんの言う通りだよ」
「穂坂?」
どちらかと言えば穏やか。そんな彼女が珍しく強い声色を使ったことに二人は意識を引き寄せられた。
「だって由良木学園ってそういう所だよ。使い道があって、意味があるからわたし達はものすごくいい待遇がされているの。入ってから毎日、意味があるんだか無いんだかわからないことばかりやってるからたまに忘れちゃうけど、あの学校は国にとって、未来に繋がる投資なんだよ? わたし達がやってることはわたし達には意味は無いかもしれない、でも、きっとデータとして、将来誰かの役に立っていくものなんだよ」
二人は初めて、いや言った真唯も含めて三人は初めて、この学校がやっていることについて前向きに考えられた気がした。ほとんど騙されて入ってきた生徒達にとって、この学校の秘密の部分はネガティブな印象が当たり前だった。
真唯が今言ったようなことは他の誰だって思いつくし、知っていることだ。しかし同じ内容であったとしてもその印象はどうしても、一部の人間の利益、一方的な軍事利用などと悪い側面にばかり考えが繋がってしまい、結局フタをして自分の目先の日常だけに目をやってしまう。
きっと彼らにしても、ほんの一週間と前にこんな話を誰かにされても鼻白むのが関の山、それくらいにつまらない話ではある。だが、充孝が人を助け、伊達に出会って、部活に参加して、超能力が少し上手くなって、魔法を知って、自分達の可能性を知った。
この一週間はかけがえの無い、彼らの観念を変化させるに充分な時間となっていた。
「そうだな…… そういうものだよな」
「充孝?」
真唯の言葉に、いつも無表情な充孝が少し微笑みを見せた。
「ありがとう穂坂、オレちょっと…… これから頑張ってみる」
「え、いや…… いいけど、何を?」
「さぁ、まだわからない。でも、今より少しだけ、身を入れて力と向き合ってみようと思うんだ」
「んだよそれ…… ま、いいか、そのための部活だしな」
それは昔から自らの力に触れていながら、無関心であり続けた充孝の小さな成長だった。自らの力を出会いや経験の積み重ねの後、初めて心から自覚した。
その日は奇しくも、彼の予定された命日の前日――
「……?」
どぅ、どぅ、と充孝の胸ポケットの辺りで振動があった。
「栄作?」
「いやいや、俺じゃねぇよ、ここにいるじゃん」
胸ポケットに入った携帯電話。そこにメール着信の振動を与えるものは栄作か、たまに送ってくる家族以外にはまずいなかった。
滅多に無いことから、充孝はその場で携帯を取り出す。このご時勢若者にしては珍しい、スマートフォンではない携帯電話だった。
「なんだ、これ?」
――梢 充孝 様。
大事なお話があります。
東棟四階、空き教室でお待ちしております。
かしこ
「あん? どした?」
栄作が横から画面を覗き込もうとしてくる。充孝は少し腕を下に、栄作にも見える高さにしてやった。
ついと、いけないこととは思いつつも真唯も栄作の反対側から続いてしまう。
充孝は脇を挟む二人に見えるように、結構な低さに画面を持って来てやって自分は見づらかった。
「なんだこりゃ?」
栄作の第一声も充孝とほとんど同じだった。
「なぁ充孝、かしこって誰だ?」
「さぁ?」
「……女性が手紙の最後につける言葉だよ」
「へぇ」と生まれた時からメール世代の二人は同い年の女子に聞いて唸った。
「栄作、これってまさか、オレが街中で力を使ったのが誰かに……」
「え!? いやいや! それはないだろっ!」
自分で言って背筋が寒くなった充孝に、可能性を恐れて栄作がつっこむ。
「ってかイタズラじゃねぇの? 迷惑メール業者っての? 最近こういうの多いじゃん」
「なら、いいんだけど……」
「でも、ちょっと待って、イタズラにしては…… 考えられないよ?」
「……?」
真唯は充孝の携帯の画面を指差しながら説明してくれた。
「ほら、文章の始め梢くんの名前からになってるし、学校の東棟の空き教室とか、この学校に入れない人にはわからない内容だよ」
「そういえば…… そうだな」
「それに、ここ、アドレス」
「アドレス?」
送り主のアドレスは英単語のスペルをいじったものと数字を組み合わせたもので、ドメインには一般的な携帯電話キャリアのものが使用されている。
「あっ、オレの携帯と同じ会社だ」
「最近はどうやってなのかそういうアドレスで送ってくる迷惑メールもあるんだけど、このアドレスって無作為にパソコンで作ったってものでもなさそうだし、ちゃんと誰かの携帯から発信されたものだと思う」
「そういや…… 迷惑メールなら絶対付いてるリンク先が無いな。普通に誰かからの呼び出しってことか」
どこかの誰かから送られてきた呼び出しのメール。
文面は普通ながらも、やはり不気味なものがあった。
「東棟四階ってことは…… 部室とは逆の四階か」
「おいおい…… 俺達そっから覗かれでもしてたのか?」
「それはない、と思うけど…… どうする梢くん?」
少し逡巡した後、充孝は――
「行ってくる。二人は先に帰ってくれ」
「おい、充孝」
「呼び出されたのはオレだ。誰かはわからないけど、今待っているのなら行ってやらなきゃかわいそうだし…… それに、最悪の事なら二人は関わらない方がいい」
最悪の事、言うまでもなく逮捕に繋がる事だった。
「じゃ、またな」
充孝は振り返り、もと来た道へと歩み始めた。
「ちょっと梢くん!」
後を追おうとする真唯の肩を、栄作が掴んだ。
「木林くん……」
「大丈夫だ、穂坂」
「えっ?」
「充孝にはよくあることさ、なんの問題も無い」
自信たっぷりに、妙に芝居がかった口調で遠い目をする栄作。
「よくあるって…… 何?」
栄作は遠い目を、茜色を見せ始める空に移し、感慨深げに言った。
「人気の無い所に呼び出されて女子の方から告白―― 俺には縁のないことでござんす」
先ほどまでのメールに対する話し合いが、一発でおじゃんになるほどに的確な推察だった。
「えっ!? えぇぇぇーっ!?」
「いやいや、あいつからすれば普通だって」
ぼーっとしたカピバラさんの日常は、一般人には少女漫画の世界だった。




