7.卵達の反乱
「あ、あれは……!」
シュンが持つ古い辞典のような一冊。校長がその一冊に驚きを表する。
「まさか…… ガラの書……!」
レラオンは察した。校長の表情と、先ほどの火球を放ったとは思えない、生徒の未熟な魔力。解は他に無かった。その顔が愉悦に歪む。
「くっ…… はははっ……! 誰かは知らぬが教師思いなことだ! 自ら持ってきてくれたようだぞ! これは有り難い!」
もはや用済みとばかりに、レラオンは校長を残して近寄ってくる少年に向けて歩み出す。
レラオンとシュン、二人は互いに向かい合い、足を止めた。
「よくやった少年よ、よくぞそれを手に我が前へと現れた。我が名はレラオン、君の名は?」
「……悠長だな、犯罪者。仲間がやられた所を見なかったのか?」
「見たとも、実に素晴らしい。是非、名を聞かせてくれ」
鋭く睨むシュンに対し、高揚と余裕を湛え、居丈高にレラオンは尋ねる。
「城野村瞬……」
「ふむ…… シュンか、良い名だ。我が同志となるにふさわしい」
「同志……?」
「そうだとも……」
レラオンは右手を振り、周囲のローブの者達を示した。
「ここにいる我が同志達は私のもたらす理想郷を理解し、その実現に向け、私の信奉者として動いてくれている。国家の枠組みなど存在しない、争いも飢えもない世界、その実現に向けてだ」
レラオンと目が合ったローブの者達の数人が、胸の前で左拳の上に右手を合わせ礼を返した。
「それに必要なものこそが、君が手にした『ガラの書』と、君のような有能な同志だ。キノムラ・シュン、君は我らにとって今まさに重要な、かけがえのない第一歩をもたらしたのだ」
握手を求めるように、レラオンの左手がシュンへと差し出される。
「さぁ、ガラの書を私に。君は我が同志として望むままに、丁重に迎え入れると約束しよう」
シュンは本を両手に抱え、今は輝きを放たない、その豪奢な装丁の茶色い表紙へと目を下ろした。
「へぇ…… これ『ガラの書』っていうのか、名前は中には書いてなかったのかな……」
レラオンを無視するように、しげしげと表紙を見続けるシュン。
その落ち着きに、レラオンの目元がわずかに強ばった。
「まぁ、わかるよ。お前らはこれが欲しくてここに来たんだな、その価値は確かにある。ただ、お前らに渡しちゃいけないっていうのも、よくわかるな」
「……!」
レラオンは知っていた、『ガラの書』のその特性を。彼の表情が喜色ばむ。
「伝承通りか……! すでに全てを『取り込んで』……!」
「何を喜んでいるんだ? 渡さない、俺はそう言ってるんだ」
レラオンが素早く、生徒達に向けて右手を掲げる。
再びユアナを中心に、彼らに動揺が走った。
「おい……」
「悪いことは言わぬ、献上したまえ。全てを知ったとはいえ、よもや知っただけで私に敵うとは思わぬだろう?」
余裕の笑みを浮かべ、再びレラオンは左手をシュンへと差し出す。『ガラの書』に理解のあるレラオンは、少年の自信の源に見当がついていた。それこそが、彼が求めるものでもある。
レラオンからすれば、動かしがたい魔力量の差。厄介には思えども怖れる必要などは無い。
だが――
「……焦るなよ。交渉に人質なんて、焦ってますって言ってるようなもんだ」
「……!」
「別にどっかに通報したり、軍隊呼んできたりなんかもしていない。時間ならたっぷりある」
シュンの言葉に、学校に現れてから初めて、レラオンの表情から余裕が奪われた。
『勝てる戦いではあろうとも、今争いたくは無い』、的確にその内心を見抜かれ言葉を失った。
彼らが生徒達を集めた理由、それは交渉のため。ではなぜ交渉が必要なのか―― それは『時間が限られているから』。
彼らは国を相手取ることなどできない一介の過激派。シュンは見透かしていた、用務員が与えた助言によって。
「安心しろよ。お前ら弱っちい連中をぶっ倒す、その時間もたっぷりあるぞ……!」
ゴウと、シュンの右手から炎が巻き起こった。
「な……! き、貴様……!」
「よくもユアナやシオンをびびらせたあげく、リイクに怪我までさせてくれたな……! ブン殴って国につきだしてやる! 覚悟しろ!」
その火力にレラオンがたじろぐ。シュンから感じる魔力量は大きくは無い、だが生まれた炎は明らかに高火力。信じがたい魔力変換効率だった。
「レラオン様!」「こいつ……!」
近場で生徒達を見張っていたローブの者達から三名が、レラオンとシュンの間に割って入った。そのままに、彼らはシュンを打倒しようと襲いかかる。
シュンは軽く、左手にあるガラの書を握った。右腕に淡く青い光が散り、前髪にブルーのハイライトが灯る。
「『フレイムタン』……!」
シュンが腕を横に薙ぐ。彼の周りに炎が輪状に放射され、三方から攻め入ったローブの者達を吹き飛ばした。
「……!? 『真魔法』……!」
レラオンの目が驚愕に見開く。
どこからともなく、ローブの者達の一人から声が上がる。
「かかれ! 仕留めろ!」
グラウンド中にいる、数十という黒いローブが矢継ぎ早にシュンへと殺到した。
「……『バーン・レッド』」
シュンの体を赤い魔力が照らす。
接近し拳を振るうローブの者。その拳を真正面から手のひらで受けたシュンが、拳を握り―― 力任せに振り回した。
脱臼した状態で武器となり、周囲のローブ数人が人間の体に打ち払われる。
驚きとどまった者達へと、地を蹴ったシュンの体が迫る。
蜃気楼を映すような、赤く熱い残像を残して暴れ回るシュン。一瞬にして五人が拳や蹴り、体当たりにさらされ、地面に倒れていった。
誰に捕らえられることもなく敵の輪を抜けたシュンが、垂直に空へと跳んだ。
――あの魔法を、示してくれ。
左手の本を握る。見上げるローブの者達へと向けられたシュンの手のひらに、青い光の粒子が集う――
それは味わったことの無い、聞いたことも無い、奇妙な感覚だった。
どう魔力を練ればいいのか、どの魔法を使えばいいのか、全てが全て、当たり前のようにわかっていた。左手に抱えた一冊の本、それが『彼に出来ること』を教えてくれるのだ。
地下の神殿でいらだちに任せて本に触れた。その瞬間に、『ガラの書』は自らの持つ膨大な情報、彼に出来うる魔法、その全てを伝えた。
そして『ガラの書』に記された、『真魔法』に触れたシュンは悟った。
この本があれば、友達は自らの手で充分に救い出せると――
「『フレイムボルト』!」
現れた時にも見せた巨大な火球が無数に放たれ、ローブの者達に誘導して炸裂した。
グラウンドに木霊す悲鳴と轟音の中、シュンは降り立つ。その絶対的な力の前に、もはや考え無しに立ち向かっていく者の姿は無かった。
シュンの目が、立ち尽くしているレラオンへと向かう。
「くっ……! 動くな!」
レラオンがその右手を、三度生徒達へと向けた。
その判断を見たローブの者達の数人も、生徒達へと手をかざす。
「……恥ずかしいやつだな。悪あがきすんなよ」
「黙れ! 早くガラの書をこちらに……!」
シュンは素直に、有り難いと思った。
「やってみろよ」
「な、なに……?」
これほどのクズ達ならば――
「そんなに痛い目に合いたいなら、やってみるといい」
優しさなんて、必要ない。
「きっさまぁあ!」
レラオンが生徒達、ユアナに向けて魔力を高める。
「ユアナ!」
「くっ……!」
シオンが叫び、リイクが狙われた彼女の前へと飛び出した。
レラオンの手に、闇の魔力が広がり――
「……無駄だ」
「……!?」
魔力は勢いを失い、消失した。
「な、なんだと……?」
愕然と、レラオンが自らの手を見、再び力を放とうと手をかざす。だが、魔力が高まりを見せることはおろか、集まる気配すらも生まれない。
彼と同じく数人のローブの者達も、何も生み出せない自分の手を見つめていた。
「ど、どういうことだ……!」
「欲しがってたわりには、知らないこともあるんだな。これが『真魔法』の力だ」
くだらないものを見るような目で、シュンは言った。
「この本にはこう書いてある。『『真魔法』の前に、他の『魔法』は存在出来ない。全てを統治するマルウーリラの王者の魔法である』、と」
レラオンが驚愕に身を固まらせる。
「そ、それが…… 『真魔法』の真の力……!」
「そういうことだ、つまるところ……」
シュンがレラオンへと、ゆっくりと歩み寄る。
「今この場で魔法が使えるのは、本を持っている俺だけだ」
「……!?」
シュンの右の拳が、レラオンの腹部へと炎を伴って叩きこまれた。
魔力による基礎的な身体強化さえも許されない、ただの人間と化していたレラオンの体が、巻き上げられた木の葉のように空へと舞い、グラウンドへと仰向けに落ちた。
そして、一拍の間を置き――
「今だみんな! 暴れろ!」
リイクの声がグラウンドに響き、一部の生徒、教師達がローブの者達へと襲いかかった。それを皮切りに、我も我もと争いに参加する者達が連鎖的に生まれ、圧倒的に数で勝っている生徒達が、ローブの者達を取り押さえ始める。
「……リイク、やるなぁ」
シュンは率先して指揮をとる友人、女だてらにどこからかスコップを持ちだし戦い始める友人、争いにあわあわ逃げ惑う友人を見ながら、騒ぎの決着に安堵のため息をもらした。
左手に抱えた『ガラの書』。その始末をどう着けるかを考えながら。
喧騒の中、大の字に倒れたレラオンの右手が、ぴくりと動きを見せた――