6.殻の割れる時
祭壇の上にて輝く本。
非現実の光景に目を奪われていたシュンは、一つかぶりを振った。
「出口……! 出口を探さないと……!」
目の前の光景が異様であれ、今はかまっている暇はない。友人達が捕まり窮地に立たされている。自分を庇ってくれた用務員のことも心配だった。
我を取り戻したシュンは体ごと辺りを見回し、脱出路を探す。
「無い……?」
だが、二、三と周囲を見渡した彼は、無情な現実を目の当たりにする。
この神殿には、入り口以外のものが見当たらなかった。
「そんな…… うそだろ……?」
だだっ広い一室を壁伝いに、本が放つ光を頼りにねずみのように走り回る。
しかし石壁には扉はおろか、手を差し込めるような継ぎ目すらも存在しない。
用務員は、入ったとは言っていなかった。だとすれば――
「ここは、抜け道なんかじゃないのか……?」
眩い光の中、目の前が暗くなる思いに立ち尽くす。
皆を救うと勢い込んだ結果、これではまるで自分だけが安全な場所に逃げ込んだようで、道理に合わない、理不尽な罪悪感に見舞われた。
もとはと言えば、見当違いの話を吹き込んだ用務員が原因ではある。とはいえ、今彼を責める気にはならない。身を挺して逃がしてくれたことは紛れもない事実であり、責めたところで何一つ前に進まないのも事実だ。
「くそっ…… どうすれば……」
今更戻る気にはならなかった。戻って何が出来るわけでもない。友人達と仲良くグラウンドに押し込められるのが関の山だろう。
もしかすると、一度こうして逃げたことで酷い目に合わされるかもしれない。すでに上では何かが起こっていて、誰かが失われているところを目にするかもしれない。
シュンは中央の祭壇へとふらふらと歩み、力無く石段に腰を下ろした。
そして腰を下ろしてうな垂れ――
一分と経たないうちに彼は立ち上がり、背後を向いた。
「眩しいんだよっ! このっ!」
それは少年らしい、どうにもならない気持ちからの、わがままな憤慨だった。落胆した心に無遠慮な光の刺激を与える、わけのわからないどうでもいいものに対してのやつ当たりだった。
乱暴に振られた手が、宙に浮かぶ本へと迫り――
――ガラスの砕けるような音とともに、シュンの手が、本に触れた。
百を超えた生徒達と、それを取り囲む黒いローブの者達。
彼らの元へと、丸眼鏡をかけた白髭の老人が、中央棟の玄関より引き出されてきた。
脇を固められた老人は集団から離れて事態を見守る男、レラオンの前へと連れられ、両手を後ろに跪かされた。
「遅いな、校長。もう少し早く出てきてもらいたいものだ」
「レラオン…… やはり、お前か……」
老人は男の顔を見るや肩を落とし、眉間にシワを寄せた。
「ほう、この私を憶えているか。まだボケてはおらんようだな」
「忘れられるものか…… お前のような生徒、卒業後四年経つ今も、それまでの学内の歴史の中にも、二人といようはずがあるまい……」
「だろうな。私が二人もいる、考えただけでもゾッとする話だ」
対するレラオンは、高い上背から目線のみを下に、校長に向けて口角を上げた。
「まだ…… 恨んでいるのか……? この学校を」
「恨む? 何をだ?」
「『闇』属性を得意としていた。それだけを理由に、最優秀生の座を与えなかったことにだ……」
目を伏せ、哀れみを伴うような口調。レラオンはその言葉に失笑した。
「レラオン……」
「ふっ……! はっはっはっ……! いやいや、驚いた。そのようなこともあったなと、我が身を振り返ってしまった。まさに若気の至りだ、そんな小さな世界の枠を気にしていた頃を思い出したよ」
愉快そうに、笑みを湛えつつレラオンが校長へと歩み寄る。
「安心したまえ校長。私は貴様も、この学校も恨んでなどいない。むしろこの学校は私に多くの学びを与えた。感謝している…… 私にとっての、良い踏み台だった」
彼はしゃがみ、校長と視線を合わせた。
「さて校長…… 『ガラの書』はどこだ?」
「……!? ガラの書だと……?」
「古代マルウーリラの時代に書かれたという、『真魔法』が記された一冊。ここにあるのだろう?」
校長の顔が蒼白に変わる。その表情が、ここに「ある」という事実を物語っていた。
「お、お前…… どこでそれを……」
「私を信奉する同志達が調べあげてくれた。まさかかつての古巣にあるとはな…… 悪いことは言わぬ、献上したまえ」
歯をくいしばり、嘆息を見せ、校長が言う。
「……出来ると思うか? 世界を一変させてしまう禁忌…… 誰の手に渡せるものでもない……!」
ニィと、レラオンが歯を見せる。
「出来る出来ないではない、出さざるを得ないのだよ」
「尋問にでもかけるか……?」
「いやいや、そのようなことをする必要は無い。貴様が口を割らずとも、ここにいる私が指示を出し、同志達が学校中を調べ回ればカタが着く話だ」
レラオンは立ち上がり、生徒達を見渡した。
「だが…… やはり老人の口を割らせる方が楽で、愉しい」
そして彼の目が、一人の少女を捉える。
「……!?」
少女の目が、鋭く睨む紫色の瞳に射貫かれた。白い学生服の肩が、わずかな強張りを見せた。
「レラオン……! お前まさか……!」
「なぜわざわざと生徒達を殺さずにここに集めたと思う? 全ては貴様自らに、口を割らせるための算段に決まっているだろう?」
レラオンの右手が、白い学生服の少女―― ユアナに向かって掲げられる。
「やめろレラオン!」
「ならばガラの書を献上しろ。神学の特待生、未来を担う生徒を見殺しにしたくなければな」
掲げられた右手に、黒く闇の魔力が集まる。
ユアナの周りの生徒達に動揺が走り、距離を置こうとする者、身動き取れなくなる者で生徒達の波が揺れる。
「くっ……!」
「さぁ校長、今こそ決断の時だ! 簡単な決断だろう! どの道貴様が口を割らずとも、ガラの書は我が手に落ちる! 早々に頭を垂れ、この私に屈せ!」
空間に穴が開いたような黒色の塊が、レラオンの叫びとともに大きさを増す。
校内の誰しもが、見たこともない絶大な闇の力に脅威を覚えた。
「わ、わかった…… ガラの書は……」
強情を貫いたところで変わらない結果。
言い含められるままに校長が口を開きかけた、その時――
――四つの巨大な火球がグラウンドへと飛びこみ、生徒を囲むローブの者達に炸裂した。
爆炎と悲鳴が巻き起こり、グラウンドは一時騒然となる。
「な、なんだ……!?」
砂煙に顔をしかめ、レラオンが火球の射出された方向を睨む。
グラウンドから校舎へと続く石段の上。そこには一人の、男子生徒の姿があった。
「シュン……!」
ユアナがその姿に立ち上がる。
「シュンだって……!?」
その隣で、いつでも彼女の前に飛び出せるよう、密かに身構えていたリイクが声を上げた。
シュンが石段を下り、ゆっくりとグラウンドをレラオンに向かって歩き出す。その手には一冊の古い本。彼が地下で出会った、光り輝いていた本が携えられていた。