12.プライベート・レッスン
一日の学業の終了を告げるチャイムが鳴る。生徒達は三々五々と教室を後にしだした。
午前中に滝のように振り出した雨はなりを潜め、今は穏やかに耳障りの良い水の音を聞かせている。
「充孝、帰ろうぜ?」
終業のホームルームが終わってもまだ動かない充孝に、栄作が声をかけた。
「……ん? ああ……」
「何ぼーっとしてんだよ、そんなんだからアルパカって言われるんだぜ」
「ああ、そうだな……」
カピバラだ、とツッコミすら入れない。今日の充孝は不調のようだった。
いつもぼーっとしている充孝だが、さすがに栄作には違いがわかってしまう。彼は今日一日、呆けているというよりは心ここに在らず、そんな状態だった。
「そんなに気になるなら、今から会いに行ってみるか?」
充孝は朝から、あの用務員に出会ってからこの状態だった。昼休みに聞いてみて用務員が気になると聞かされた時には、お前ソッチのヤツかよなどとからかった栄作だったが、見たことも無いくらいに深刻な放心を見せる充孝を見るに次第に彼を心配するようになっていた。
「……やめとく」
「いやいや、でもお前…… なんか体調まで悪そうというか……」
「気にはなるけど、話すことが無いんだ。何を聞いていいのかもわからない」
栄作が聞いた所によると、充孝が気にしているのは『目』だった。今朝、用務員の目を見た後、背中に何か不安のようなものが張り付いて離れなくなったと言う。
顔を見たくらいの印象だった栄作には理解出来ない話で、実際に見たとしても理解できないだろうと思われる、わからない話だった。
「そんじゃ、帰るか。帰ってお笑い番組でも見て、忘れて寝れば明日にはすっきりするかもよ」
「……そうだな、なんか疲れた。帰って寝る」
二人は鞄を持って教室を後に、下駄箱を越えて雨の降る校庭へと出た。
幸いにも傘を差すまでもない小雨になっていた。いい時間に出られたなと声をかけた栄作だったが、充孝は反応しなかった。
そこに――
「二月……」
充孝の行く手を遮るように、赤い傘を差した小さな下級生がいた。
二月は真っ直ぐに、充孝を見ていた。
充孝の脳裏に、既視感が走った。
それは昨日に対してではなく、今日に対するもの。
――同じだ。
自分の胸の辺りを見ているであろう二月の目から覗くもの、ふと目があった用務員の目から覗いたもの、それは同じだった。
だが、違いはある。彼女の目は、不安の度合いが薄い。
「明日、雷、気をつけて」
空を指差し、そう言った彼女はくるりと傘に隠れ、そのまま歩いて行った。
「おい! 二月!」
それを悪趣味に感じた栄作が二月へと走り出そうとする。
しかし、それを手を横に、遮ったのは充孝だった。
「お、おい…… 充孝……」
「栄作……」
充孝は珍しくはっきりとした口調で言った。
「伊達さんに会いに行こう。やっぱり会っておきたい」
その言葉にただならないものを感じた栄作は毒気を抜かれ、
「……おう」
と、短く答えるのだった。
~~
「と、いうわけでして、特訓ですわ!」
一日の業務を終え、帰る前の挨拶のつもりで理事長室に入った伊達は思わぬ引止めを食っていた。
ニコニコ顔で目の前の少女が両手に握りこぶしを作っている。
「……? 特訓?」
「いやですわ師匠! 私は弟子なのですよ! 特訓していただかないと」
「……あー」
楽しみだったはずの昼飯の時でさえ、今日の二月との会話のことばかりを考えていた伊達は、今更ながらにそんな設定があったことを思い出した。
「うん、今日は気分が乗らないからパス」
「えぇー!?」
後ろを向いてさっさと部屋を出ようとする伊達に、未沙都がドア前へと回り込んですがりついてきた。
「お待ちに! お待ちになってください!」
「あーもうっ、めんどくさいなぁっ!」
正直そんな場合じゃなかった。タイムリミットを切られてしまった今の段階で、こんな変なのに関わっていられる心境ではない。
それに何より、『明日』は明日で結構なヤマなのである。
「だいたい特訓って言われても今日雨だろ! どこでやんだよ! 部屋の中で大型二輪ぶっとばすような念動ぶっぱなす気なのか!?」
「そ、それは…… なんとか…… ああ! ならば千里眼の方を……!」
「そっちは秘密なんだろ? それに梢に抜かれたくないのは念動の方だろう、そっちが上手くなっても君の目的には関係ないじゃないか」
「む、むむぅ…… な、ならせめて基礎的な……」
「うぅむ……」
「やってあげればいいじゃないスか」
はっと、その方向を見た。
「クモ……!」
伊達の後方、部屋の真ん中ほどに、いつの間にやらそいつが浮いている。しかも、
「そういう約束で協力してもらってんでしょ? ないがしろにしちゃだめっスよ」
はっきりと、万人に認識出来る状態で気だるげに空中に寝そべっている。
「うぉい! お前何やってんだ!」
「えー、もういいじゃないスかー、フタッキーにもバレちゃったし、別になんの問題も無いっスよー」
この世界に来てからわりとまともだったので失念していた。伊達が知るクモとは本来こういうやつだったのだ。基本、出たがり。
伊達はハラハラと、次の展開がどうなるかを予想出来ずに後ろを振り返った。
未沙都が口元を押さえ、わなわなと震えながら、目をうるうるさせていた。
「こ、これはなん――」
「シャラップ! わかった! 特訓に行こう! 絶対に騒ぐな頼むから!」
~~
理事長室が入っている四階フロア、その端にある今は使われていない空き教室へと伊達達は移動した。一階から四階までをほぼ同じ間取りで作られる学校の構造上、特に使われていない教室というのは存在するものだが、その場所は意外なほど近くにあった。
「あるにはあると思ったが、まぁここなら充分だろ」
伊達はざっと教室を確認する。見事なくらい何も置かれていない部屋だった。あるのは隅に長机が二脚、その上に畳んで置かれたパイプ椅子が四脚、後は埃を被って立たされているホワイトボードが活躍の時を待っているくらいだった。
未沙都は「はー」とか「ほぇー」とか発しながら、ぱたぱた跳びまわるクモを夢でも見ているかのように目で追いかけているが、構うのも面倒なので捨て置いた。
「さてと……」
これ幸いと、未沙都が妖精に目を泳がせている隙に伊達は右腕を、何も無い空中へと『吸い込ませて』いく、腕は僅かに見える紫色の裂け目の中へと入り、彼は未沙都の様子を見張りながら裂け目の中で腕をゴソゴソとやった。
「ん、あった」
ややあって、伊達は腕を引き抜く。そこには紫色の台座に、赤、青、黄、緑の四つの正方形をした宝石がはめ込まれた木箱があった。彼がこの紫色の空間から出すものはその大概が埃まみれなのだが、この木箱はその中でも例外的に埃を被ってはいない、使用頻度の高いものと言えた。
伊達はその石を台座から外し、部屋の四隅へと置いていく。
「……? 何をしてらっしゃいますの?」
妖精に呆けていた未沙都がその様子に気づいたらしく、声をかけてきた。
「魔ほ…… いや、超能力を遮断する結界をな。これさえ張っておけばよっぽど大きな力でもない限り教室の破壊は防げる」
言いながら伊達は部屋の真ん中へと進み、音をたてて両の手を合わせ、魔力を放出した。
部屋の四隅からそれぞれの宝石に則した色の光の柱が上がり、結界が形成される。
「……すごいすごい! なんですの! 綺麗……!」
未沙都は女の子らしく胸の辺りで手を組み、目をきらきらさせながらその光景に魅入っていた。
もう何百回と見ている伊達でもこの結界の形成の様相は嫌いではなく、実のところ部屋で酒を飲みながらたまにムードランプに使ったりしている。部屋の明かりを消せばちょっとしたバー気分に浸れるという、この宝石の出所からすればバチあたりな使い方だった。
「じゃ、始めるか…… 何しようかなぁ……」
こうして、やる気のない師匠のいいかげんな個人指導が始まった。




