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玄人仕事  作者: 千場 葉
#4 『スクール・スーパーバイズ』
51/375

5.彼女と秋と、今保健室

 

 真唯を連れた充孝と栄作は保健室へと続く廊下を歩く。

 背後には金色に輝く妖精が忍び寄って来ているが、それに気づく様子はない。


「そういえば穂坂、授業始まってたってのになんであんな所に?」

「次の授業移動教室だったんだけど、忘れ物を取りに……」

「災難だな…… それでオレを見ちゃったのか……」


 たどり着いた彼らは保健室の扉をスライドさせ、中へ入った。

 生憎と出て行ってしまってるのか、保健室に校医の姿は見えなかった。

 食堂と同じく、無駄に広い保健室の間仕切りは全て開かれているが、ベッドに寝ている生徒も見当たらない。完全に無人のようだった。


「先生いないのか……」


 顎に手を当て、充孝は部屋を見回していた。感情に乏しいわけでは無いが、ぼーっとしていることの多い彼の真顔はいまいち何を考えているのかはわかりにくい。とりあえず、今は困っているようではあったが。


「んじゃ、俺ちょっと職員室行ってくる。タイルのことも一応誰かには言っておいた方が良さそうだし、ついでに先生呼んでくるわ」

「あ、あの、別にわたしは……」


 そそくさと、三枚目がイケメンスマイルを作って出て行こうとするのを滑稽だとも思わずに引きとめようとする真唯はいい子だが、栄作はさっさと出て行ってしまった。

 栄作一流の気の利かせ方なのか、こうなると自然、真唯は充孝と二人きりになってしまう。

 うわー、うわー、と頭が真っ白になりながらも横で顎に手を当てている充孝をチラ見する真唯だが、彼はやはり二人きりでは緊張を禁じえないほどに二枚目だった。


「ん?」


 見られているのに気づき、充孝が彼女の方を向いた。外国人レベルの高身長を誇る彼と、日本人の平均をやや下回る彼女とでは身長差が有り過ぎ、彼は結構な角度で下を見ることになる。そして見える部分もほぼ頭部だ。

 向いた途端に目線を逸らし、もじもじしている頭部をぼーっと見る。


「痛いのか? 穂坂」


 見る限りたんこぶはわからない、出血している様子もない。


「えっ、あっ…… だ、大丈夫……」


 かれこれ何度目かの大丈夫だったが、充孝は心配だった。


「ダメだぞ穂坂、血が出ていないと言っても頭は怖いんだ。脳挫傷のうざしょうって知ってるか? 打った場所が内出血してて後になって頭痛が来て大変なことに――」

「こ、怖いこと言わないで!」


 これは充孝の叔父さんに起こった実体験だったが、ちょっとリアルに迫り過ぎたらしい。真唯は泣きそうな目で彼に抗議した。


「ご、ごめん……」

「え、あ…… ごめんなさい……」


 恵まれた容姿とそのぼーっとした性格のせいか誤解を受けがちだが、実のところ充孝は女子が苦手だった。誰かと付き合ったなどということはこれまでになく、そもそも彼は自分がモテる類の人間だなどとは全く理解していなかった。二度、三度、女子からの告白を受けたことはある。だが、それを全てからかいや悪ふざけだと誤認するような、自分に自信など欠片も持たない小心者というのが彼の本性だった。

 現に今も、異性と二人きりにされて頭がわけのわからないことになっているのは真唯だけになく。彼も同じだった。


「あ、あー、そうだ。さっきは、ありがとうな」

「えっ……?」

「後ろから突き飛ばしたのって、タイルが降ってきたのがオレに当たりそうだったからなんだろ? まだお礼言ってなかった。ありがとう」


 本当のことを言えば、助けてもらう必要なんてなかった。タイルが降ってきた時、反射的に『念動』で吹き飛ばそうと手を向けたが、別にそれすらも必要なかった。いくら大きな学校だからと言って廊下の天井が無駄に高いわけじゃない。彼の身長からすればかざした手で普通にキャッチしてしまうことも出来たし、当たったところで多少痛いだけの話だ。客観的に見れば、彼女のやったことはしなくてもいい怪我を負って無駄な心配をかけた、それだけだった。

 でも充孝は、そんな彼女の行為を素直に嬉しいと思った。


「オレみたいな変わってるでっかいのを助けようなんて、いいやつなんだな、穂坂は」


 ちょっと照れくさく、視線を外し斜め上を見ながら言う充孝。真唯はそんな彼の顔を見ながら、首から頬にかけて、ゆだってしまいそうなほどに火照っていく感覚にどうにかなりそうだった。


「い、いいんだよ、梢くんだし……」

「……? オレだし……?」


 真唯は自分の感情を誤魔化そうとしてつい言ってしまい、充孝はそれに食いついてしまった。


「え…… あっ……」

「……?」


 自らの失敗に思わず狼狽してしまう真唯。しかし彼女は――


「梢くん、覚えてるかな……」



~~



 それは去年の秋のことだった。


「はぁ……」


 放課後、中庭にある自販機横に設置された長椅子に一人座り、真唯はため息をついていた。


「わたし…… だめなのかな……」


 真唯は成績の優秀な子だった。私立中学から進学校へと進み、国から編入を勧められて由良木へと入ることになった彼女からすればこの学校の偏差値は低く、家に帰れば将来を考えてと大学に備えた自習をするほどだった。

 もっとも、入った時点で一流大学卒よりも遥かに価値のある学歴を持った由良木生にとって、それがどれほどの意味を持つのかは彼女をしてもわからないものだったが。


「はぁ……」


 何度目になるのか、ホットココアに息が跳ね返り蒸気がメガネを曇らせる。痛くはなくとも、みぞおちから喉元にかけて重い空気が溜まっていき、ついそれを吐いてしまう。実際につくため息は、最近読むようになった小説に出てくる人物達がなんとなくでつくそんなものより、遥かに重く感じた。


 ――だからお前はなんでそうなんだよ……

 ――だって相手はあんな綺麗な子だぞ? からかってるだけに決まってるじゃないか。


 目の前をとても大きな男子が歩いていた。

 びっくりするくらい背が高いその男子を真唯は知っていた。二つ隣のクラス、梢 充孝という類まれなる『優等生』だ。

 後姿なら目立つので何度か目にしたことはある。噂によると数年に一人の天才。学園内でも屈指の念動力者として評判だった。


「ああもう! お前とはやっとられんわ!」

「ええ……? 栄作…… お前関西だっけ?」

「雰囲気だよ雰囲気! ちょっとカバン取ってくるから、待っててくれ」

「ああ」


 梢に比べれば小柄に見える男子が走って校舎の中に戻って行く。真唯は我と思わず、その噂の男子を眺めていた。

 すらりと伸びた手足、清潔感があって真面目そうな髪型、綺麗に整っていて優しそうな顔。彼は秋の木立の中、舞い散るイチョウを背景に風景の一部、絵画の一部のようにして立っていた。

 それは生まれて初めての経験だった。幼くして視力を落とすまでに勉学一辺倒だった真唯が、吸い込まれるようにして「男子」に惹かれてしまったのだ。

 惹かれたのは彼の恵まれた容姿ではない。粗暴でも上品でもない、秋の風景に溶け込んでしまうような、彼のまるで作為を感じないその自然な姿にだった。


「うん……?」


 彼女の視線に梢は気づいた。気づいて、真唯の方へとやってくる。


「えっ……?」


 近づいてくる彼は怖かった。それは雰囲気や表情ではなく単純に異性であること、そして体格の差のせいだ。彼は――


「顔色が悪いよ、大丈夫?」


 彼女が気づかず、頭の上に乗っていたイチョウの葉を取り、そう言った。


「えええ!? はい…… 大丈夫……!」


 改めて見る彼はとんでもないほどに、内緒でこっそり読んだことがある少女漫画に出てきそうなほどに格好良かった。彼と普通の会話を交わすには彼女の経験が足りなさ過ぎるくらいに。

 一撃でノックアウトされそうな状況にドギマギしていると、彼は真唯から離れ、自販機に向かっていた。


「うん…… ココアか、いいな」


 ココア、と聞いて自分の手の中にある熱い液体が思い当たる。真唯がそれを意識するかしないかの間に、彼はボタンを押して――


「あっ……!?」


 紙コップがストンと自販機から出されたあたりで声を上げていた。


「下段押しちゃった……!」


 言いながら、彼は片手を自販機につき、片手で顔を覆っていた。

 「由良木のカピバラ」そんな噂を聞いたことがある。その人物は体が大きくて、格好良くて、でも会ってみるといつもぼーっとしているお間抜けさん。そんな噂だ。

 彼女の中で、一人の人物を評したはずのバラバラにしか思えない二つの噂が今、この人物に集約された。


「……『冷たい』押しちゃったんですか?」


 クスクスと、失礼ながらも笑って話しかけてしまった。彼じゃなくても男子の大きな体は怖い。でも、不思議ともう彼のことは怖く思わなかった。

 彼は片手を自販機についたまま、彼女を向いた。


「たまにやっちゃうんだ…… どうしてかな?」


 結構悲しそうな顔が彼女の母性を含んだツボにはまり、思わず手を口に当てて噴出してしまう。


「そ、そんなに笑わなくてもいいじゃないか……」


 非難めいた目が可愛いと、彼女は思った。

 そして、気づけば嫌な気分はどこかに行ってしまっていた。



~~



「あの後、梢くん一緒に話してくれたよね」


 彼女は自分の気持ちを誤魔化すことはなく、もう半年と溜め込んでいた話を紡いでいた。

 ちょっとした失言から出てしまった語りに、不思議と不安もためらいもなかった。それはきっと、伝えたいと思っていた子供にとっては長い期間に、自然と蓄積されていった心の中での修練が彼女の気持ちに強さを与えてくれていたのだろう。


 充孝は思い出していた。確かにそんな記憶がある。確か自分はその時に笑った彼女が実は落ち込んでいたと知って、畳み掛けるように何かを言って元気づけた。その程度の記憶だった。


「ああ、憶えている。寒かった」

「寒かった?」

「冷たいココアはほんとに辛かった。しかもあれ全然まざってなくて底の方ドロドロだったんだ。冷たいから落ちてもこないし大変だった」


 真唯は噴出した。その時の彼を思い出してしまっていた。


「いやいや、笑い事じゃなく、ほんとに辛かったんだぞ?」


 困った顔の充孝を見て、真唯は笑いが止まらない。

 そして、ひとしきり笑った後――


「わたしね、あの時の梢くんがいなかったら、今みたいにはいられなかったと思うの」


 そう言って差し込む昼の陽に負けないくらいの笑顔で充孝に笑いかけていた。


「ん…… それは、どういうこと……?」


 彼女の眩しい笑顔と、穏やかではない言葉に充孝は動揺しながら聞いた。


「なんとなくそうなんじゃないかって思ってたけど、やっぱり憶えていないんだね…… でもわたしは、本当に梢くんに助けられたんだよ?」


 人二人分の距離を一人分に詰め、彼女は小首をかしげて充孝を見つめた。


「え? オレ…… 何かしたかな……?」


 充孝は後退はしなかったが思わずのけぞってしまった。

 真唯は思い浮かべるように、穏やかに目を伏せながら話した。


「わたしね…… あの時も言ったけど、去年の秋に成績のことで悩んでたんだ…… 五教科とかじゃなく、能力のほうで」


 言われて、充孝は思い出した。


「ああ! うん…… そうだった。 オレはそれを聞いて……」


 元気付けなきゃいけないと思った。別になんということもない。落ち込んでいる人がいるからなんとかしてあげよう、それだけの気持ちだった。


「梢くん? えっとね…… 『出来ても出来なくても』?」


 充孝は、反射的に言っていた。


「『意味はある』」


 それは幼少の頃、充孝が祖父に言われた言葉だった。厳格な祖父は充孝にことあるごとに経験と称しては何かをやらせ、うまくいっても失敗しても必ずそれを言った。別段彼の人生に大きく関わったという言葉でもない。ただ、祖父が亡くなった後も、彼が思い出として座右の銘にしている言葉だった。


「あれ、穂坂…… オレそんなこと言ったか……?」

「言ったよ。それでわたし、すっごく楽になったの。あー、そうなんだーって思って、自分でもびっくりするくらい肩の力が抜けたの。それで秋の試験受けたらBプラス判定。おかげさまで能力開発科に在籍してます」


 由良木には年に四期、試験が用意されている。学校の特殊性、秘匿性から退学や転校というものは極力無いように図られているが、こと超能力のこととなると厳しい現実もあった。試験の結果がD判定となり、追試を失敗した生徒は在籍しながらも超能力の授業を受けられなくなるのだ。受けられなくなった生徒はクラスを変更され、専用のクラス、『普通科』と揶揄されるクラスへと追いやられ、待遇の変わらない分精神的に辛い学生生活を余儀なくされてしまう。それは若い彼らにとって、自らの見込まれたはずの可能性を完全に否定される、耐え難い恥辱に他ならなかった。


「だからね、梢くん…… わたしはあなたのために、何か役に立ちたいんだ。ほんのちょっとのことでもいいの。なんて言うかな…… お返し?」


 真唯はすらすらと出ていく自分の言葉に驚いていた。よどみなく、どもることもなく言えるということ、驚くところはそこじゃなかった。

 自分が整理しきれていなかったはずの本当の自分の気持ち。それがとてもわかりやすい、簡潔な内容になって自分の耳に聞こえてきたのだ。

 ――ああ、わたしが梢くんに伝えたかった気持ちは、これだったんだ。

 あの日以来、ずっと言いたかった気持ち。もともと接点なんて何もなかった彼女には、廊下ですれ違っても挨拶するくらいがやっとで、そもそもゆっくり話す機会が持てたとしても何を言いたいかもまとまっていなかった。

 馬鹿馬鹿しい理由かもしれない、でも、さっきのタックルで何かが吹っ切れた。ほんの少しのきっかけ、ほんの少しの達成が功を奏していた。

 きっと、今ではない機会に彼に伝えようとしたのならば、本当に伝えたい気持ちを別の気持ちと合わせてしまって意味のわからない内容になってしまっただろう。

 心を助けてくれた異性への好意――


「……オレは別に、返してもらうようなことは……」

「無理矢理受け取ってもらおうなんて思わないよ。だからほんとに困った時でいいの。今だっていいし、何年先でもいいの。わたしに協力できることが出来たら、何か言って? それならいい?」


 その気持ちが決して小さいわけではない。だが、今の彼女にとってはそれは第一ではない。受け入れてくれればそれは嬉しいだろう。でもそれを喜ぶのは自分なのだ。

 彼女が本当に伝えたいことで、ずっとしたかったこと。

 それは彼へのお礼の言葉、そして恩返し。

 あの日自分を救ってくれたように、いつか彼を救ってあげたい。自分ではなく、彼が喜ばなければまったく意味が無い。

 親の教育なのか本人の魂なのか、穂坂 真唯という人物は一介の年頃の女子である以前に、人並みならぬ義理堅さを持った人間だった。


「……さっき助けてくれたのじゃダメなのか?」

「ダメだよ、気を遣って言わないでくれたってわかるもん。梢くんの身長だったらあんなの怪我しなかったでしょ? 恥ずかしながら頭打ってから気づきました」


 充孝は髪型やメガネ、落ち込んでいた時の記憶なんかも手伝って彼女については大人しい印象を持っていたのだが、こうして話してみると思った以上に押しが強く、活発な感じの子だったのだと再認識させられた。

 正直なところ、今ダメだと言って微笑みながらいたずらっ子のように舌をチロリと出された時には結構な可愛さに不覚にも赤面しかけた。

 だが、彼の思考はちょっとばかり普通ではない。こういう時、ぼーっとしたカピバラだからこそ、起死回生のアイデアが閃く。


「じゃ、じゃあ…… 今ちょうど困っていることを解決してくれ」

「……?」


 ――充孝、って呼んでくれないか。


「……!」


 彼女の首だか頬だか目だかに、ぼっと火が灯った。


「えっ、あの、それ…… どういう……」


 あわあわと、充孝の前で手をばたぱたやる真唯。

 ちなみに、目には映らないが彼女の近くにはニヤニヤ顔で金色の羽虫がぱたぱたしている。


 その時、閉じられていた保健室の扉が開かれた。


「おーい、充孝ー、先生見つけてきたぞー」

「おお」


 充孝は入ってきた栄作に向き直り、横にいた保険医にお辞儀した。


「あれ? 穂坂どうした?」


 なんだか真唯の様子がおかしいことに気づき、栄作がいぶかしげに彼女を見る。


「え、あの…… 梢くんが……」

「充孝が?」


 聞こうとした栄作を割りこんで充孝が言った。


「うん? 充孝って呼んでくれって言ったはずだぞ?」


 その発言に、栄作がぎょっと充孝を見る。

 ついでに連れてこられた保険医(29歳女 独身)も凝視した。


「え? おい…… お前……」


 ぱくぱくと、悪いものでも見るように酸欠気味に尋ねる栄作だったが、充孝は平然と。


「だってオレ、「こずえ」って呼ばれるの女みたいでヤだもん」


 と、周りの空気と真唯のときめきをぶっ壊して見せるのだった。


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