4.飛び出せリラクゼーションルーム
首尾よく校舎に侵入できた彼だったが、ほんの十分もしないうちに彼は自らの浅はかさに呆れることになる。
『なんで俺は…… 時計とか見ないんだろうなぁ……?』
狭い個室に座り込み、彼は時を待っていた。
『ねぇ大将、なんか私としては…… ここ居辛いんですけど~……』
所在無げに、妖精が一匹。
『あ~、気のせいだクモ。お前性別とかないんだから黙って待機してろ』
『ココロは生まれた時から女のコっスよ!』
彼の物言いに妖精が声を荒げるが、自信回復中の彼はうなだれたままだった。
今なら大丈夫とクモから指示をもらって窓から校舎に入った直後、ドッとその廊下を生徒達が押し寄せてきた。『何が大丈夫だ!』と怒鳴りたい気持ちを抑え、咄嗟に魔力を消費して光魔法によるステルスを使い難を逃れた彼だったが、その後もどこへ行こうとしても生徒達が右往左往し、潜入どころではない状態に陥った。
彼の目論見では、学校は人がいくらいれども、注意すべきなのは教員達であって生徒ではないはずだった。なぜなら彼らは一時間のうちの短い時間、十分程度の休み時間以外は授業に拘束を受けており、しかもその活動時間は『チャイム』という運営上のシステムによって侵入者にも知らされるという親切設計だ。要は授業に関係なく教室を出入り出来る数人の教師、用があって教室を離れる僅かな生徒だけを避け、この場所を探ればよいはずだったのだ。
『ははっ…… 昼休みだなんてな…… 笑わせてくれるぜ……!』
彼は自嘲気味に、携帯の画面を見ていた。
――十三時十分。
デジタル表示が緑色にそう告げていた。
由良木学園の昼休みは十二時十五分から十三時十五分。彼が度重なるステルスの魔力消費に調査を一時断念してここへと逃げ隠れたのが十二時四十分。
やることもなく、すでに彼は半時間の長く感じる時を「一階男子トイレ」で過ごしていた。
『ふっ…… まさかこの俺が一階で断念とは……』
『はぁ…… ダメだこりゃ……』
妖精は結構長く落ち込んでる飼い主にそろそろ飽きてきていたが、この飼い主は楽天家なのでトイレを出たらとっとと忘れて反省もしないんだろうなと、特に気にしなかった。
『ああ、大将、そういや大将は何を調べるつもりだったんです?』
『んん……?』
『あ、いやほら、勢い込んでいきなり忍び込んだわけですけど、何か目先に目的があってそうしたのかな~って』
『……昨日の学生の居場所を突き止めるんだよ』
『突き止める? ひょっとしてクラスですか?』
『ああ、それも含めて、よく立ち寄る場所やらな』
『そんなこと調べてどうするんですか?』
クモは不思議そうにその意図を聞いた。
『こうして無駄に座って考えてな、なおさら自分の考えが間違っていないことに気づいたよ。もともとその可能性を追ってここへ来たわけだが、昨日のやつが主要人物だ。間違いない』
さすがに幾分か気分が持ち直してきたのか、わりとはっきりとした意識がクモに飛んで来た。
『と、言いますと?』
『俺の雇い主は俺に無駄なことはさせないってことさ。解決に関わらない場所には出さないし、不要な結末までは見せてもくれない。そこから考えるとだ、俺は『超能力学校』の誰かに用があるんじゃない、昨日見かけたやつに用があるんだ』
『……? どういう意味です?』
『ここに何かがあって、これから出会う何かに俺が対応しなきゃいけないのなら、俺がここに現れるのは今日でよかったはずだ。だが、俺は昨日、目が覚めたらこの街の商店街にいた。おそらくは、昨日の子を見かけるためにだ』
『お~、相変わらずの仕組まれぷりっスね』
『まぁ、段取りは組んでくれてた方が労働者は楽だがな』
「仕事」にはある程度のお膳立てがある。いつものことだった。
『でも、わざわざ大将自ら潜入しなくてもよかったんじゃないスか? 特徴のある人でしたし、私一人だけで探しても早いうちに見つけられると……』
『それはそうなんだがな…… 最悪の場合が無いとも言い切れん』
『最悪の場合…… ですか』
『とんでもない事故とか、無いとは思うが魔物出没とかな』
『あー…… 大将が来てるわけですしねー……』
『いざって時に遠くにいましたじゃ話にならんだろ、実際』
『ふぅ…… 相変わらず心配性ですねぇ~』
『現場の対応には事務所にこもってちゃダメだってことさ』
『まぁ今こもってるのはトイレですけどね』
『うっせ!』
そこまで話して、彼の耳に間延びしたチャイムの音が鳴り響いた。十三時十五分。五分前にも一度鳴っていたが、一応は彼とて学校に通っていた時代は有り、それが予鈴であることくらいは理解していた。今鳴ったのが昼休み二度目のチャイム、本鈴であり授業開始の合図だ。
開始直後はバタバタと教室に駆け込むような生徒もいる。彼は五分後を目処に行動を開始しようと時刻確認のため携帯の画面を開いた。
――コッ、コッ。
忍び込んでいる個室に、ノックの音が響いた。
『クモ!』
『あいっ!』
クモがしゅるんと上昇し、ノックの相手を探ろうとする。だが、それより前に。
「ここを出て、右を向いて――」
彼の耳に、柔らかい少女の声が届いた。
続き、タイルの上を走り去る音。
「おいっ!」
慌しく携帯をしまい、激しくカギを引き、扉を開ける。
怪しい―― という以前にそれは反射的な「ここ男子トイレだぞ!」というツッコミだった。
「クモ、見たか?」
「ダメっす大将、後ろ姿しか見れませんでした」
「……どんなやつだった?」
「ん~、なんか女の子でした。あれ多分可愛いですよ」
『んなこと聞いてねぇよアホ』という思念を飲み込んで(半分くらい伝わった)少女の言葉を思い出す。
「ちっ、こうすりゃいいのか!」
彼は訪れた機会を逃すまいと、男子トイレの扉を勢いよく開け、すぐさまに右を見た。
――「梢くん! 危ない!」
ものすごい勢いで、女子が男子にタックルを仕掛けていた。アタックであれば可愛げもあるが、結構本気でタックルだった。アタ…… タックルを決めた女子の頭に天井からタイルが降り、「ぎょへっ!」と鈍い音と鈍い声を発して彼女はうずくまった。
彼は呆気にとられてその光景を見ていたが、すぐそこに生徒がいるという現状に思い至り扉を半開きまで戻した。
『あっ! 大将! あの子!』
クモが指差す先には――
『……! いた! 昨日の子だ!』
遠目からもよく目立つ長身のさわやか少年、梢 充孝がいた。
『らっきーっスよ! どうします大将! ふんじばりますかい!?』
『通報されるわアホ!』
思念では元気につっこむ彼の目は冷静に、事のなりゆきを見守っていた。
長身の男子とその隣にいる男子が、タックルを仕掛けた女子に何か話しかけている。三人はどの程度かはわからないが、雰囲気からして知り合いのようだ。
推測するまでもなく、いち早くタイルの落下に気づいた女子がタックルによって身代わりになってあげたという構図なのだろう。
そう思いながら様子を見ていた彼の頭にピンと重要な事柄がよぎった。
『クモ、あの頭ぶつけた子、タックルの前に名前叫んでなかったか?』
彼と少年の間には会話はおろか面識すらなかった。彼が一方的に相手を知っているだけ、しかも容姿以外には名前さえ手元には無かった。
『……ましたね、え~と、コジマクン? でしたか?』
『小島か……』
小島は女子の頭に手をやって怪我の具合を診てやっていたが、かなり痛そうな反応を示されて手をひっこめて謝っていた。
やがて、女子が立ち上がると彼らは三人で連れ立って、男子トイレの方へと向かってくる。
『おっと……』
彼は扉を締め、背中でドアに張り付いた。
――「保健室ってどっちだっけ?」
――「お前な、一年通っておいてなんでわかんねぇんだよ!」
――「あの…… 別に大丈夫だから……」
扉の向こう、三人が会話しながら通り過ぎていくのがわかった。
『クモ』
『あい!』
彼は後ろ手に、丁度妖精が一匹通れそうなくらいに扉を開ける。
『保健室…… 怪我の治療が出来る場所に行くらしい。お前は小島を追え』
『大将はどうなさるんです?』
『俺は適当に脱出して学校の近くに張り込む。時間は無制限でかまわない、べったりあいつにくっついて可能な限り情報を持って帰ってくれ』
『あい!』
ぴしっと敬礼を見せた後、クモは小島達を追って扉の隙間から飛んで行った。
思いもよらぬ形でターゲットに接触出来たわけだが、どうにもすっきりしない話だった。一体さっきの少女―― タックル女子の方ではなくこの場所、男子トイレでノックをしてきた方の少女は何者だったのだろうか。彼の頭の中では何通りかの答えがあったが、どれも明確ではないため結論は出さずにおいた。ただ、どの道探すなり、また接触してくるなり近く巡り会うことになるだろうとは思った。この接触の仕方はどう考えても『主要人物』のそれだからだ。
彼は妖精すらいなくなった男子トイレの扉から離れ、これからの行動を考えることにした。現状一番のターゲットである『小島』はクモに追わせているため、伝えた通り脱出して後を任せても何がしかの収穫はあるのだろうが、せっかく忍び込め、うろつくにはいい時間になった今をふいにしてしまうのも勿体無い。
欲をかいた深追いは厳禁という狩りの鉄則もあれば、早い仕事こそ至高というビジネスの鉄則もある。
とりあえず、悩むなら安全な場所でと元いた個室の方に移動しようとしたところで、彼は見過ごすことの出来ない『力』を感じた。
――『ふっ…… 運のいいことね……』
どこからともなく、彼の頭に『思念』が伝わってきた。それは彼の知るところの『覗き見』の力だった。
彼は個室に行こうとしていた体を反転させ、トイレから出た。
――『まぁ、ただの嫌がらせ程度だから直撃したところで大したこともないでしょうけど』
思念は尚も降り注ぐ。感覚的にわかる方向として、力はクモを飛ばした方へと向けられている。彼は『覗き見』を受けているのが『小島』なのだと理解した。
――『私に出会うまでに、存分に恐怖を与えておいてあげるわ。お仲間共々ね……』
彼はこれぞ好機と消費を無視して光魔法にてステルスを使い、大胆にも廊下の中央を走り抜ける。無人の廊下に突風が現れ、後にする教室の扉が窓がガタガタと震えた。
――『ふふ…… 私の『千里眼』からは逃れられないわ。あなたはこの私にひざまずくの……』
廊下の端まで到達し、階段の一段目から最上段までを跳躍し、飛び上がること都合八回。四階に到達。そこからまた風のように二十メートルと移動した先。やけに目立つドアを見つける。
――『梢…… 充孝……!』
「ホーッホッ――」
ガチャリ。
「お邪魔します」
彼は引き戸ばかりの教室の窓とは違う、黒光りする重厚な木製のドアを開けて中へと押し入った。
そこには一人の女生徒、ウェーブがかった長髪がいかにもお嬢様な印象の少女が一人、黒檀のデスクを挟んで立ち上がっていた。
今まさに、いい気持ちになって時代がかった高笑いをやってみたくなってちょっと実行してしまった彼女は、突然のお客様の出現にピシリと固まっていた。
ややあって、一言。
「ち、ちがいますよ……?」
「えっ?」
急にはんなりした喋り方になる女生徒。
これが由良木学園生徒会長、由良木 未沙都と、
黒ジャンパーの怪しい男、伊達 良一の出会いだった――




