5.巣の底へ
群れをなして座る青い制服達の中、彼らの姿はあった。
ローブの者達の目を避けるように、シオンがリイクに囁く。
「大丈夫? リイク」
「ああ、なんとかね。手ひどくやられたもんだよ」
シオンから渡されたハンカチをこめかみの辺りにあてがい、リイクは流れる血を留めていた。
「悪いねシオン、新しいものを贈るよ」
「いいのよ」
周囲からはすすり泣く声や、同じように小さく会話する声が聞こえる。見張る者達にそれを押さえつける気は無いらしく、その目こぼしが生徒達の正気を保っていた。
「ユアナも平気?」
「え、ええ……」
ユアナは周囲にいる、リイクのように怪我をした生徒達や教師が気になる様子だった。
「せめて…… 回復魔法を使ってあげられないかな……」
「ダメよ、魔法はダメ。刺激することになるかもしれないわ」
言って、シオンは背中を抱くような形でユアナに身を寄せた。
こういった時、シオンの気丈さがリイクには有り難かった。
――しかし、狙いはなんだ?
リイクは彼女達から視線を外し、注意深く周囲の連中を観察する。
白昼堂々と押しかけてきた怪しげな黒いローブの集団。全身を覆い、年齢まではうかがえなくとも男女ばらばらで背格好も様々。どこかの軍隊のようには思えない。
彼は自らの家柄から、当初狙いは自分にあるということを第一に考えたが、そうではない様子だった。
次々と、少人数では監視の目も行き届かないまでに集められてくる生徒や教師。最高学府とはいえただの学校を相手にここまで大胆な行動を取る、彼らの狙いが見えなかった。
「リイク、シュンは…… どこかしら?」
ユアナの呟きに、はたとリイクは周囲を見回した。
「……いない、な」
黒いローブの連中は、まず率先してユアナ達「神学部」の生徒達を捕らえた。リイクが捕まったのはその後の第二波だが、そこにシュンがまじっていないことは確かに妙だった。
シュンの選択科目はリイクとは別であっても、教室はそれほど離れていない。現に今も、シュンが受けていたはずの同科目の生徒達が彼らのそばにうずくまっている。
「きっとうまく逃げてるのよ。運のいい人だわ」
シオンが安心させるように、ユアナの背中を撫でていた。
「ああ、そうだと思うよ」
そう言って二人に笑いかけるも、リイクの心境は複雑だった。
――無茶なことはするなよ、シュン……
冷めたように見えて、中身は妙に熱いところがある。
そんな友人の心根を、リイクはよく理解していた。
「さて、行こうか少年」
「はい」
用務員が扉の方へと歩き、シュンがそれに習った。
「……! ちょい待ち」
「……?」
途中それを押しとどめ、用務員は一人で扉の横へと張り付く。
ダン!―― と、鉄の扉が大きく蹴り開けられた。
「動くな――」
無遠慮に踏み込んできた黒いローブから鋭い男の声が発され――
その側頭部に、用務員の直蹴りが突き刺さった。
呻きながら床に倒れ込む黒いローブの男、その顔面に――
「おらぁっ!」
用務員の足裏が叩き落とされた。
そして、ぴくりと体を痙攣させ、男は動かなくなった。
「よし、行くぞ城野村君!」
「は、はい……!」
目の前の突然のバイオレンスにシュンの日常の感覚が吹き飛び、恐怖に身が引き締まる。その感覚は覚悟となり、彼の体を緊張から自由にした。
二人はそのまま最上階の五階から一階に向け、一気に階段を駆け下り始める。
屋上にて、用務員はシュンへと選択を迫った――
「いいかい、戦うってのは何も、相手を叩きのめすことだけを言うわけじゃないんだ」
「……どういう意味です?」
ちらりと、用務員の目がグラウンドへと動く。
「ああいう連中ってのは予告無しに突然に動く。なぜ突然なのか、わかるかい?」
シュンは思案した。状況が状況だけに考えはまとまらない。焦る気持ちで思いつくことを言う。
「そっちの方がいいからでしょう? 不意打ちの方がいろいろ有利じゃないですか」
「ああ、そうだ。だが正確にはそうじゃない」
首を傾げるシュンに向け、用務員は冷やかすように笑った。
「弱っちいからだ。軍隊やらなんやら、まともなでっかい戦力とは真正面から戦えない。だから不意打ちに頼るしかやりようがない」
「そう…… なんですか……?」
「ああ、つまるところ…… 君の戦いはだ」
そして用務員は屋上から遠く、霞んで見える巨大な建造物へと指を差した。
「学校を抜け出し、あの城、マルウーリラ王城から応援を呼んでくること。それだけだ」
二階の踊り場を踏み、一階への階段を駆け下りる。
「手筈はわかってるな! 坊や!」
「え、ええ! でも! ほんとにあるんですかそんなところ!」
「用務員さんを信じなさい! 学校の中ならなんでも知ってる!」
片手を手すりに乗せ、走り下り続ける。速度の出ない足場が焦りを募らせる。
ほどなく、彼らの足は一階のフロアへと到着した。
神学校の階段はI字型校舎の中央に位置する。正面には靴箱が並ぶ玄関とその先の中庭、グラウンドへと続く下り石段、左右には職員室や保健室などの職員の詰め所が広がった。
「よし…… 後は校舎を出て、焼却炉まで――」
「用務員さん!」
彼らへと向け、同フロアの廊下一番奥、指を差しているローブの二人組の姿があった。
「そこの二人! 止まれ!」
片方のローブから男の鋭い声が発され、同時二人組がシュン達へと駆け出す。
「ちっ……! 見張りか!」
用務員はシュンを後ろに立ちはだかる。
「君は行け! ここはおっさんが食い止める!」
「食い止めるって……! 相手魔法使いですよ!」
シュンが血相を変えて叫ぶ。
屋上から探ったローブの者達。彼らの魔力は腕力でどうにかなる、そういう次元のものではなかった。ましてや目の前にいるのは教師でもない、ただの用務員だ。
しかし当の用務員は、首だけをシュンに向けると不敵に笑った。
「世の中には、魔法より恐ろしいもんがあるってことを教えてやるさ」
どこから取り出したのか、用務員の右手にはバールが握られていた。
「さぁ行け! 友達を助けるんだろう!」
「……っ! 無茶しないでくださいよ!」
シュンは玄関から校舎の外へと、後ろ髪を引かれる思いで走り出した。
背中越しに、魔力の波動と窓ガラスの破砕音を受けながら――
「こ…… ここか……?」
もう使われなくなって久しい、校舎の外れにある焼却炉。
その場所は人が踏み入れなくなったせいか雑草が伸び放題に伸び、焼却炉の石壁もコケがまとわりついている。
「ほ、ほんとにこんなところに……?」
用務員に聞かされた通り、シュンは焼却炉の裏側、数歩と離れていない草地を探る。
「……! これか……!?」
そこには「排水溝」と書かれた、重そうな鍵のついた大きな鉄のフタがあった。
一見、見たままに下水関係の、生徒はおろか一般職員にすら関係ないだろうと思われる地下インフラの管理口。
しかし用務員は言った。
『あれはおそらく、厄介ごとが起こった時のために、昔の人が作った外への抜け道だ。昔の大きな建物なんかには、偉い人を逃がすためについてるもんなのさ』
その話の真偽はわからない。だが、今の状況から見て、すでに正門、裏門と見張りがついていることは察せられた。学校に張り付いているローブの者達の数は、決して数人という数ではない。例えどこからかフェンスを越えようとも、外周にも見張りはついていると思われた。
外に出て安全に応援を呼びに行くのであれば、抜け道とやらに頼る他シュンにはなかった。
逡巡を捨て、フタにかかった鍵を魔力で『溶かし』、引きちぎる。
フタを持ち上げ、ずらす。何年と触れられることのなかった、砂が重苦しく落ちた。
「階段……!」
その下は、確かに入り口。下水のパイプなどではなく、埃にまみれた石の階段があった。
シュンは周囲を一度見、中へと入り込むとずらしたフタを直して暗闇の中に潜った。そしてグッと拳を握ると、「魔法」を生み出した。
シュンの右手首より上が、松明のように燃えさかる。
『火』属性の魔力。シュンが最も得意とする、ほぼ自在に操れる魔力だった。
右手で足下を照らしながら、彼は階段を下っていく。
この先は外へと繋がっていると、それ以外は聞いていない。外のどこへと出るのか、どれくらいの距離があるのか、そこまでは聞けていない。
だが大丈夫、すでに一年住んだ街。一人で散策もした、友達と色々なところへと遊びにも行った、どこへ出ようとも土地勘はある。
自らにそう言い聞かせ、シュンは下り続けた。
やがて階段が終わりを告げ、彼の前に扉が現れた。
「これは……」
黒ずんだ石壁の狭い通路に対し、不釣り合いに思える白い石の扉。両開きの扉には取っ手らしきものがなく、腕力で開くことが出来るのかも疑わしい。
その中央部には日々目にする、一つの記章が大きく描かれていた。
「……校章」
マルウーリラの女神を三角形で現わし、シンプルにデザインされた神学校のシンボル。シュンは取っ手が無いことから、押し開こうとそのシンボルへと左手を触れる。
「……!?」
扉は緑に光り、音を立てて両開きに横へとスライドした。
大仰な仕掛けにたじろいだシュンに、追い打ちをかけるような光景が現れる。
「なんだ…… ここは……」
シュンの手から炎が失われる。
そこは今まで踏んできた石段などとは違う、鏡のような石材を敷き詰められた『神殿』だった。
一面の目に飛び込む白。装飾の施された支柱が囲む中央には、壇上に設けられた祭壇がある。
その部屋は輝いていた。
祭壇の上、浮かぶ一冊の『本』がもたらす光によって――