15.ホワイト・アウト
ダテの回復を待ち、二人は森へと戻った。
山道を下り、谷底を抜け、別ルートにて慰霊碑の場へと向かう。
珍しくも雪は止み、空には薄明光線が降りている。淡いオレンジ色の光を見ながら二人は「いいかげん腹が減ったな」などと言い合いながら歩いた。
動物達は暗黒の魔力の影響下から逃れ、元の姿を取り戻していた。
ただ、災厄による彼らの怯えは強く、ストマールは決めていたことながらに「今年の狩りはもう無理だな」と呟いた。
やがて何事も無く、わずかな疲労感とともに二人は慰霊碑の前へと立った。
「なぁダテ…… その碑、お前燃やさなかったか?」
「いや、最初のは幻術です。引っ張り出すためにこっちが本気で倒そうとしてるってところを見せたかったんで。目的のためとはいえいきなり慰霊碑壊したりはしませんよ」
「そうか」
幻術などと言われてあっさり納得してしまう自分と、それを疑わせない男に対しストマールは苦笑してしまう。
弓が直っていたことも、派手に爆発した奇妙な矢のことも、尋ねる気にはならなかった。
最早ダテのやることにいちいちと不思議がってもしようがない。こいつはそういうもんで、こいつが言うことはそういうことなんだと、ストマールはダテに対しては「ダテ」という理由だけで納得することにした。
だから帰る前にここに寄ると言われても何も詮索しない。じゃあ行こう、それだけだ。
ダテはストマールが見守る中、右から左へと慰霊碑を穴が空くほどに見回し、ひとしきり見た後で碑に手をかけた。
「よいしょ……」
碑の右側から、掛け声をかけながら両腕で押す。碑はその重量に見合った動きでわずかに位置をずらした。
「ありました」
「……?」
ダテは屈み込み、ずれた碑の下へと手を伸ばした。
~~
狩り場から下山した頃にはとっぷりと日は暮れ、また雪が降り始めていた。民家から漏れる火の灯りが路地を橙色に染めるいつもの夜に、二人はようやくと戦いの終わりを実感した。
「そうか、倒したか……」
「はい、やはり狩場の動物達はあの魔物の影響下にあったようです。今はただの動物に戻りました」
「よかった……」
「終わってしまえば、夢でも見ていたようだな」
一度ストマールの小屋に戻り、荷物を置いた二人はスリリサの家へと報告に向かった。スリリサ達は二人の無事と事態の収束に喜び、温かく中へと迎え入れてくれた。
ニフェルシアが出してくれた熱いお茶が、喉の渇きを思い出させた。
「ダテ坊、もうやつは…… ここには現れんのか?」
「やつを倒した後、場の魔力が緩むのを感じました。もうここは魔力の溜まり場ではありません。姿を見せることはないでしょう」
「でも…… また魔法を使えば……」
「頻度や人数を絞って使っていくなら何百年使っても溜まり場にはならないと思うけど。そっちはおすすめしないかな……」
「便利なものは使いたくなるし広まる…… 確かにやめておくべきか」
「禁じたままに、しておくべきなんじゃろうな……」
「魔物のいない世界を望むか、魔法のある世界を望むか…… どっちもは選べないものなんです。得が大きいと損も大きくなる、なんでも一緒ですよ」
「そういうものなんでしょうね……」
「ふふ…… 珍しく、歳相応に見識のあること言ったな、ダテ」
「……茶化さないでください」
一同は笑った。
よほど心配してくれていたのか、スリリサとニフェルシアの顔には疲れが見えた。だが、もう二人の表情には陰りは無い。ダテとストマールは熱いお茶をおかわりしながら、自分達がもたらした平穏に少しだけ誇らしい気持ちを感じていた。
「さて」
ダテは懐から、白い石を取り出して卓に置いた。
「うん……? それは……」
ストマールが覗き込むと、スリリサ達も後に続いた。
スリリサがその石を見、低く唸った。
「結界に使われていたという石です。高純度、というにも馬鹿馬鹿しいレベルの魔力石のようですね」
「慰霊碑の下にあったやつか……」
取り出して懐にしまう所は見ていた。だがここへ持ってきた意図までは聞いてはいない。
「ダテさん、魔力石…… ってなんですか?」
ニフェルシアが物珍しそうに、話に聞いていた石を見ている。
僅かに透明度を持った手に収まるほどの白く美しい丸石だった。
彼女が見る限りは、少し綺麗な石くらいにしか見えない。
「純銀、ミスリル、パラマイト…… 種類なら有象無象にあるけど、魔力を溜め込むことや増幅させることが出来る鉱物なんだ。周囲の魔力を勝手に溜め込んで漏らす物は『魔石』、こいつみたいに放っておいて害の無い物を『魔力石』、俺はそう呼んでいる」
「俺は」というところは仕方の無いところだった。呼称は彼の翻訳を持ってしても様々に有りすぎ、区分けされていない所すらあった。あくまで混同を避けるための仮称だった。
「おばあちゃんのお話に出てきた通りのものなんですね……」
ニフェルシアは石を見ながら感慨深そうに言った。祖母の過去に対する想いと、この集落の一員として感じるコークススの歴史。この石に感じるもの、それは彼女以外にはわからない感覚だろう。
ダテはスリリサに一度目を合わせ、石を彼女の前へと静かに運んで言った。
「五十年前に溜め込まれた魔力はもう見る影もありませんが、決して壊れたりするわけではありません。貴重な品ですし、代々伝わるものということですので、集落の方でお納めください」
「そうか、すまないの……」
石を受け取ったスリリサは感慨深そうに呟いた。
「こんなに、小さかったか…… わしの魔力も、残っとる……」
「……!」
ストマールがはたと、ダテに振り向いた。
「おい、ダテ…… まさか、この石を使えば……!」
「あっ……!」
ストマールの言わんとすること、それはニフェルシアにも伝わった。
「そうじゃな…… 戻せるのかも、しれん…… あの頃の、ベブサートに……」
一同は黙った。
「……そいつは難しいな」
ややあって、ダテは言った。
「無理、なんですか……?」
「いや、無理じゃない…… 話からすると原因は五十年前に放った吹雪の魔法だ。その逆が出来ればいい」
「じゃあ……」
ニフェルシアがスリリサに向く、スリリサは静かに首を振った。
「……わしには出来ぬよ。集落を焼き払うことなら、可能じゃろうがな…… そこまで器用なことは出来ん」
スリリサは遠い過去を想う。吹雪の魔法が全てを雪に沈めた日を。
その逆を行うこと、それは地獄の光景を頭に描く以外になかった。
「ダテ、お前には……」
「思いつく魔法はいくつか…… 出来ないことはないと思います」
「ダテさん……! それなら、是非……!」
「やめるんじゃ、シア」
「おばあちゃん……! でも……!」
スリリサはダテになら出来ると思った。きっとこのまだ坊やのような青年には、自らの知識の及ばぬ、害を撒き散らさない安全な手段を扱えるのだろうと。
しかし、彼女はそれを正しいこととはしなかった。
「この集落を雪に埋もれさせ、村と呼ばれていたものを集落にしてしまったのはわしの罪過じゃ…… お前の気持ちは有り難いし…… 自然を操り、お前達の代に不自由をかけた罪を償いたい気持ちが無いわけではない、じゃが……」
「また変えれば、また変わってしまう」
「うむ……」
ストマールの一言で、ニフェルシアには何も言えなくなった。
反発する気持ちは気づくことによって消えていった。
彼女が生まれ育った故郷も、ストマールが狩りを続けた仕事場も、自らを育ててくれた祖母の生きてきた年月も、雪に閉ざされたここにあるのだと。
「卑怯なようですが、俺は所詮はよそ者です。今回は存亡の危機ということでお手伝いをしましたが、先の未来を決めることに意見は出せません。どうしてもというのならば俺の知る限りの知識は提供しますが、実行はそちらでお願いします」
ダテは彼の祖国の流儀で、老人に深く一礼した。
外の文化であれども、その凛とした様が彼の真摯な態度を見る者に伝えた。
「うん、それでええ…… お前さんは充分やってくれた。あとは、わしの決定じゃ」
老人は低く、力強く答えた。
それは年長者として、村を預かる人間として、敬服に値する姿勢だとダテは思った。
~~
晴れた空の下を黒ジャンパーが歩いていた。
その横を、ひらひらと金色の光が飛んでいる。
黒ジャンパーの後ろには森の木々の間から遠く、ミニチュアのように小さな小屋の集まりが見える。
それは小さく、小さくなり、雪にまみれた木達に阻まれ見えなくなっていった。
「はぁ~、結局、集落でのことは空振りだったんですかね~」
「さぁなぁ……」
騒ぎが収束を見せた翌朝、伊達は目が覚めてすぐに集落を後にした。
伊達が起きる前にどこかへ出かけたのかストマールの姿は無かったが、彼ならばなんとなくは気づいていたかもしれない。
仕事を終えた人間に、仕事場にいる理由などは無いのだ。
「おばあちゃん達、どうするんでしょうね?」
「石の魔力はもう尽きかけてる。ほっときゃ以前に戻るだろうがな」
「え? じゃあ…… 選択に意味は無いんですか?」
「同じ魔力を込め直すって選択が無いわけじゃない。そうとも限らないな」
クモの矢継ぎ早な質問に、無視はせずとも振り向くこともなく彼は歩み続ける。
「ん~…… なんか大将冷たくないですか?」
「そうか?」
「そうですよぉ、まだもう少し色々アドバイスなりですね……」
「意味の無いことだ。いや、意味が残ってはいけない…… 多分、あそこで俺がやるべきことはもう終わっているんだからな」
「う~ん…… やっぱそれでも~……」
伊達の意識はもうコークススにはなかった。
彼の意識は既に次へと向けられている。いや、彼の意識は常に同じ方向だ。
伊達は立ち止まって、クモに言った。
「それよりもだ、クモ。俺の仕事がまだ終わっていない。どうせ話しかけるならそっちに繋がるような内容を話せ」
「あ~、そうでした~…… そっちのが今はヤバイですよね~…… あっ!」
「なんだ?」
「だったらなおさら戻りましょ~よ! やりのこしがあるのかもです!」
「……例えば?」
「シアちゃんとですね、なんぞイベントを――」
伊達はそっぽを向いて歩き出す。
「た、大将~! 冗談っスよ~!」
「うっせアホ! んなもん仕事に関係あるわけあるか!」
「でもあったこともあったじゃないですか~」
「そんな特殊なケース持ち出すな!」
あわててパタパタとついていくクモを、うっとおしい羽虫を追い散らすかのように手をひらひらさせながら伊達は歩み続ける。
「大体お前もちょっとは焦れよ、もう何日あそこにいたと思ってんだ。俺が関係の無いことやってる間にひょっとしたら解決不可能な状況になってるかもしれないんだぞ」
「そ、それはそうですけど~、そうしなきゃイカリヌシはイカリ続けてたわけで~」
「だとしてもだ、あの集落一箇所のために何かとんでもないことがだな~」
「大将冷たい……」
「ああもう!」
「そうだな、冷たいんじゃないか?」
伊達と金色はその一言に足を止めた。
雪の乗る木立の下、ストマールが立っていた。
「ストマールさん……」
「よう、ダテ……」
ストマールは木にもたれかかり、軽く片手を上げた。
「狙ったように現れましたね…… こんな森の中で……」
「狩人としての勘だ…… と、言いたいところだが、ただの偶然だな。もう、出て行くのか?」
「……はい」
「……そうか、来るべき時が来た、かな。こいつはずっとはいないだろう、そう思ってはいた」
彼に怒っている様子はなかった。
彼はただ自然な成り行きとして受け止め、笑顔で見送ってくれていた。
「すみません、突然で……」
「挨拶くらいは欲しかったがな…… 集落を救ってくれた人間だ。それで文句を言ったりはせんさ」
「すみません……」
伊達が頭を下げるとほとんど同時に、金色がパタパタとストマールへ飛んだ。
「あ、あの! おばあちゃんは! 集落はどうなったんです!?」
「……? お前は?」
「ああ、いや、わたしはですねぇ……」
彼はその妖精になんとなく見覚えがあった。だが、それはもういいことだった。
「……まぁ、いいや、婆さんの決断なら言えないぜ」
ストマールは優しい顔をして、ダテに向かって言った。
「え? ダメですか……?」
「集落の未来を決めるようなもんだ。もうよそ者になるお前には言えん」
それだけ言うと彼は懐に手を入れ、何かを投げてよこした。
空中に柔らかく曲線を描くそれをダテは手に取った。
「これは……!」
「さてと、帰るとするか…… ではダテ、達者でな。もう雪の中で立ち往生なんてしてくれるんじゃないぞ?」
それを受け取った伊達は、全てを悟った。
ストマールがこれを持ち、ここにいたこと。
それは偶然なのか、意図を持ってやったことなのか。
そんなものはどちらでも関係が無い。
大事なことはこれが今、伊達の手に戻ってきたことだ。
「ストマールさん!」
去り行く背中に強く呼びかける。
「餞別に、最後に一つだけ教えてください」
ストマールは足を止め、ゆっくりとダテの方を向いた。
伊達はぶつけてみる。彼は知っていたはずだ。
置き去りにしてしまった、その答えを――
「『コークスス』ってどういう意味なんですか?」
ストマールは笑い――
「『転がる石達』は転がってきた石だ」
そう言って、背を向けて去っていった。
伊達の手の中には、
「さようなら、ストマールさん……」
あの白くて丸い石――
伊達はそれを、握りつぶした。
直後、彼の背に光の扉が現れた――
お読みくださいまして有難うございました。
『#3』はこれにて終了です。
数年と前に作った銀世界のお話を丁度冬の寒い時期に
公開したというのはなんだか感慨深いものです。
次回からは『#4』、新たな舞台に移ります。
それでは本当に、長い時間お読みくださって有難うございました。




