14.ハード・スノーボール(後編)
ダテの足に踏み潰される直前、イカリヌシは実体から霧になっていた。ダテはその中心に降り立つことになってしまい、状況を把握したと同時に罠にはまっていた。
「くそ…… これは……」
黒い霧にまとわりつかれ、ダテはようやく謎を解いた。
霧は明らかに、ダテの魔力を『吸い取っている』のである。
「てめぇ…… 今日は逃げないと思ってたら俺の魔力に執着してたのかよ……!」
これまでのダテの認識ではイカリヌシは『雷を使う動物型の魔物』だった。だがその正体は『魔力を吸う不定形の魔物』だったのである。
動物のような身体はこの雪山にいる生物達の想念のようなもので、本性は実体を持たないゴーストのような魔物というのが『イカリヌシ』だった。
これまでダテの攻撃の効果が薄かった理由、それは彼に灯った魔力を受け、ダメージを受けながらもそれを半分以上吸収していたからだった。
「あれは…… ヤバイんじゃないのか……?」
遠く、ストマールは倒れたままでそれを見守っていた。
ダテの姿はもう真っ黒な霧に阻まれ、うかがい知ることが出来ない。
「くっ……!」
立ち上がろうとするストマールだったが、まだ回復に至っていない。
彼は激痛の中で叫んだ。
「ダテ!!」
直後、ストマールの体が持っていかれるのではという光が吹いた。
霧が吹き飛び、中から両腕を開いたダテが現れる。
「びっくりさせんなよ……」
ストマールはぐったりと雪の上に埋もれた。
「はぁ…… はぁ…… 笑わせやがって……!」
ダテは聖なる魔法を撃ち出すことによって黒い霧を晴らした。
薄く散らされた霧は一所に集まり、再びイカリヌシが姿を現す。
「はっ、もう終わりか…… そりゃそうだよな」
ダテはイカリヌシの特性を見抜き、暗黒の魔力から生まれた魔物が吸収出来ない属性を放つことで活路を開いていた。
「残念だったな、俺は聖職者だったこともあるんだ」
ダテは言って、イカリヌシに向かって構えなおす。
「タネが割れたな、行くぜ!」
ダテは吸収されない属性、『聖』の力を両手に走らせ、突撃した。
イカリヌシは怯えるようにダテの拳を左腕で受ける。
めりめりと、骨の軋む音が腕を通して聞こえた。
――行ける。
ダテは確信した。これまでとは打撃の通りが違う。身体強化に使っている分が少し差し引かれてしまうが、それを補ってあまりある量の魔力がイカリヌシから抜かれていく。
負けじと、これまでのダテの動きから盗んだのかイカリヌシが鋭いローキックを放ってきた。モーションが鋭く、ダテはかわしきれない。
ダテは体に聖属性のシールドを張ってそれを防御した。
反発する魔力を受けて弾かれたイカリヌシが大きく体勢を崩す。
「くたばれ!!」
ダテはイカリヌシが崩れていく方向へと入り、渾身の右ストレートを顔面に見舞った。
衝撃波と白い光の波が飛び、イカリヌシの体が雪上を滑っていく。
ダテは追撃にと、雪上に落ち、転がるイカリヌシに向かって突進した。
ダテが唸りをあげ、拳が輝きを増す。
拳が起き上がろうとするイカリヌシに向けて放たれ――
激しい破裂音が鳴り響いた。
「な……!?」
ダテは一瞬、何が起こったのかわからなかった。わかったのは自らの対魔力用の障壁が砕かれ、今は緊急用にかけてある自動回復魔法が緑の光を体に這わせている感覚だけだった。
雪上に空を仰いで倒れている自分を確認し、理解する。
――撃たれたのか、俺は。
激しい破裂音を伴い、対魔力障壁をたやすく貫通する。それが可能なイカリヌシの手札は、角から放たれる稲妻くらいだ。
だが、突進中にイカリヌシの角に魔力がみなぎるところは、いや、そもそも折ったのだからここまで鋭い力が放てるはずがない。
ダテは動かない体で、なんとか相手を確認する。
怪物の再生した右手が、折れた角を構えていた。
『なんて、やつだ……』
声を出そうとしたが、声にならなかった。
イカリヌシが構えていたのは魔力収束時にダテが折り、後にストマールが踏んで窮地に至ったあの角だった。
角は魔力をみなぎらせたままだった。イカリヌシはそれをこっそりと回収していたのだ。
角は確かに折れたままだった。その再生を『できないもの』と決めてかかっていた故の致命的なミスだった。
倒れたダテに向かい、遠くイカリヌシが迫る。
ダテは体を動かそうとしたが、稲妻の直撃を受けた体は言うことを聞こうとしない。自動回復は始まっていてもまだ時間がかかる。とても間に合いそうには無い。
ここまでか、とダテは思った。
ダテは目を閉じ、全身に魔力をみなぎらせようと集中する。
収束した魔力が一定値を超えた辺りで強烈なめまいが始まり、徐々に体から現実感がなくなっていく。
――ごめん、ストマールさん。
充分な魔力が溜まり、ダテが『禁則』に触れようとした時――
「やらせるかよ!」
ダテは、はっと目を開けた。
動かない体を無理やり動かし、首だけで事態を覗く。
イカリヌシの近く、彼が剣を振り回していた。以前と変わらぬ流れるような動きでイカリヌシを翻弄し、一瞬の隙を見計らって足元を斬りつける。
「お前の相手は俺だ、こっちへこい!」
彼はイカリヌシを誘導し、徐々に離れ、ダテのもとから遠ざかっていく。
『大将! 大将!』
そんな光景を見ていると、甲高い声で通信が入った。
『大将! 九死に一生でしたね! ストマール超やるやつっス!』
ダテは、ふっと口元を綻ばせ。
『俺は別に死にやしねぇよ』
と、嬉しそうに思念を飛ばした。
遠く、ストマールの掛け声やイカリヌシの咆哮が聞こえる。助かったことを理解したダテは最後の策に動く。
『クモ、頼みがある。出て来い』
緑色に発光するダテの体から、ふわりとクモが飛び出した。
「はい、大将! 何やるっスか!?」
びしっと敬礼してみせるクモ。
ダテは右腕を筋力ではなく魔力で動かし、『魔法ではない』力を行使する。
ダテの腕が、裂け目から紫色の光を発する空間に吸い込まれていく。
「『無制限倉庫』っスか? 何出すんです?」
ダテは答えず、紫色の空間の中を手探りし続ける。
ただ、その恥ずかしい呼び方はヤメロ、とだけ思っていた。
やがてダテの腕が止まり、紫色の裂け目から何かを引きずり出す。
「うわー、埃まみれ! たまには掃除しましょーよぉ……」
出された物を見たクモの第一声はそれだった。
『クモ、お前はこいつを持って――』
ダテの作戦が始まった。
「ぐっ……!」
ストマールは剣を上方から斜め下へと構え、イカリヌシの爪を受け流す。
「くそっ!」
返す刀で手の甲へと斬撃を見舞う。だが、狙いはわずかにそれる。
ストマールは互角に渡り合ってはいたが、やはり先ほどのダメージが抜け切らないために動きに精細を欠いていた。
対してイカリヌシは力を大きく失ってはいたものの、狡猾に成長したのか体を時折黒い霧に変え、剣での攻撃を逸らすことを覚えていた。
ダテとの戦いでよほど危険を感じたせいか全身を霧にしないことはストマールにとって救いだったが、厄介なことには変わりない。
――このままではいずれジリ貧か?
そんな考えがよぎり、チラリとダテが倒れていたあたりを見る。
ダテの手が、こちらに向けられていた。
「何!?」
ダテの手から光弾が発射され、ストマールは思わず飛び退った。だが、光の弾は彼の動きを追尾し、その手に持つ剣に命中した。
衝撃を予測し、握る手に力を込めるもそこにはなんの衝撃もなく、弾は剣に吸収され、刀身には見るも美しい白い輝きが宿った。
「なんだ? 俺の剣が……!」
驚くストマールに対しイカリヌシが腕を振り上げた。
ストマールはそれを横に回転して避け、そのまま腕を斬りつける。
咄嗟の行動と疲れのために狙いはやはりわずかにそれてしまい、ストマールの剣はイカリヌシの腕の硬い部分に向かって走る。剣先を見ながら、弾かれる衝撃に備えるが――
すかりと、剣先は抵抗もなくイカリヌシの腕を切断した。
「なんだと……!」
斬った方か斬られた方か、いや、そのどちらもが驚いていた。ストマールの刀身はダテにより聖属性の魔法が付与され、彼の達人技を乗せたそれに最早切れぬゴーストなどない。
「こいつは、いい!」
腕の吹き飛んだイカリヌシに対して、ストマールは気力の戻った軽快な動きで斬りつける。もう一本の腕が吹き飛び、腹を斬りこみ、剣をかわそうと霧と化した右足を、霧ごと完全に消し飛ばした。
支えるものがなくなりイカリヌシはなす術もなく雪上に転がる。つく手も何もなく、左足一本になったイカリヌシはもがくばかりで立ち上がることすら出来ない。
「ストマールさん!」
完全に勝利が見えた状況で、ダテの切迫した声が響いた。ストマールが振り向くと彼は、うつぶせになって上半身だけをあげて左手であらぬ方向を指差していた。
「なんだ……? 何がある……」
指差している先を見るが、特に何も見当たらない。
いや、今はそんなことよりと、イカリヌシを見た彼はダテが必死に声を上げた理由を理解した。
イカリヌシは黒いオーラを全開にし、姿を変えつつあった。
黒い霧が凶暴な姿から、美しい羽と曲線を持った体に変形する。
その姿はあまりにも小さい。
「……!?」
ストマールには意図が見えた。だが、もう目の前のイカリヌシは――
「早く! 逃げられる!」
翼を広げ、その『トリ』は地上を離れようとしていた。
――飛び掛かって一刀するか? さっきの何も無い場所へ走るか?
考える間もなく、ストマールは剣を放り投げてダテの指差していた地点へと走っていた。
何もないと思われた場所に、金色に光る何かが飛んでいた。
羽の生えたそれは御伽噺の妖精のように見えたが、彼が近寄ると役目を終えたようにかき消えた。消えた先には彼の良く知る、仕事の相棒が転がっていた。
「弓……?」
思わず手に取ったそれは折れたはずの部分が修復され、魔法をかけられた剣と同じ、白い光を放っている。そして一緒にされて転がっていた矢は、青い美しい羽と芸術品のような装飾が施された矢尻を持ち、とても使い捨てとは思えないものだった。
「撃てってことか……」
ストマールは静かに弓を構え、矢をつがえる。
振り返り、獲物を目で追った。
すでに飛び立ち、手の届かない上空へと迫っている。
「ストマールさん!」
ダテが叫んだ。
「焦んなよ、ダテ……」
弓をつがえたストマールは、目視すら難しい小さな鳥を冷静に見据え、弓を引き絞り、
――放った。
空を飛ぶ青い芸術品が光の帯を作り、白い上空へと吸い込まれていく。
疾るその先には、黒い鳥。
接触――
炸裂したヴァルキリー・アローの青白い光の花火に蒸発する黒い霧を見ながら、ストマールは小さく勝ち鬨をあげた。
「俺は…… 狩人だぜ?」
雪の上、白く輝き突き立っていた剣が一本、光を失い根元から砕け落ちた。




