13.ハード・スノーボール(中編)
「一気に決めるぞ!」
「危ない!」
片角を叩き折られ、転倒から起き上がったばかりのイカリヌシに向け、ストマールが一直線に向かっていく。
だが、角を叩き折った本人であるダテは決して忘れていたわけでない。
魔力を放つ前に折った角は一本だけだったことを。
イカリヌシは容赦なく、右角の力を解放した。
ダテの視界が最悪の予感にスローモーションになる。
まっすぐに走るストマール、そこへ向けられた右角――
輝く透明な右角から、音速を超える速度で稲妻が放たれ――
ふっ、と、ストマールの姿が一瞬にして消えた。
「……!?」
消えたように見えたのはどれくらいの瞬間だろうか、破裂音が響きわたるその前方をストマールが進んでいた。
目標めがけ、裂ぱくの気合と共に彼の剣閃が弧を描く。
僅か遅れて、ズルリと怪物の右腕が落ちた。
「やっぱすげぇわ…… あの人……」
イカリヌシが肘から先を失い咆哮を木霊す様子を見ながら、ダテは独りごちた。
ストマールの熟練したフェイント、かからないのは放つ本人だけだった。
「ダテ!」
ストマールに呼ばれ、意識が引き締まる。彼はイカリヌシを見ろと指示を出していた。
「こいつは…… どういうことだ……?」
ダテは走りよって説明した。
「これは生き物ではなく純粋な魔物ですから、形はこいつのイメージでしかないんですよ。一昨日負わせたはずの傷も綺麗になくなってるでしょう?」
切り落とされた腕は紫の血液のみを残し、既に消えていた。イカリヌシのまわりには黒いオーラと、同じく黒い霧が集まり腕の「再生」が始まっている。
「不死身なのか……?」
「いえ、普通に死にます。ただ……」
再生を続けている状態のまま、イカリヌシが腕を振り上げる。ストマールが横へと跳び、ダテは後方へ跳んだ。
ダテはそのまま手をかざす。
「魔力が尽きるまで徹底的に叩き続けなきゃならないってことです!」
手のひらから目に見えない透明な刃が無数に放たれ、イカリヌシの体に傷を付けていく。
「わかった!」
ストマールは接近し、隻腕となった怪物に剣を振り上げた。
二合、三合、戦いは続いていく。
ダテはすさまじいまでの速さと力で巨体に向かって突きや蹴りを放つ、時にそれは刃や炎をはらみ、イカリヌシの魔力を削っていく。
一方ストマールは弱った相手にも油断無く立ち回り、攻撃を避けることを重視しながらも機会を逃すことなく攻めに転じる。
何度再生しようとも、また雷を放とうとも、この大勢は揺るぐこともないように思われた。
「うぉっ……!」
だが、終始優勢だったはずの状態で、ストマールが大きく体勢を崩した。
ぐらり、と雪の上に倒れそうになる。
――なんだ、何を踏んだ? 角……?
そう思った時には彼の体は宙を舞っていた。空を飛んでいることを自覚し、着地しなければと意識をするが意識以上は働かない。
彼はそのまま雪の上に落下した。
「くっ……!」
ダテはイカリヌシの腕をまともにくらい、吹き飛ばされていくストマールを見た。
バランスを崩していたためか、なす術もなく喰らったという感じで、それはこのイカリヌシの腕力を考えるに生命が脅かされるほどの一撃と言えた。
「野郎! やってくれたな!」
ダテの両の腕と足に、金色の光が灯る。
ダテは急激な疾駆でイカリヌシに迫るとこれまでに無い、残像すら残らないほどの速度でイカリヌシを蹴り上げた。
巨体が十メートル以上の距離を飛んでいき、遠く、雪に埋まった。
「くそ、ストマールさん……」
いきなりケタ違いの強さを見せたはずのダテは攻撃を加えた側にも関わらず、足元すらおぼつかない様子で頭を抑えながらストマールの方へと歩いた。
その姿は見る者がいれば目を擦らずにはいられないだろう、彼の全身は明滅していた。
「よう、ダテ……」
「……!」
歩み寄ったダテに、倒れたままストマールが声をかけてきた。
「俺はやられちまったらしいが、あいつは、どうなった……」
呼吸は荒く、声は弱々しい。
ダテは急いで彼の体を確かめた。
「……!」
――なんてことはない、これは助かる。
もとより、垂直に跳んでイカリヌシを飛び越えたり、腕で振り払われても怪我一つ負わなかったりと、彼の身体能力、ひいてはこの世界の「人」の能力に普通ではないものを感じていたが、どうやら考えは間違っていなかったらしい。
あれだけの打撃をくらいながら、ストマールの体はあちこちが骨折している程度だった。
「まだまだこれからです、行きますよ」
ダテは腕から緑色の強い光を発すると、光によってストマールの体を包んだ。
「これは…… そうか……!」
ストマールは「回復魔法」があることを思い出し、気力を取り戻した。
「骨が折れたくらいじゃ俺の前では戦線離脱はできませんよ。手伝ってください」
「なんの地獄だよそりゃあ……」
ストマールは光に身を委ね、夢見心地で悪態をついた。
ダテは背を向けて立ち上がる。
「ダテ……」
「動けるまでにはまだしばらくかかります。二、三分でもいい、そのままいてください」
「だが……」
「相当弱らせていますから一人でもなんとかなるでしょう、それじゃ」
ストマールの目にはダテの向こう、遠く怪物が立ち上がっているのが見えた。
いや、それよりも、見知った黒い背中が一瞬霞んだ感覚が、彼に口にできない不安を与えていた。
ダテは雪上を走り、自らイカリヌシに迫った。
一対一の勝負になろうとも、もともと決定していたような大勢だったため、さほどの問題は無い。いや、むしろ先ほどのダテの力を受けたためかイカリヌシに思い切りがなく、動きは鈍いものになっていた。
いかに身のこなしが俊敏であろうとも戦闘の技術など持たない魔物の攻撃は単調で、ほぼ全てが大振りだ。圧倒的な力と巨体による攻撃範囲の広さは強力だが、ダテの魔力で強化された異様なまでの身体能力を相手にはそれだけでは追いつけない。
ただ、ダテにとって辛いのは魔物の体力、いや、ダテ自身の決定打の無さだった。
景気よく、人であれば一撃で骨が砕け散るような打撃を繰り返しているダテだが、このイカリヌシ、いくら蹴ろうが殴ろうがそれほど魔力を失わないのだ。
――おかしい。
ダテは思った。
ダテの打撃とストマールの斬撃、どちらの方が威力があるのかと言えば、系統が違うために物理的に推し量ることは出来ない。だが、相手が魔物の場合は相手の魔力量の減少によってある程度理解することは可能だ。
これまで戦ってきた森の中の魔物達との戦いでダテが知覚した限りではさしたる差は無く、むしろダテの攻撃の方が勝っていたふしもあった。
しかしこの戦い、イカリヌシに対してはダテの攻撃は効果が薄く、ストマールの攻撃の方が遥かにダメージが高くなっていた。
攻撃を交わしながら考えていたダテの目の前で、イカリヌシの片角に魔力がみなぎった。
「……ってめぇ!」
いきなり放たれた稲妻をまさに皮一枚で回避する。
「お前何モーション省略してんだ! ふざけんな!」
ダテは少し焦げた髪を感じながら怒鳴る。
これまでのように退くことも腕を掲げることも無しに、イカリヌシは稲妻を放った。ストマールもびっくりのフェイントである。
「こ、こいつほんとは頭いいんじゃないだろうな……」
悪態をついているダテをよそに、イカリヌシの角に再び魔力が宿る。
放たれた稲妻を前進しながら回避し、
「いい加減にしろ!」
ダテは勢いよく顔面にソバットを叩き込んだ。
蹴りはもう一本の角を綺麗に吹き飛ばし、イカリヌシがどう、と地面に倒れる。
ダテは続けざま、トドメとばかりに倒れているイカリヌシに向かって飛び上がり、急降下する跳び蹴りを落とす。
「……!」
ダテの足が『雪の上』に降りる。イカリヌシは四散していた。
「こ、こいつ……!」
イカリヌシは黒い霧になり、ダテを取り込んでいた。




