12.ハード・スノーボール(前編)
雪深い森の中を二人は疾駆する。阻んでいるのは木々か地形か、イカリヌシとの距離は開きつつあった。
「ストマールさん! あの場所!」
木々の先、白くだだっ広い雪原があった。
「よし……!」
二人は森を抜け、雪原の中ほどまで走りきり背後を振り返った。
後数分とせず、イカリヌシもこちらへと到達しそうだった。
「この場所なら戦いやすい、ここで迎え撃ちます」
「任せろ!」
二人は散開し、お互いに大きく距離をとった。
怒れる怪物から逃げ回っていた二人だったが彼らはただ逃げ回っていたわけではない。事前に打ち合わせていた通り、広く遮る物の無い場所への誘導を試みていたのである。
挟撃し辛い、木々の上方から強襲されかねない、木や岩などの思いもよらぬ障害物で思わぬ事故に合いかねない。森の中の戦いでは彼らにとって不利な点が多すぎるという結論だった。
そして何より、戦うための最低の条件として上げられたのが、以前に戦った時に見せられたイカリヌシの撤退、それを難しく出来る場所の確保だった。
――この場所ならば逃げ出されても追いかけ、討つことは可能だろう。
ストマールはそう考えながらいつもの動作で、背中から弓を取り出した。
構えようとしてすぐに違和感に気づく。
舌打ち一回、彼は弓を投げ捨てて腰の剣を抜いて構えた。
「もとより、獲物なんかじゃねぇか……」
谷を飛び越えた時なのか、それともそれ以外の場所で知らずにそうなったのか、彼が背負っていた弓は真ん中から折れていた。
イカリヌシが広場へと躍り出てくる。
「ストマールさん! 来ます!」
「こっちは駄目だダテ! さっきのあれを撃て!」
遠方にいるダテはストマールを一瞥すると、弓を投げ捨てていることで察したのか、手のひらをイカリヌシに向けた。
続け様に四、五発の光弾が飛び交い、イカリヌシに直撃する。
ひるんだ様子を見せた怪物は、矛先をダテに向けて雪原を突っ切ってきた。
すかさずダテはストマールとの位置を測り、挟撃になる位置へと走り始める。
「やっぱりいい狩人になるぜ、あいつは……」
一言呟き、イカリヌシが自分とダテに挟まれ、背中を見せたタイミングでストマールは走り出した。
激しい格闘の音が響き、怪物とダテが殴り合いを始める。
イカリヌシの背後にストマールが迫った。腰を沈め、立ち止まっているイカリヌシの足を狙って渾身の一撃を構える。
――巨大な蹄が、噴くような速さで迫った。
ストマールはほとんど本能的な動きでイカリヌシの後ろ蹴りを上半身を逸らして回避し、そのまま自ら後ろに転がった。
追撃を恐れて早々に立ち上がったストマールだったが、怪物の背中越しに聞こえる轟音からも、イカリヌシはダテとの戦いに必死になっているらしく、それはなかった。
危ないところだった。カウンターで喰らって無事に済む質量ではない。
人間以外、特に野生の動物がまるで背後にも目がついているのではないかというほどに、気配を察する力に長けていることは心得ていた。しかし、それはあまりにも的確な攻撃だった。狩人としての勘が染み付いている今の彼でなければ、きっと一撃のもとに倒されていただろう。
ストマールは内心の動揺を押さえ込み、再び剣を構え巨大な背中と対峙する。
「だらぁぁっ!」
ゴッ、というくぐもった硬質な音が聞こえ、イカリヌシが仰け反った。
「……!」
潰されまいと咄嗟に間を空けるストマール。
イカリヌシの後頭部越しに、腕に炎をまとったダテが拳で天を突くような不思議なポーズで空へと飛び上がっていった。
両の手で引火した顎を抑えるイカリヌシを見るまで、何をしたのかを理解することは出来なかった。
だが、彼にとってここは機会だった。
上空から降りてくるダテと入れ違うように、ストマールは跳躍した。イカリヌシは強烈な打撃を見舞った相手を睨み、彼の行動に気を払っている様子は無い。
六、七メートルの高さをほぼ垂直に跳びあがった彼は、もらった、とイカリヌシの後首へと必殺の一撃を振り下ろす。
――金属が激しく衝突し、共鳴した甲高い響きが渡る。
ストマールの全力の一撃はイカリヌシが振り上げた左腕によって阻まれていた。
「……!?」
二度に亘る背後からの攻撃を防がれ、ストマールは動揺した。
そんなストマールをイカリヌシの後頭部、真ん中についている「一つ目」が睨んでいた。
「こいつほんとについてんじゃねぇ―― ぐわっ!?」
「ストマールさん!?」
言い終わらぬうちに、イカリヌシが左腕を振り払い、ストマールがふっとんでいった。
ダテはすかさず炎の弾を射出してイカリヌシを牽制し、彼の元へと駆け寄った。
「ス、ストマールさん……!」
ストマールは雪の上を転がったことがよかったのか大した怪我もなく、手をつきながらふらりと身を起こした。
「き、気をつけろダテ…… あいつ比喩じゃなく、後頭部に目がありやがる……」
ダテは瞬間あっけに取られた顔をし、言った。
「あ、はい、ありますよ? 前の戦いで見ました、跳び蹴りを防がれまして……」
「じゃ言えよ!!」
ダテは既に一昨日の戦いで同じ目に合い、経験済みだった。
そんな二人のコントを無視し、イカリヌシが四速歩行で猛然と迫りくる。
「あっ、やばい、来ますよ」
「はぁ、お前はヤバイ狩人になるぜ……」
二人は再び散開し、イカリヌシを挟む。
ストマールは最早不意打ちなどは狙わず、時には側面から、時にはダテの前に現れ正面からイカリヌシと戦い始めた。
その動きはやはり尋常なものではなく、速さと力で敵わない相手を的確にいなし、力強く有りながらも流れるような動作で剣撃をつないでいく。
ストマールが旋回しながら腹部を斬りつけると同時、ダテの跳び蹴りが顔面に決まり、イカリヌシはたたらを踏んで後退し、すばやく後ろへ跳び退った。
イカリヌシは両腕を眼前に持って行き、念じた。
「くるぞ!」
ストマールは叫び、回避に移る。角の向く先が稲妻の出る方向、それさえわかっていれば彼には回避できる魔法だった。
だが、ダテは逆にイカリヌシにつっこんでいく。
イカリヌシが両腕を広げ、力のみなぎった角をダテに向ける、ダテはその狙いを残像が残るような速さで右へとかわし、すぐさまイカリヌシに向かってはね跳んで右拳を突き出した。
顔面を横から狙った拳がボキリと左角を叩き折り、イカリヌシはこの場で初めて音を立てて倒れこんだ。
「やった……!」
ストマールはその見事な手並みに思わず吼えた。
ダテは倒れながらも彼を捉えようとする腕を回避し、距離を取る。
怪物は片角を失い、なおも立ち上がってきた。
ストマールは剣を構え、勝負を決めようと動いた。
「ストマールさん!」
ダテは注意を払っていた。
確かに好機にしか見えないが、まだ――
「一気に決めるぞ!」
「危ない!」
怪物の右の氷柱には、いまだ魔力が宿っていた。




