10.魔の雪山
「そうか…… スリリサの婆さんが……」
ダテはストマールにスリリサの家での事を話した。個人の過去に深く関わるような話も出たためストマールは伏せられる部分は伏せてかまわないと言ったが、ダテがそれを拒否した。
これから戦いに赴く者、そして集落の主要な人間として聞かせないわけにはいかなかった。
「御伽噺でも聞いた気分だな。だが、件の化け物…… 魔物だったかは存在するんだ。嘘じゃねぇんだよな」
「ええ、そして…… ストマールさん」
「わかってる…… これは集落でケリをつけなきゃいけない問題だ」
ストマールは剣を研いでいた。その道は捨ててしまって長く、いざという危険を回避するためだけにぶら下げていたため、これまでは手入れもろくにされていなかったらしい。
そんな剣を今更に研いでいる。ここには彼の覚悟があった。
「はい、そうでなければ…… 俺も力を貸せません」
「明日は俺が行く…… 集落からは俺だけだ。それで許してくれるか?」
「……どうしてです?」
「他の連中には荷が重過ぎる…… 命を張るのは命を捨てることじゃない。明日に関しては俺が背負って行かせてもらう」
それはストマールらしい申し入れだった。これは彼の優しさではない。彼はあくまでプロの狩人として冷静な判断を下していた。
たった三週間程度の付き合いだが、それがダテには伝わった。
「わかりました…… 無駄に人が死ぬのは俺も見たくないところです……」
「恩に着る」
ダテは静かに目を閉じ、イカリヌシとの戦いをイメージし始めた。
後にはただ薪の爆ぜる音と、剣を研ぎ続ける音だけが小屋に残った。
~~
翌日、その日は曇ってはいたが雪は大人しく、戦いには悪くない日だと言えた。
朝食を取ったあと、ストマールは狩人達や一部の集落の人間を連れてスリリサの家へと行き、彼が戻り出発となったのはそろそろと日も高くなろうという頃だった。
「ストマールさん、集落の人達は……」
「大丈夫だ、スリリサの婆さんをはじめ古い人間達が外出を禁じた。狩場どころか外にも出ないさ」
「助かります…… 正直なところ、これから何が起こるかは俺にもわかりませんので」
「……不安にさせるなよ、慣れてるんだろ、こういうの」
「ケースバイケースと言いますか…… 俺の常識なんて所詮枠が知れてるんです。気は抜かないでください」
「わかった」
二人はいつもの狩りとは違い、横に並んで歩く。
「ところでストマールさん、一人で行く、というのは納得が得られましたか?」
「でなきゃこうして二人で歩いてないだろう」
ダテはよそ者としての立場をわきまえ、彼が行った会合には参加しなかった。
「いえ、反対を押し切ったのであれば不安です。こっそりと援護に現れてもおかしくない」
「……ヨークのことを言っているのなら的外れだ。あいつは結構なキレ者だからな」
「と、いうと?」
「反対はあったさ、狩人連中だけじゃなく、そうじゃない集落の連中にもな。だが、認めさせた。俺が死んじまった場合の備えになれとな。あいつにはリーダーを任せたのさ」
それ以上ダテは聞かなかった。それで充分か不充分か彼には判断がつかなかったが、ストマールがそう言うのであればそれでいいと思えた。
仮に誰かがわりこんで来るにしても、守ってやればいいだけの話だ。
「ああ、そうそう、残念ながら、俺を心配する声はあってもお前さんを心配する声はただの一つもなかったぜ? 婆さんも、その孫娘も含めてな」
いやにからかうような声色でストマールが言った。
「それは聞きたくなかったかな……」
「誰も彼も、俺達の新人がくたばっちまうところは想像出来ないんだとよ。俺が足引っ張るなとまで言われたぜ?」
「なおさら聞きたくありませんでしたね……」
二人は狩り場に足を踏み入れていく。
辺りを見渡すと、一昨日と同じく魔物化した動物達がそこここに点在していた。
増えているということはない、更に様相が変化しているということもない。ただ、そいつらはどこにでも当たり前のようにいて、当たり前のように彼らに襲い掛かってきた。
ある程度の慣れがあったのだろう、今日のストマールは弓矢を中心に使った。ヨークのように何本と同時に扱ったりということはしなかったが、彼は見事なまでの集中力の冴えを見せ、次から次へと的確に急所を射抜いた。
ダテは最早隠すこともなく身体能力を惜しみなく発揮し、殴り蹴り、時には空中に飛び上がってストマールの放った矢を手にし、それを突き立ててみせるような芸当までもやって見せた。
「こいつらは今日俺達が来たからこうなっているわけじゃなく……」
「ええ、昨日もここにいたはずです。一匹も集落に降りてこなかったのは運がよかったとしか言い様がない」
二人はまっ白な山道を、最小限の戦闘を行いながらイカリヌシを求めて歩み続ける。狩り場に入り一時間余りが経とうとしていた。敵わぬと悟ったのか、魔物達は姿を見せなくなってきていた。
「傷が癒えていないのか…… やつは姿を見せんな」
ストマールは足を止め、油断なく辺りを見回しながら言った。
天候は大人しいが雪は降っている。足場は白く、二人分の足跡が後方に広がるばかりだ。この状況で魔物を警戒し、時に戦いながらにして疲れを見せない彼は流石だった。
「やはり…… 慰霊碑のある場所にいるのだと思います。そこに行ってみましょう」
「慰霊碑……? それは例の封印のある場所か?」
ダテは短く、「ええ」と言って頷いた。
「理由は聞かせてもらえるか? 案内するのはかまわん」
「ここは魔力が薄く非常にやり辛いのですが、昨晩から何度か刺激しない程度の魔力感知を行っています。しかし、ひっかからない……」
「魔力感知…… なんだそれは?」
「簡単に言えば小さな波を輪のように放射し、その跳ね返りで魔力の位置を探る…… そんな魔法です」
「……ってことは、それで見つかるようであればこうやって探して歩き回る必要も無い、そういうことなんだな?」
「ええ…… ただし、お察しの通りこれも絶対ではありません。複数が一箇所に固まっていてはその数までは把握できませんし、結界など邪魔をする要素があれば反応も帰ってきません。あと、魔力をあまり持たない人を見つけることも困難です」
「便利には便利なはずだが、聞くと不便にも感じるな…… それで、今やつを見つけられない理由は?」
ダテは額に手を当て、軽くくしゃくしゃと前髪ごと頭を掻く。
「おそらく…… スリリサさん達が五十年前に行った封印…… それがジャマーになっているのだと考えています」
「なるほど…… なら尚更そこに行くしかないな。つまりやつはそこで寝てるってことだろ?」
「俺の考えが正しければ」
「よし、なら出発だ」
行き先は決まったと先行して歩き出すストマール。
彼は数歩と前を行くと、歩みを止めてダテに振り返った。
「ああ、そうだ…… ダテ」
「はい?」
「俺に遠慮することはない、使えるんなら魔法は使ってかまわんぞ。どの道、今日のことが終われば魔法なんてものはなかったことにするつもりだ。一生の思い出に目にしておくのも悪く無い」
ストマールはこれまでのダテの戦い方、その激しさが気がかりだった。魔法というものがどれだけ危険なものかはイカリヌシとの戦いで知っていたが、自分を巻き込まないために運動量の多い戦い方を選んでいるのだとすればやりきれないものがある。
「……ご好意には感謝しますが、ちょっと問題もありまして……」
「なんだ? 戦いには使えないものなのか?」
「場所によっては使えない、使ってはいけないものもあるんですよ。色々と複雑なんです」
彼の心遣いは伝わったが、ダテが魔法を使わない理由は他にあるようだった。
「……そうか、まぁ、深くは聞かんが」
「でもそうですね、簡単なものなら大丈夫でしょう」
そう言って、ダテは手のひらをストマールに向ける。そこには緑色の柔らかな光が灯っていた。誘われるようにその手を見ていたストマールに向かって光はふわりと舞い、彼の体を優しく包み込む。
「おお……!」
言葉にし難い心地よさに見舞われ思わず驚きの声をあげる。
「これは…… いったい……」
「回復魔法というやつです。軽い傷や疲労程度ならすぐに癒せます」
体を見回してみる。傷を負うことはなかったのでそこは確認できなかったが、確かに彼の体からは疲れが消えていた。
「こいつはすごいな…… 今狩り場にきたばかりのような感覚だ」
「では行きましょう、案内お願いします」
「おう!」
疲れが抜け、気力が湧いたストマールは力強い足取りで歩みを始めた。
~~
狩場の奥、人の背丈の半分ほどの大きさの石が立っている場所へ出る。その石は地面に埋めて立てられ、倒れないように周囲を別の石によって固定されている。それは加工こそ施されていないものの、オブジェと呼ぶにふさわしい様相だった。
「これ、ですね」
「ああ、慰霊碑だ」
言いながら目を閉じ、ストマールは軽く手を合わせた。その仕草はダテの祖国でよく見られる動作によく似ているが、合わせる位置は低く心臓の前辺り。スリリサがダテに見せる挨拶とはまた別の、格式ばった動作だった。
「こんなに奥地にあるんですね」
「狩人と、狩った獲物の両方を慰霊するための碑だからな。集落の中に置くのもおかしいさ。で、どうだ?」
「予想通り、魔力感知はここで邪魔されていたようです。ほとんど力を失っていますが、魔力を沈め、封じるタイプの結界が張られています」
「……ヤツは、いないようだが?」
「いえ、います」
ストマールは、はたと辺りを見回した。
「何……? どこだ……」
「ここですよ」
そう言うやいなや、ダテはその腕から強烈な業火を碑に放った――
ザッ、と、大きな影が燃え盛る碑から飛び出し、形を作る。それは徐々に巨大な、まさに怪物という風貌を描き出していた。
体は「クマ」、足と頭部は「シカ」、尻尾は「ウマ」、そして凶悪な「魔物」の爪と、稲妻を放つ氷柱の角――
「こいつは……!」
「何年と封じられるうちに、こいつが隠れ蓑になり住処になると学習したんでしょう」
咆哮一閃、怪物『イカリヌシ』は二人に襲い掛かってきた――




