4.見透かされる殻
その日、男はやってきた。
「レラオン様、西棟三階制圧完了です」
西棟、中央棟、東棟にコの字型に囲まれたグラウンド。その中央にいる男へと、黒いローブを纏った者が歩み寄る。
レラオンと呼ばれた男。総勢三十名を超える黒いローブの人だかりの中、極めて目立つ白く硬質なジャケットに身を包む男は、ただ一人だけその白髪と紫色の瞳を衆目に晒し、風格を見せつけるかのように仁王立ちしていた。
「生徒と、教員どもは?」
「はい、多少教員が暴れましたが、もろともに捕らえてあります」
「死亡者は出しておらんだろうな?」
「こちらにも、むこうにも、ありません」
「よし」
レラオンは満足そうに頷くと、遠間にいる数人のローブの者達を手招きした。
「神学部の主要生徒は押さえた。皆に指示を出し、校内から出来うる限りの生徒を捕らえて回れ。抵抗するようであれば教員は殺してもかまわん」
胸の前で右の拳に左手を被せ、一礼を見せたローブの者達が散開していく。
その不穏な一団と入れ替わるように、西棟より、生徒を率いた黒の集団がグラウンドへと現れる。
「さて…… いよいよ戴く時が来たようだな」
何者をも怖れない。尊大が過ぎる瞳が集団を貫いていた。
その非日常な光景を、シュンは出会ったばかりの人物とともに見つめていた。彼がいる屋上は東棟、コの字の下辺に当たる。
「な、なんだ……? あの集団……?」
目の前の事態など把握できようはずはない。シュンはただ、動揺するのみだった。
「……過激派ってやつだな、あれは」
「過激派……?」
かろうじて知っているくらいの馴染みの無い言葉に、現実感が薄れる。
「ほれ、見てみろ。君も魔法を習ってるなら感じるくらいは出来るだろ。あの黒いローブの連中、どいつもこいつも魔法使いだ」
言われるままに、シュンは授業で習った通りに魔力への感覚を開く。
「な…… 高い……! なんてレベルだ……!」
そして戦慄した。その一人一人が、学内でも成績優秀者とされるシュンのレベルと同等か、それ以上の魔力を持っていた。
「そりゃま、力任せに無茶なことしようってのが過激派だ。高校生に負けるような連中ならこんなところにはこないだろうさ。で…… あれがリーダーだろうな」
すっと、用務員の指が動き、グラウンドの一点を指差す。西棟より連れて来られた十数人の生徒達を前に、校舎をねめつけている白い服の男が見える。
「うぁ……!」
「……段違いだな。あれだけの魔力なら、教員連中でも抑えられないだろう」
見た瞬間に、シュンは肌が粟立つのを感じた。その男からは知覚したことの無いレベルの高い魔力、それも学内ではまともに扱える者すらいない、『闇』属性の魔力がみなぎっていた。
「……!」
そしてリーダーらしき男へと釘付けになっていたシュンの目が、視界の隅、うずくまる青い制服の群れに交じった、良く知る「法衣」を捉える。
「あいつら……!」
高所からでも見間違えようがなかった。神学部特待生の白の制服、それに映える桃色の髪。その隣には見知った紫の長い髪が見える。
「あいつらなんであんなところに……!」
「知り合いかい?」
「っ……! 友達です!」
そう答えることに照れを感じる余裕すらもなかった。
ここからでは彼女達の表情まではうかがえない。うかがえないだけに心配が募り、心が抉られるようだった。
「そっか……」
用務員は体をあずけていた屋上のへりを離れると、元いた床へと再び座り込んだ。そして鉄ベラを手に、練り物を塗った床をシャコシャコと擦り始める。
「そいつは、災難な話だな。無事を祈るとしようか」
「い、祈るって……!」
こんな時であるというのに、平然と作業を再開し始める用務員。シュンはその無神経に少しだけ腹が立った。
「この状況で、祈る以外に出来ることがあるかい?」
「そ、それは……」
「君はただの学生さんだし、おっさんはただのおっさんで、雨漏りは直せても悪党をぶっちめたりなんかはできん。黙って災難が過ぎ去るのを待つっきゃないだろう」
「く……」
黙々と作業を進めていく用務員から目を離し、グラウンドにいるユアナ達を見る。
「……!」
そこにまた、新たな一団がシュンのいる屋上の真下から現れ、彼の目に入った。
「リイク……!」
ローブの者達に促されるままに歩く学生の群れから少し遅れ、長身の少年が両脇を固められた状態で無理矢理に歩かされている様子が見えた。
おそらくはいくらかの抵抗を見せたのだろう。彼を乱暴に扱うローブの者達の様子から、それが察せられた。
「くそっ……!」
一言悪態をつき、シュンは歯を食いしばった。
今グラウンドに集められているのは全校生徒にはほど遠い、たった五十名程度の生徒と教師達。そのわずかな中に、彼の親友とも呼べる友人達が入っていた。
だが、目を見張り、歯を食いしばり、拳を握る。それ以上に、彼に出来ることはなかった。
カラン―― と、鉄ベラが軽く放物線を描き、床を鳴らした。
「……いっそ、無茶を承知で戦ってみるかい?」
わずかに口元の片側をつり上げ、用務員がシュンを見ていた。
「……? たたかう……?」
「ヒーローが待ってもこねぇなら、てめぇでなるしかねぇからな。なってみるかい? ヒーローってやつに」
何を言っているのかわからなかった。
「こいつは言っていいのかわかんねぇけどさ。過激派ってのは目的のためには手段なんざ選ばん連中だ。見た感じ、あいつらはどこかカルトじみてもいる。祈ってるだけじゃ、誰も彼もが無事に終わるってことは無いかもしれんぜ?」
用務員の言葉にそれほどの深刻な色は無い。しかしその言葉はシュンの背を凍らせた。
無事に終わらない―― 誰かが死ぬかもしれない。
誰かが動かなければ――
「……無理です、俺には……!」
だが、彼は動けなかった。
「無理? 本当に出来ないかい? 見たところ君は中々の魔力を持ってるようだが、それでも無理かい?」
「見ればわかるでしょう! あなただって言ったじゃないですか! 俺はただの学生なんです! あんな馬鹿みたいに強そうな大人達をどうにか出来るわけない! 俺と同じか、もっと優秀な友達や教師達だって捕まってるんです!」
それは現実的で、事実だった。しかし――
「……本当のところは、怖いだけじゃないのか?」
笑みを崩さずに言われたその一言に、シュンは息を呑んだ。
「それも、相手が怖いんじゃない。魔法で人を傷つけることが怖い、それだけなんじゃないのか?」
「あ……」
心を突かれ、シュンの呼吸が止まる。
彼が誰にも言えずにいた、彼の心の根。その魔法の才能と裏腹に、彼は「優しすぎる」というハンデを負っていた。
この場所に来て専門的に習い、磨かれていった才能。彼は自らの力に、いつしか怯えにも似た苦悩を抱えるようになっていた。
それを的確に見抜かれたことは初めてだった。
「あなたは…… おじさんはいったい、何者なんです……?」
気づけば聞いていた。
用務員は一度目を細め、立ち上がった。
「君がいつも熱心に見ている、ゼラニウムを世話してるだけのただのおっさんだよ」
そう言って、用務員は楽しそうに笑った。