7.深雪に覆うはその力
翌朝、ストマールは昨日の狩場でのことについて仲間達の元へと報告と方策の会合に向かった。
伊達のみが残る小屋の中、あぐらをかいて座っている彼の体から金色の光が飛び出してくる。
「大将! そろそろ出立なさいますか!」
「また勝手に飛び出して……」
やれやれと、伊達は金色を見上げる。
「いやー、ようやく動き出したって感じっスね! 大将はどう見てるんです?」
「昨日の騒ぎか?」
「はい~!」
伊達は昨日のことを振り返る。普通の動物が魔物化する、経験の無いことではなかった。
「単純に考えれば…… 媒体かな」
「バイタイ、っていうと~」
「強力な魔力を持った何かがこの辺りにある。その影響を動物が受けてるってことだ」
時に魔石、時に隕石、時には魔に魅入られた精霊――
例は多種あれど、その身に宿した強大な魔力を振りまき環境を変化させ、魔物を呼び寄せる。
そんな類のものを彼は『媒体』と呼んでいた。
「ん~、やっぱそのセンっスかね?」
「よくあるケースだが、なんともいえないな…… 昨日の大型のやつに関してはもとが動物なのかもわからんし……」
「あいつそのものがバイタイなんじゃないっスか?」
媒体は物ではないこともある。クモの発言は間違っていない。
「その可能性も有る、どちらにせよ近々倒さなきゃならんが、それで終わりなら楽なんだがな……」
「……? バイタイ壊せば終わりじゃないんですか?」
「それもわからん…… まだまだ、情報が足りない」
似た「仕事」はよくあれど、「世界」は常に違う。
彼がいつ、どこに現れようとも情報を第一にし、慎重に動く所以だった。
「大変ですね~、毎回毎回」
「人事かよ…… まぁ、これから婆様に会うことでなんかわかることもあるだろ。とりあえず行くとしますか」
言って伊達は立ち上がった。
「あれ? おばあちゃんは遊びに来いって言ってただけじゃないっスか?」
「アホ、老人の含みくらい気づけ。ほら、行くぞ、消えてろ」
「は~い」
金色は素直にかき消えた。それを見ながら、伊達は思う。
クモが視認出来、自ら自由に動き回れる世界。それは世界が「魔力」を有していることの証明だ。だが、今現在この世界には、この界隈には微量な魔力以外を感じない。
――『ストマールさん! 今のは……!』
『俺が知るか……! まさか夢じゃねぇだろうな……』
そして昨日、例の怪物が稲妻を放った時にストマールに尋ねた限りでは、『魔法』は普及をしていない。彼は剣を得意とし、生半可ではない腕―― つまり幾多の戦いを切り抜けてきた人間と推測できる。そんな人間が魔法を見たことがない、人々が知識とすれば最も戦いに用いられるはずの力を。
世界に魔力は在るが、魔法が一般的ではない。この見方で正しいのだろう。
そして、実しやかな五十年前のコークススの気候変動――
「これは何か、絡んでいるのかもしれないな」
伊達は小屋を出て、スリリサの元へ向かうことにした。
~~
昨日の猛吹雪一歩手前の天候とは違い、今日は少し雲っている程度だった。
ちらほらと人の姿は見えるが、狩人達の姿は見られない。伊達は彼らが会合で集まる場所には心当たりがあったがそちらには顔を出さず、伊達を誘わずに小屋を出たストマールの厚意に甘えてまっすぐにスリリサの家へと向かった。
「よう来たねぇダテ坊」
「お招きに預かり、有難うございます」
ダテが玄関口で呼びかけると、出やすい場所にいたのかスリリサが出迎えてくれた。
「ダテ坊、お昼はまだかい?」
「あ、そういえば…… 考えてませんでした」
「今シアが用意しとるけ、上がって食っていき」
「はい、いただきます」
ダテは家に入り、昼飯をご馳走になることにした。
以前と同じ火鉢のある部屋には四足四角の机が置かれ、上には飾り気の無い家庭的な食事が並んでいる。
思えばここに来てから食事の大半を鍋で過ごしてきていたダテは、久しぶりの食卓に並ぶ、皿に分けられた食事を噛み締めた。
銀髪の見た目をした彼らの食文化は、その西洋的な雰囲気とは裏腹に不思議なほどダテの祖国である日本に近い。動植物の見た目は多少違えども、『出汁巻き卵』、『すまし汁』など、独り身の彼には作り方がイマイチわからないよく知る料理が有り、メインとして置かれている鹿肉と野菜を炒めたものや、添えられたちょっとした煮物なども、『醤油』ベースで作られており、薄めに味付けされたそれは上品で飽きが来ない。また、この家ではダテにとってこれ以上無いというほどに喜ばしい、『米』の存在があった。
入れられた『ほうじ茶』と相まって食事はまさに最高で、ダテは夢中で食事をし、まさに生き返る思いだった。贅沢にも、これで『漬物』があればと思うほどだった。
「いいお肉ですから、どんどん食べてくださいね」
にこにことおかわりをよそってくれるニフェルシアの言葉に、ダテは頷きながら鹿肉を頬張る。鹿肉は表面が薄く焦げているものの、低音でじっくりと焼かれたのか中は柔らかく、野生の油が噛むほどに口中に広がる。また、炭で焼かれた肉は非常に香ばしく、冷ましてなるものかと、ついと箸を進めさせられてしまう。
「どうじゃ、シアの料理は結構ええじゃろ?」
「ええ、香草ですかね、さっぱりしてて美味しいです」
鹿肉は『醤油』ベースの味付けだが、どこか西洋的なハーブの香りが入っている。これがまた、和洋折衷ありとあらゆる贅沢を食卓に盛り込む、日本文化育ちの味覚を刺激する。
「おばあちゃん直伝なんですよ?」
「へぇ……」
言いつつも彼は箸を止めない、馬鹿ほどに料理人を喜ばせる男だった。
「と言ってもここらじゃ普通の作り方じゃがな、男所帯でもない限りはこんなもんじゃ」
「ん~、ストマールさんのこってりした味付けも嫌いじゃないですがね、確かに女性受けはしなさそうだな~……」
食事をしながら、何気ない会話が続く。
スリリサともニフェルシアとも日常的な和やかな会話をしていた彼だが、正直なところ彼の心中は穏やかではなかった。終始懐かしく旨い食事、中でもつつけば黄色いダシ汁を出し、口に入れれば熱くとろけていく出汁巻き卵を口に入れる行為に必死だった。
「うむ、ごちそうさまでした」
「もういいのかい?」
「ええ、ちょっと食べ過ぎたくらいです」
気づけばちょっとわからないくらいにご飯をおかわりしていた。ニフェルシアがいくらでも入れてくれるので油断していたが、満杯だったはずの米びつの中身がいつしか僅かになっていることに気づいた彼は、これ以上はと食い溜めするのを辞めることにした。
食べられる時はとにかく食べる。彼一流の流儀と礼儀である。
「ふふ…… お茶を煎れてきますね」
ニフェルシアは満足そうに部屋を出て行った。
「いや~、すいません、なんだか昼飯せびりに来たみたいで……」
「ええんじゃよ、この集落ではこうやってよその家のモンが飯食いにくるくらいあんま珍しくもない。昨日のお礼もあるしな」
ダテはちょっと無遠慮に食べ過ぎたかと思ったが、家主は特にはなんとも思っていないようだった。思えば狩人達はよく食べ、よく飲む。ダテの食べっぷりも珍しくは無いのかもしれなかった。
「昨日のお礼と言われても…… ストマールさんも言ってましたけど、別にいいんですけどねぇ」
「そういうわけにも参りませんよ、命の恩人なんですから」
お茶を煎れてニフェルシアが戻ってきた。
「どうぞ」
「ああ、ありがとう」
「本当に昨日は危ないところでした…… あのままでしたら私もヨークさんもどちらも無事では済まなかったでしょう」
言ってニフェルシアはダテの近くに座った。銀髪の見た目に反し、慣れた正座だ。
「いやぁ…… 運が…… 良かったのかな?」
「ほっほっ、あんまいいとは言えんのう」
ですよね、とダテはスリリサと共に笑った。
「でも、あんなに大きな悪魔みたいな生き物を退けるなんて…… ダテさんはどういう方なのですか?」
「う~ん、それは……」
今までも何度か自分について聞かれたようなことはあったが、ここまで直球な尋ね方はなかった。彼女にしても、昨日のことはよほどの衝撃だったのだろう。
「これこれシア、男には語れない過去があるものじゃ、聞かぬのも女の美徳じゃぞ?」
「えっ? あ…… ごめんなさい……」
「いや、別に謝られることじゃないけど……」
確かにと、自分のぶしつけな行為にしゅんとなるニフェルシア。
ダテは昨日の夜のことを思い出し、婆さんがそれを言うかねと心の中でツッコミを入れた。
「おお、そういえば……」
そんなダテの思いはよそに、スリリサは急に幾分と真面目な顔で話を繋げた。
「昨日のことと言えば、化け物とやらじゃ。ダテ坊、そん化け物はどんなじゃった?」
「どんな…… と言うと?」
「なんでもええ、まだ詳しく聞いておらんでな、聞かせてくれ」
ダテは少しうつむいて考えをまとめると、昨日戦った怪物について語った。
怪物の強さのような話は二の次に、見た目やわかりやすい特徴に重点を置いて。
「って感じで…… ああ、あと、雷を落としてきます」
「雷? 私よく見てなかったんですけど……」
それなりに力を使うのか怪物はあまり乱用してはこなかったが、ダテにははっきりと見えた。氷柱のように透明な角に魔力がみなぎり、その後に力が発動する様が。
ニフェルシアは少し離れた洞窟の入り口から見ていたので、言われてみれば光と大きな音が起こっていたような気がすると、その程度の認識のようだった。
「そんなことが出来る生き物がいるんですか?」
「確かだよ、魔力…… ああ、いや、落雷を避けたストマールさんも驚いてたし」
ダテが「わざと」言って伏せた部分、それはスリリサに話をつむがせるに充分な効果があったらしい。
「……魔力、か……」
「……!」
「……?」
ダテは「食いついたか」という内心だった。ニフェルシアは聞きなれない言葉に首をかしげた。
「ダテ坊、今…… わざとかうっかりか「魔力」という言葉を口にしたね?」
「……はい」
「魔力……?」
「シア、ちょっと大事な話をするけぇ、聞いとってかまわんが、今からの話は口外するんじゃなかぞ?」
「は、はい……」
その雰囲気に押されるまま、彼女は口をつぐんだ。
「今の話の流れから見るに…… ダテ坊、お主化け物が雷を放つとき、魔力を感じとったんじゃな?」
「……スリリサさん、お話をさえぎって申し訳ないのですが…… 魔法の存在をご存知なのですか?」
「ふむ……」
スリリサは静かに片手をあげ、何かを唱えた。
手のひらを中心に一秒、眩い閃光が放射される。
瞬間巻き起こったフラッシュにニフェルシアがびくりと体を仰け反る。
「お、おばあちゃん……?」
「ご存知どころか…… 使えるんですね?」
「左様…… わしと…… 同世代の何人かは使える。とっくに忘れとるかもしれんがな」
ダテの真剣な表情にスリリサはこれまでにない、低く、落ち着いた声色で答えた。
「おばあちゃん、今のって何……?」
「魔法じゃよ、物語でもなんでもなく、やり方を覚えれば誰でも使える…… 五十年前までは普通にみんなが使っとった……」
「魔法……!? いくらなんでもそんなの……」
ニフェルシアは初めてみる祖母の不思議な力に驚き、戸惑うばかりだった。そんな彼女を一瞥し、スリリサはダテを見つめ問いかけた。
「ダテ坊は使えよるのか? いや、使えるどころじゃないわな……」
ダテは目を伏せ、答えようとはしない。
ニフェルシアはダテと祖母の間で、困惑気味に黙っていた。
ほんの数秒の沈黙の後、スリリサは急須を手繰り寄せて三人に注ぎながら語りだした。
「ダテ坊の体からはものすごい流れを感じとった…… 自ら押し殺したような、薄く押しつぶして隠そうとしてる、魔力の溜まりをな」
ダテは考えを巡らせていた。
老人が魔法を嫌っているのかがわからない。
孫娘に言った口外するなという言葉からして喜ばれる類のものではないことはわかる。その一方、老人が自ら腹を割って話そうとしていることもわかる。
しかし、ここで自らが魔法を使えることを話した場合、早々にここから、この集落から追放される可能性もあった。うかつな言動は避けたい、慎重に進める必要があった。
彼はここでの自分の言葉選びや判断こそが「最大のヤマ」であり、彼女の話をどこまで引き出せるかが「仕事」の成否にそのまま直結するとまで見ていた。
スリリサがお茶を入れ終わった。
ダテは自らに行動の選択を迫る。
それはさながら、五枚の手札の有り様を決定付けるが如く。
踏み込むべきか、次の言葉を待つべきか――
「スリリサさ――」
「うっはー! おばあさんさすがですなー年の功!!」
勝負に出たダテの選択をぶったぎり、彼の体からすぽーんと金色の光が飛び出しやがった。
「ぬぉっ……!」
「あっ! お前……!!」
「……!?」
突然の事態に驚く二人と、いきなり足元を払われてすっころんだ心境の飼い主。
そんな彼らの目の前を、クモがぱたぱたと飛びまわる。
「な、何……? か、かわいい……」
僅かな光を撒きながら優雅に飛ぶ小さな少女は、子供のような見た目も相まって中身を知らなければまず愛らしい。
自らに賛美を与えるニフェルシアを見、ふふんと満足そうに腰に手を当てたクモは空中で仁王立ちになり、ダテを尻目に口上を始めた。
「こちらにおわす、私めが大将ダテリョウイチの隠す力をお見抜きになるとは、なかなかの目をお持ちのようです! さすれば私がその眼力に敬意を評し、大将の素晴らしきお力と活躍の数々を、今ここに盛大に語りつごうでは――」
「やめんかっ!!」
すぱこん! ぺちっ! 金色は卓に落ちた。
上方からの激しい平手打ち。
「ぷぎゃあぁぁ…… いたいぃいぃ……」
「痛覚ねぇだろ、てめぇ」
「あっ、そうでした! まぁ気分的なもので」
ぱたぱたと、再び飛翔する。
「ダ、ダテ坊…… それは……」
「あ、ああ…… すいません…… これは……」
ダテは金色と目を合わせる。
「蛾です、今片付けます」
「えぇーー!?」
「が、蛾には見えませんけど……」
がーんと飛び上がるクモをニフェルシアが困った顔でフォローした。
「えっと…… じゃあクモです」
「蜘蛛……?」
「あってますけど大将がそれイメージして言ったら昆虫になっちゃうでしょうが!」
「アホ、蜘蛛は昆虫じゃねぇよ」
「うぐぐぐ…… 大将のくせに……」
真剣な雰囲気をぶっ壊して始まった唐突なコントに、驚いていたスリリサがようやく口を挟んできた。
「ダテ坊、その子は……?」
「あー、まぁ…… なんだ…… こいつはクモって名前の…… 意思を持った魔力の塊みたいなもんですか」
「いやいや、私は……」
「とりあえず、それでいいだろ? 今はお前のことはいいんだ、話の腰を折らないでくれ」
「ん…… まぁ、納得っス……」
「不思議な生き物じゃな、さすがに初めてみたわい」
「妖精さんみたい……」
ほうっと、クモを見ていたニフェルシアだったが、そこでふと、気づいた。
「あっ、ひょっとしてこの間、誰かとお話してた様子だったのって……」
「あ、ああ…… こいつ、結構でしゃばりなところがあって、出るなって言ってるんだけど勝手に……」
「出れるところなら出たいじゃないっスか~ 固いこといいっこ無しっスよ~」
ズズズ~っと、いつの間にやら全身で湯のみを抱いてお茶を飲んでいた。
「あっ、てめぇ、勝手に人の茶を……!」
「っというわけでこっからは大将もろともによろしくっス、シアちゃん!」
飼い主の意見は無視だ。クモは片手を挙げ、元気よくニフェルシアに挨拶した。
「えっ? あ…… はい! こちらこそ、えっと……」
「クモでいいっス、蜘蛛だと思わなければ!」
「は、はい? じゃあ…… クモちゃん」
「おばあちゃんもよろしくっス! こ~んな妖精連れた変態大将ともどもよろしく――」
すぱこん! ぺちゃ!




