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玄人仕事  作者: 千場 葉
#10 『プロフ・ワークス』
370/375

50.玄人仕事


 甲高い電子音が響き渡る。

 それは短音の連続で、チープさに下品さを兼ね備えた、ただ耳障りな音だった。

 

「ん……? あ……」


 旧寸法の畳の上、(じか)に敷かれた布団。くるまっていた男が(うめ)くような声をあげながら、もぞもぞと動き出した。


「……うっせぇ」


 泣き声をあげ続けるそいつへと腕を伸ばす。

 音を止められた(なか)ばオモチャっぽいボディの携帯(そいつ)は、液晶に17:01の文字を主張していた。


「ふぁ~…… もうこんな時間か」


 黒い髪を寝癖でぼさぼさに、男は身を起こす。

 安普請(やすぶしん)な六畳間。ブラウン管に反射する(だいだい)を帯びた光が、携帯に続いて時刻を示していた。


「……陽が落ちるのも、ちょっとは早くなってきたか」


 あくびをもう一つ。男は布団をはね除けてのっそりと立ち上がると、引き戸を開けて部屋を出ていった。

 引き出しを開ける音。コンロを(ひね)る音。やがて六畳間へと、香ばしい匂いが流れ始める――


「んぅ……?」


 鼻腔をくすぐる匂いに、こたつの上、ノートパソコンのマウスパッドに寝転がっていた()()が目を覚ました。半目で上半身を起こした()()は、金の髪を寝癖でぼさぼさに、トンボのような羽をまばたきするみたいにパタパタと動かした。

 眠そうに目を(こす)りながら、その小さな頭が引き戸の先へと向く。


「……たいっしょ~、私もコーヒーいっちょ~」


 引き戸の先―― 玄関と繋がったキッチンから「あぁ?」という悪態(あくたい)染みた声が返ることしばらく。中途半端に開いていた引き戸がガラリと足で押し開けられ、男が戻ってきた。

 右手にはマグカップが握られ、左手には人形遊びに使うようなティーカップが指先で器用につままれている。


「ったく、宿主(やどぬし)使う剣ってどうなんだよ。こぼすなよ、めんどくせぇから」

「ふむ…… ここ最近の大将は実入(みい)りが良かったせいか、機嫌がいいっスな」


 男と人形のような少女が、無言でコーヒーをすすり始める。

 軽量鉄骨二階建ての一階。アパートの前に原付の音が近づき、通り過ぎていった。




 異世界を渡り歩く運命を背負った少年、伊達良一。

 そんな少年に結いつけられた神の武器、叢雲(ムラクモ)


 あの日誓い、『仕事』を始めたその日から―― 十二年の時が経っていた。




「静かっスねぇ……」

「今さっきバイク通ったぞ」

「そっちじゃないっスよ。『世界』さんっスよ、『世界』さん」


 叢雲―― クモの姿は少しも変わらない。出会ったあの日のままに、金色の妖精の少女だ。


「ああ、しばらく大人しいおかげで生活費も…… ってやめろよ、言ってたら来そうじゃねぇか」


 良一は変わった。身長はかつて追いかけた女神の背中を追い越し、顔つきは歳相応の青年になった。


「だいじょうぶっスよだいじょうぶ~。『世界』さんも夏休みなんですってきっと~」

「もうそろそろ秋なんだけどな……」


 (たくま)しく、男らしさを見せる手が空になったマグカップをこたつに置く。膝に手をかけ億劫(おっくう)そうに立ち上がった良一は、まだ中途に体温の残る布団を畳み始めた。


「あら? もうそろそろお時間っスか?」

「ああ、八時からだからな。明日はまぁ…… 適当に買い物して、十時頃には帰ってくる」

「真夜中の労働ご苦労っスなぁ~…… 空飛んで行けばもっとゆっくりできるんじゃないっスか?」 

「しゃあねぇだろ、衛星だのなんだのの目があるって恭次(きょうじ)がうるせぇんだから。かと言ってここから工場の方まで電車だのバスだの使うと、交通費がシャレにならねえしな」


 畳まれ、部屋の隅に押しのけられる布団。少し広くなった六畳間の上、良一は地べたに置きっぱなしだった外出着へと手を伸ばす。


「まったく、異世界でもそうだが…… 科学が発達すると監視の目がうっとうし過ぎる。毎日毎日通勤の度にマラソンしてるふりってのも、まどろっこしくてかなわん」


 ぶっきらぼうに独り言のように流れていく良一の愚痴(ぐち)に、クモは表情を緩ませていた。


「連続で働かせてもらえて、よかったじゃないっスか。いつも一日だけみたいな飛び込みで、迷惑かけちゃってたんっしょ?」

「……まぁな」


 生活費のための労働。普通の労働。あの日諦めたはずの、普通の人間のような日常の時間。

 決して多くない賃金で、かじりつくようにして奇跡的に保てている日雇いの労働でも、それに向かう時の良一はいつも嬉しそうだった。


「さてと……」


 時刻は十七時半少し過ぎ。身支度を済ませた良一は、狭い部屋を見回す。


「それじゃクモ、()は行ってくるが、火は使うなよ?」

「あいあい、何度目っスか…… わかってますって」

「もし俺が明日帰って来なかったら…… そういうことだ」

「それもわかってるっスよ。あっち行って、お困りになったら引き寄せてくださいな」


 そして良一は、畳の上に投げ出されていた―― 黒いジャンパーを羽織(はお)る。


「行ってらっしゃいませ! 大将!」


 片手を挙げて答えた良一は、玄関の扉を出て行った――






 ――あれから十二年。少年の住む世界では、十五年の月日が経った。

 学業は中断され、弟以外の家族とは疎遠(そえん)になり、その弟も一つ年上になった。

 あの日に目安とした十年。それが過ぎた今も、二つの目標はそのままに残っている。


 いつ果てることもない、いつ果てるとも知れない、『仕事』の日々――

 

 辞めることは許されず、褒美(ほうび)はなく、与えられるのは自身の世界との乖離(かいり)と、ただ積み重なっていく己の年齢のみ。

 彼の歩む現実(せかい)は、一途なまでに過酷だった。


 しかし、それでも――



 生まれ持った才能と孤独に振り回される少年たちを、喧嘩友達にしてやれた。


 悲劇に見舞われかけた小さな子供を救い、強さを教えてやることができた。


 雪に覆われた村に、次の時代へのきっかけを与えることができた。


 明日を失った学生と心を閉ざした少女に、未来を見せてやることができた。


 滅びに向っていた世界に、緑を取り戻すことができた。


 二人の少女に課せられた定めを、終わりにしてやることができた。


 歳の離れた友人に、誰かを失うことを教えてやれた。


 閉じられた世界を、前に進めてやることができた――

 

 

 全ては、出会い過ぎ去っていく物語のように、とりとめもなく朧気(おぼろげ)

 止めどなく(あふ)れ出てくる鮮烈な『仕事』の波に、誰一人へと語らぬまま失われてしまった記憶もある。


 うまくいくことばかりではなかった、『禁則』に頼り、見捨ててしまった世界もある。 

 泣く泣くと、誰かの願いよりも、『世界』の願いを優先せざるを得なかった世界もあった。



 ――だがその全てが、今の伊達良一を作っていた。

 例え忘れてしまっても、無念を残そうとも。歩んできた道の全てが、今の伊達良一を作っていた。



 数多(あまた)の世界に対して、ただ一人―― ただ一人であるかどうかも、定かではない。

 しかしこの道を歩み、『世界』の願いを聞き、誰かの背中を押してやれる。

 その道の、その『仕事』の『玄人(プロ)』。


 歩んできた道が、出会ってきた人々が、伊達良一という『玄人(プロ)』を作ってくれていた。



 その道に後悔はある。苦悶もある。冷めない苦悩も、恐怖も、虚しさも。それらが失われることはない。

 だが例えそうであったとしても―― 歩み続ける気概が尽きることはない。  


 それが『伊達良一』であると、自覚があるのだから。


 この道こそが自らの歩む道であり、『伊達良一』であること、自身を表すそのものだと自覚があるのだから。

 『玄人(プロ)』としての今の自分こそが、顔も忘れた人々から受け取っていた、かけがえのない贈りものなのだから。



 

 この『仕事』を、この道を歩むきっかけをくれた人を、忘れることはない。


 そして――



 ――『あなたの行く先に、あなたにとって良き道が選ばれますように――』



 導いてくれた彼女を、()も導き続けてくれているのだろう彼女を、忘れることはできない。


 彼女にもう一度。

 理解できないままに別れてしまい、そのままになってしまっている彼女に、もう一度巡り会う。


 それは『仕事』ではなく、伊達良一としての願い。


 会ってどうしたかったのか、何を言いたかったのか―― それはもう遠く、同じ気持ちを思い起こすことはできない。きっと過去と今がそうであるように、この先出会う時が来るとすれば、また別の想いを抱いているのだろう。


 しかしたった一つ、変わらないこと。変わりようのない、伝えなければならない言葉がある。


 ひどく簡単で、シンプルで、それでもきっと、口にすれば世界の全てに色が灯るような、そんな笑顔を見せてくれるだろう―― 彼女だけに伝えられずにいる、たった一言。


 その言葉は―― 






 

 アパートの前、町並の向こうから、青をはね除けるオレンジの光が射す。

 手をかざし、目元をしかめた良一は――


「……行くか」


 その温かな光の輪に、口元を緩めて歩き出した。






 世界、異世界。


 道はどこまでも、左右すらもわからず、続いていく。


 いまだ終わりは見えず、始まりの場所も、もう遠い。



 しかしそれでも、かつての少年は歩き続ける。


 扉を開けて、手慣れた玄人仕事でカタをつけて、


 また、扉を開けて戻ってくるのだ。

 



 新たな扉を、開くためにと――




 お疲れさまでした。

 『#10』並びに『玄人仕事』はこれにて完結となります。


 残り数回は『あとがき』をお送りします。

 一足お先ではありますが、ここでお帰りの方にご挨拶を――


 長きに亘り、ご愛読ありがとうございました。


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