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玄人仕事  作者: 千場 葉
#10 『プロフ・ワークス』
368/375

48.『仕事』


 白み始めた空。黒い詰め襟の制服姿の少年が宙に浮かんでいた。

 その胸元には少年の背丈にアンバランスな、白いローブ姿の女神が横抱きになっている。

 二人は口元にわずかな笑みを、穏やかな笑みを浮かべ、明るくなっていく雲海の向こうを眺めていた。


「嬉しいな…… こんな風にリョウちゃんに抱っこされる日がくるなんて」

「……今すぐやめるか? まぁ、最後くらいはいいけどよ」


 光に(さら)される桃色の髪。白く柔らかく、暖かみのある肌。その容姿は目を見張るほどに美しくもあるが、良一にとっては、我が家に戻ってきた時のような安心感を生むものだった。


「ごめんねリョウちゃん…… 痛かったでしょう?」

「……覚えてるのか?」

「ええ…… 全部」


 そう言って制服の胸元をきゅっと掴む手に、良一は何も言えなかった。



 叢雲の一撃は、時の壁を砕こうと躍起(やっき)になるステラを正面から捉え、彼女を消滅させた。

 跡形も無く消えた彼女に不安を抱いたのも束の間。彼女は()の姿で中空に現れると、静かにその身を草地へと横たえた。

 ステラの身に神気の宿りを感じ、無事を察した良一。彼は彼女を抱き上げると空へと―― 彼女が行くべき扉がある場所へと飛んだ。

 姿は戻っても中身まではわからない。しかし良一は鍛冶の神を信じた。そして何よりも、目を覚ましたステラがもう迷わなくていいように、近い場所へと運んであげたいと思った。

 ステラが目覚め、一声とともに良一が安堵(あんど)するまで―― それほどの時はかからなかった。



「ここでいいわ、リョウちゃん」


 良一にとってはたしかではないその方向。わからないながらも島から離れようとしていたところに、ステラの声がかかった。

 ステラは笑みを送ると良一の腕を降り、彼の顔を見つめたまま、彼のもとを離れる。


「……リョウちゃん、私、行くね」

「いいのか……?」

「うん…… リョウちゃんが私のためにいっぱい頑張ってるところを見たし、最後の最後、リョウちゃんの想いもちゃんと聞こえたから…… 私も、立ち向かうね」

「……そうか」


 今のステラは冷静で、おかしなところはどこにもなかった。

 それが彼女が言うように良一の想いが通じたからなのか、単に力を大きく失ったからなのか。それを見抜くような力は、良一には無い。

 

「決めたんなら、ちゃんと守れよな。おれだって、頑張ったんだからな……」


 でも良一は、今のステラなら大丈夫だと、そう思えた。


「ねぇ、リョウちゃん?」

「うん……?」

「教えてくれる? リョウちゃんは…… 選択、できたの?」


 AかBか。異世界に関わり続けるのか、無視を決め込むのか。戦う前にも聞かれた良一の未来への回答。

 今答えを待つステラには、あの時のようなごまかしは感じない。感じるのは、先を示したものとしての純粋な思いやりの気持ち。だから良一は、先延ばしにしてきたその答えを、真正面から伝える。


「……選択なんてできちゃいない。答えを見つけられていないっていうのは、本当のことだ」

「そうなの……?」

「ああ、だって最初から、選択なんてどこにも用意されていないだろ?」

「え……?」


 その驚きの声は、良一にしても初めて聞くような声色だった。言葉にしなければ伝わらない真意、そんなものが彼女にもあるのだと、()()()()()に良一はつい嬉しくなる。


「だってそうじゃないか。本当の答えはどっちも嫌で「選びたくない」なのに、それでも選びなさいなんていうのは無理()いっていうんだ。それで「あなたが選んだんでしょう?」なんて言われちゃかなわない。そんなものは選択じゃない」


 困惑するステラに、良一はいたずらな顔で微笑みかける。


「だからあえて答えるなら、おれは「選ばない」。おれはおれの思う道を行く、それだけだ」

「思う道……?」


 良一は顔を上げ、空を仰ぐ。ここにはいない誰かを見るように笑みを浮かべ、そしてその目を、自らの両のてのひらに降ろした。


「十年…… 続けてみるのさ」

「十年……?」


 いつか別れた、もう記憶も不確かなあの硬い指先の感触を思い起こし、両手を降ろす。


「答えなんて、この先のことなんて、おれにはわからない。でも先がどうであれ、この道は…… こうやって『世界』のわがままを聞いたり、そこにいる誰かの力になったりなんて道は、他の誰でもなく、おれだけの道なんだ。この道があったからこそ、おれは()()の力になれたし、こうしてステラの力にもなれた」


 目の前にいるステラ。元の姿を見せてくれるステラへと、目を細める。


「それはおれじゃなきゃできなかったことで…… 今おれは、この道がおれにあったことを、本当によかったと思っている」


 辛くはあった。道を戻れと言われれば、素直にうなずけることではない。でもそれは、良一の本心だった。


「きっとこの先も、同じような道が続いているんだと思う。もっと辛かったり、苦しかったり…… それでも救いたい人を、救える道が。だからおれは……」


 拳を、軽く握る。口にすることで、誓う。自分自身に誓いを立てる―― そんな覚悟で、良一は言う。


「おれはこの道を、おれの『仕事』にする」

「『仕事』……?」

「雇い主は『世界』で、おれはただの使いっ走りだ。でもおれはおれの意志で、その世界にいるやつらを、前に進めるようにぐっと押してやるんだ。『世界』の言うことなんて全部は聞いてやらない。おれはおれ自身に仕えて、やりたいと思った、やらなきゃならないと思った事をやってやる。この初『仕事』みたいにな」

「あ……」


 ステラは驚いた顔をして―― 穏やかな笑顔を見せた。


「そっか…… 私はリョウちゃんの…… お客さん第一号なんだね」

「そう…… かな? いや、きっとそうだ」


 二人空に笑い合う。


「でも…… それでいいの? リョウちゃん。リョウちゃんがやろうとしていることは、形は違っても私が言った『異世界に関わり続ける道』とほとんど変わらない過酷が待っているのよ? あなたがいくら強くなっても、『世界』はそれだけ――」

「厳しい『仕事』も持ってくるようになるって話だろ? 願ったりだ」

「……? 願ったり?」


 良一は後ろを振り返り、山頂を見下ろした。そこには並んでこちらを見守っている、妖精と巨人の姿があった。


「……普通じゃなくなったものを、普通に戻すことはできない。でも、普通を目指すことはできる」

「……?」

「今のおれじゃ、口ではどう言っても結局のところは『病気』に縛られてるままだ。でもそうやって、どんどん厳しい『仕事』に立ち向かって、それをこなして行けばさ…… いつかおれの『病気』なんて簡単に解決しちまえる、そんな(すべ)がある世界にも辿り着けるかもしれないだろ?」

「それは……」


 無理とは言えない、でも希望的観測。少なからず『世界』を知るステラにはそう思えた。それでも――


「そうね、可能性は…… きっとある」


 良一の考えを否定する気にはなれなかった。この世界で間近で見てきた、伊達良一という少年の在り方が―― 深い闇に打ち据えられていても、這い上がってみせたその強さが、そうさせた。


「まずはそれを目標に、立ち向かい続けてやるさ。もし『病気』をどうにかする手段が見つかったら……」

「見つかったら?」

「……その時はその時だ、またその時のおれが決めればいい。ちゃんと今から十年経ってたら、好きに決めりゃいいさ。未来まで全部決めちまうなんて、つまらなさそうだしな」

「十年って…… なんなの?」

「……さぁな」




 見えない陽は雲海を離れ、世界は(まばゆ)いまでの朝に包まれる。

 ステラは良一を背にして大きく手を広げると、神域と地上、世界の裏と表を繋ぐ境目(さかいめ)を空に描き出した。

 丸く、白い光を放ちながら開いた次元の切れ目。良一を振り返ったステラは、最後に問う――




「ねぇ、リョウちゃん。「異次元」も「あの世」も、「並行世界」も、「何光年と先の星」も、「過去」も「未来」も…… どのような世界もが異世界。辿り着ける確率はゼロに等しく、偶然は期待できない」


 その表情は、あの穏やかな微笑。しかしその問いは、良一の眼差(まなざ)しを真剣なものにした。


「それでもリョウちゃんは…… 歩み続けるの?」


 ステラはやはり、(ステラ)だった。先ほどとは違う、ステラがステラであるという嬉しさに―― 良一は自身の中、決まり切った答えを返す。


「ああ、それだけは絶対だ」


 言わずにおいた秘めた目標。『病気』の解決などとは比べようもない、欠けた半身を願うような、その望みを口にする。


「おれはもう一度…… あの世界に行く。あの世界に行ってもう一度―― 会うんだ」


 絶望的な確率に向けての、良一の笑み。少年を一つ越えたようなその力強い笑みに、ステラは何も言わずただ一度、ゆっくりとうなずきを返した。



 ふわりと―― ステラの体が遠ざかる。


「ありがとう、リョウちゃん。あなたがしてくれたこと…… あなたがいてくれたこと…… 私の一生で、最高の宝物よ」


 白いローブをはためかせ、背に白い後光を浴びる姿は、他に例えようのないほどに『女神』だった。


「リョウちゃんの行く道、きっとあの子や私のように、あなたを待っている人がいる。あなたに救われ、あなたから宝物を受け取る人たちが、きっといる」


 その姿は、溶けるように後光に小さくなっていく。


「忘れないでリョウちゃん。宝物を贈ったその時…… あなたも何かを受け取っているの。その受け取った何かがたくさん集まって、あなたを守り、力になり…… あなたの人生に、(いろど)りを与えてくれる……」


 次元の裂け目、その光に、シルエットになっていく――



 贈られる言葉、最後に残そうとする彼女の言葉。

 出会いには、必ず最後に別れがある。異世界での出会いは泡のようで、それはすぐに昇りきり、弾けてしまう。


「……ステラ」


 最初は―― どう思っていただろうか。気づけば―― 求めるように目で追っていた。


 曇っていた頭に、降り注ぐような陽気を浴びせてくれた。ずっと求めていた、普通を与えてくれた。膝を貸してくれた。静寂を与えてくれた。

 過酷な人生に立ち向かうための知識をくれた。未来を選べることを示してくれた。ねじ曲げてしまっていた過去を、正すきっかけを与えてくれた。

 ずっとずっと彼女は、与えてくれていた――


「……ステラ!」


 叫びとともに、頬に熱いものが伝う。

 その熱い(しずく)が落ちる感覚が、良一を驚かせ、震わせ――


「おれはもう…… 大丈夫……っ! ずっと…… ありがとう……」


 湧き上がる言葉をみんな消して、それだけを口にさせた。 


 

 ステラが、消える。


 全身全てを光の中に隠し、光の裂け目が閉じ―― あとには青い空だけが広がった。



「じゃあ…… な……」


 光に溶けた彼女が、最後に微笑んだような気がした。

 頬に伝う雫は、まだ続いている。突然こぼれ落ち始めたそれは、良一にとって初めての感覚を(ともな)っていた。声が出ないほどに胸が満たされていて、叫びたいほどに体がうずく。

 その感情の高まりは、別れの寂しさにも、失う哀しみにもない。誰かがくれた温かさにも、(なぐさ)めの優しさにもない。


 やり遂げた――

 良一は、自らのやるべきことをやり遂げた、その初めての感覚に打ち震えていた。


 ステラがくれたもの、その全てを返すことは考えられなかった。でも例えたった一つでも、返したいと思った恩を返すことができた。

 初めて自らに課した、(にな)いきれないまでの『仕事』―― その達成を、ステラの最後の姿が教えてくれていた。

 

 長く長く、始まりの悲劇より、良一の中にあった無力感。

 今それは、雫とともに頬を伝い、異世界の空に落ちていった――



「た~いしょう!」

「……?」


 目を(ぬぐ)い、良一は突然聞こえた声に振り返る。 


「……クモ」

「ステラ様…… 行っちゃいましたね。すっかり元に戻られてよかったっス」


 山頂で鍛冶の神と共にいたはずのそいつは、いつの間にか良一のすぐ後ろにいた。


「……お前、よかったのか? ステラと話さなくて……」

「いいんスよ。そりゃあ…… なごり惜しくはありますが。私も私で、お別れしなきゃいけない神様がいますから」


 そう言ってクモが見下ろす眼下には、鍛冶の神の姿がある。

 少女のようでしかない顔に、大人びた憂いを乗せて手を振るクモ。その造り主であり、父親とも言える神は答えるように手を振り、良一と目線を合わせ―― 彼らに背中を向けて歩きだした。


「……ありがとうな」


 聞こえるはずもない言葉を、そっと呟く。無骨にして(いか)めしく、過ぎるほどに優しい巨人は、山頂に小さくなって、去っていった。



 ――光の柱が昇る。



「……!」

「えっ!? 私、ここにいるっスよ!?」


 山頂の一画、唐突に昇った光の柱。宣誓時とは逆向きに、地上から高く昇ったそれは背丈を縮めていき、遠目には輝きにしか見えない大きさになる。

 輝きは長方形を描き、その大きさは――


「ドア…… か?」

「あっ、あれってひょっとして……!」


 クモのひらめきが伝染するように、良一が勘付く。


「扉か!? おれが元の世界に帰るための……!」

「間違いないっスよ! 『世界』さんが来てほしい、帰ってほしいっていうの、扉として見えるってステラ様がおっしゃってました!」


 現れた『異世界への扉』。初めて見るそれに、良一は目を凝らす。


「……そうか、これで…… よかったんだ……」

「はい?」

「『世界』のやってほしいことが、終わったんだ。ステラが…… ここを出たことで」

「え……? あ…… あ~!」


 少し呆けたように薄く笑う良一の言葉に、クモが大きく手を打った。

 何を求めているのか全くわからない『世界』。しかしその解釈は間違いとは思えなかった。

 『世界』のシステムだというステラ。ならば彼女を神域から外に出せたことは、予想もつかない内容ではあれ、この世界にとって影響の大きいことなのだろう。奇しくも『世界』と想いを共にしていたことに、良一は半端な笑いを止められない。


「ははっ…… これなら、『世界』の馬鹿野郎ともやっていけるかもな」

「ん? なにをっスか?」

「……えっと、まぁ~、これからのことっていうか――」

「ああ、『仕事』っスか?」

「はっ!?」


 止められなかった笑いが止まった。


「だから『仕事』っしょ? 『世界』さんのわがままにつきあってあげるっていう……」

「お前聞いてやがったのか!?」

「ええ、途中からですが、暇だったもんで……」


 良一は変な汗が浮き出た気分で、頭を巡らせる。一生笑われるようなことは言わなかったか、何かこっ恥ずかしいことは言わなかったか―― 結果として額に手をあてて、前髪を掻きまくった。


「ああもうっ! 帰るぞクモ!」

「……お、帰るっスか?」

「開けなくても帰れるってのはステラから聞いたが、あれがほんとにそうか確かめる。……この世界にも、長居しちまったしな」

「……そっスね」


 眼下に見下ろす世界。この世界を、良一とクモは眺める。その目線は、同じところへと送られていた。

 ステラと一緒に暮らしたあの家。草原にぽつりと建っていた、もう住む者のいないあの家は―― この場所からは見えなかった。

 しばしの感傷の後、それを切るように、クモが良一の肩に乗った。


「……じゃ、行きましょっか、()()

「そうだな…… 一応お前のことは恭次(きょうじ)にも―― って、なに?」


 「坊ちゃん」ではない、耳慣れない呼ばれ方に良一は面食らう。さっきいきなり呼ばれた時は驚きのためにわからなかったが、今ははっきりと聞こえた。


「だから大将っスよ。坊ちゃんはこれからもう、お仕事なさるんでしょう? 私のもってる坊ちゃんの世界の常識じゃ、仕事ってのは一人前の大人がやるもんだってなってるっス。じゃあもう、坊ちゃん呼びはできないっスよね?」

「……そういうもんか?」

「ええ、そういうもんっス。付き従う私からすれば、坊ちゃんは大将っしょ? カッコよくていい響きじゃないっスか?」

「……大工にでもなった気分しかしないが、坊ちゃんよりはマシか」



 自分の世界での常識の「仕事」、そんなものが考えられないことはもうわかっている。いつ姿を消すかもわからない、そんな人間を雇う者はきっといないだろう。

 将来はおろか、わずか先の未来さえも、普通ではいられない。

 それでも良一は――


 ――『ねぇ、良一』


 その小さな頃の思い出を胸に。


 ――『あのピアノは十年ここにあった。十年間、ずっと一つのこと、音を出すという仕事を続けてきた』


 父の腕で見送った、その古い友達(ピアノ)の最後の姿を胸に。


 ――『十年続けたら…… どうなるの?』


 自分にだけできること。自分にしかできない、やりたいと思えること。




 ――『どんなことでも十年続ければ、人は玄人(プロ)になるんだ』



 

 自分だけの『仕事』を、その遙か高みの頂きを目指し―― 登り続けることを誓った。



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