42.『心』
「……? 隔…… 離……?」
声というよりも、音声。ステラから放たれたスピーカーを通したような抑揚の無い声に、良一は棒立ちになる。
「ステラ…… 一体何を――」
瞬間、ステラは六本の腕を大きく掲げ、緑色の電光とともに地面へと振り下ろした。
「……! くっ……!?」
咄嗟に防御の姿勢を取る良一。しかし地面へと放たれた緑光は、ステラを中心に凄まじい速さで円形に拡がり、良一の体を通過し、周囲数キロを包んでいく。
「なっ……!?」
あっという間に、瞬き一つを行うまでと変わらぬ間に、見渡す限りの空には、ガラスのような反射を返す緑のオーロラが現れていた。それがどういう性質のものであるか、理解に答えは必要なかった。
「これは…… 結界……!? まさか……!」
結界に取り込まれた―― 脱出不可能な領域に、閉じ込められた。
すなわち今、良一はステラの手によって、明確な『隔離』を受けた。
――まさか……
ならば、次に行われるは――
「っ……!?」
良一へと、後光を滾らせた六本腕の甲胄が迫る――
「器を揺らす? こぼれる……? どういう意味だ?」
鍛冶の神の言った言葉の不可解さに、良一は顔をしかめる。それは何かの例えにしろ、極めて不吉さを感じさせる物言いだった。
「我ら神族の…… 唯一つといってもいいだろう、汝ら人間に劣る器官の問題だ」
「……?」
「我らには、『心』が無い。複雑な情動を管理する器官を持たんのだ」
平然と、さも当然なことのように口にされた内容。その意味を理解するに数秒の間が必要だった。しかし理解を追いつかせても、納得には及ばない。
「いや待て、心が無いって…… ステラ―― いや、あんたにもか? とてもそうは……」
自らを「神」であり、「システム」とも言ったステラ。たしかに彼女は人間とは違った。何を言わずして良一の背景とも言えるものを読み取り、求めるものを、欲しい言葉を与えてくれる。それは人間には不可能で、人間離れした在り方だった。
だが同時に良一にとって彼女は「ステラ」であり、「神」とは知っていて、それでいてなお誰より情け深く思える、大切な人だった。
そんな彼女をして「心が無い」と言う。ならば、そもそも「心」とは何なのか、何を指すのか―― 当たり前の言葉を、良一はどこか異世界の言葉のように感じた。
混乱する良一をそのままに、会話は続けられる。
「……『心』の器官が無い、それは本当のことだ。我も、ステラも、そして叢雲も、その本質は意思を持った神固有の力、『神気』の塊に過ぎん。特定の役割を担うことを目的とする「そうあるもの」である我らにとって、『心』は不要なものであるからな」
「そうあるもの」―― その言葉には聞き覚えがあった。
ひどく冷たい印象と、いくらかの憤りを感じたことをまだ憶えている。
「でもそう言っているあんた自身、普通に受け答えしてるじゃないか…… おれの話を聞いて不憫だとか、この世界を見て美しいだとか虚しいだとか…… あんたがただプログラムみたいなもので返してるってだけには思えない」
「ぷろぐ……? なんだ?」
「……こう来たらこう返す、自動で発動する魔法みたいなやつだ」
「ほう……」
顔をわずかに傾げ、黙り込む鍛冶の神。視線を外し、しばし考えるような仕草を見せたあと、鍛冶の神は口を開いた。
「……心が無い、というのは我ら神族間での常識だ。だが実際は、完全に無いわけではないのかもしれん」
「……? どういう意味だ?」
「たしかに無い、我々の中では無いとされている。しかし、それを誤りとする見方も、あるにはあるのだ」
「見方?」
「そう、見方だ。ただの噂程度の話には、聞き及ぶこともある…… ひどく未熟ながらも、それは我らの中にもあるのではないかと」
その口ぶりはどこか、口にすることを迷っているようだった。何か触れてはならないものに触れようという、恐れにも似た感覚。それを察した良一は、一押し加えてみることにした。
「どういう噂だ? 神様が心を持った…… そんな昔話でもあるのか?」
鍛冶の神は良一と目を合わせると、視線を逸らし、「そうだ」と小さく言う。
「……前に話した例の『遊び』、人間への指導に関して、そういった風聞があった。人に深く関わり、人を理解することにのめり込み過ぎた神は…… 『心』を得ると」
「……!」
「一部、神の見解ではこうだ。人間は、我々が開発した精巧な『心』の器官を受け入れることに成功した。だが、我々神は、その器官を受け入れることが叶わなかった…… それは我々の中、すでに『心』の器官は存在していたせいだと。そして、元より息づいていたその器官は、それを巧みに扱うことができる人間との交流の中、萌芽―― 芽吹き、成長と変容を始めると」
「人との…… 交流……」
「あくまで、噂だ。遊びの中の妄言と一笑に伏された、なんら確証の無い話だ。真剣に捉える者などおらぬ」
噂、妄言。しかし良一には、それこそが、その話こそが核心に思え――
「だが我は、今その風聞を信ずる」
「……!」
「良一よ、我は人との関わりを越えたステラと共に在り、そして汝と関わり…… 自身に理解できぬ部分が多くなった。これが『心』だというのであれば、そうなのであろう」
再び目を合わせた鍛冶の神、真っ直ぐに瞳を見据えるようにそう言った神の言葉に、揺り動かされた。
「……鍛冶の神、教えてくれ。あんたらの言う『心』ってのはなんだ。今の話がステラに、どう関わる?」
『器』、『心』。見えてきた不吉への答えを、良一はその信頼に応えるように、覚悟とともに神に問う。
「『心』とは、思考に曖昧さを作り出す器官。そして――」
「ぐあっ……!」
急接近から振りかぶられた右腕の一本に、良一は殴り飛ばされる。
――『その曖昧さによって、情動を包み込み――』
受け身もままならないままに、良一の体は地面を跳ね飛んだ。
「ぐっ……! が…… ……!?」
咄嗟、戦闘本能だけで立ち上がったその眼前に、六本腕の甲胄。
その両腕が、途方も無い数の殴打を見舞う――
「ぬ、ぐっ! あああああっ……!」
三発、六発、十八発、百二十発。絶対的に避けきれない量の拳に、宙に留められるほどの乱打を受ける。
――『身を滅ぼすような激情にも耐えうる、柔軟性をもたらす器官』
良一は力を振り絞り、両腕を振り上げると――
「がぁっ!」
甲冑へと強烈な魔力を放ち、自身もろともに爆発を浴びせてその場を脱した。
「言わば『心』とは、その身がもたらす感情や思考を保つ、制御器官のようなものなのだ。この器官はあらゆる物事から受ける情動を、柔らかく受け止め、均衡を保ち、傷を復元させる―― まさに今の汝が悲嘆の中より、こうして立ち戻ってこれたようにな」
言われて良一は思わずと自らの体、今のその感覚を探っていた。
それはとても、軽く思えた。あの日以来、ずっと感じていた重さはもう無い。足には力を入れることができ、頭は自在に物事を考えることができた。
「これが…… 心……」
曖昧さ、鍛冶の神はそう言った。悲劇に身を沈め、思考は迷いを繰り返し、それでも、時にはそれをないがしろに、物事を楽しむことができる。思考にひっかかるものがあろうと、それでも幸福を感じることができる。
幸、不幸。苦、楽。どちらでも、どちらかでもない。どちらかであるはずなのに、どちらかであり続けることはない。それが『曖昧さ』であるというのなら―― 今の良一は『心』に救われていたことになる。
この世界と良一の世界が辿った歴史は違うものだろう。しかし経緯はどうあれど、良一という『人間』の中にも、たしかにその器官は息づいていた。
「良一よ、かつてステラは、ステラを想う神々によってここに送られたと言ったな」
「あ、ああ……」
「あれは、憂慮されたのだ。ステラが傷つくことを憂いた、というのも理由の一つではあるが、本質はそこではない」
鍛冶の神は右手をぐっと握り、眉間に険しさを走らせる。
「神族は…… 恐れたのだ」
「……!」
「ステラという一柱の大神が、耐えきれぬ激情に身を落とすことを」




