40.0x00000265,0x0000025B,0x000000E1,0x0000……
耳を疑った。いや、予感はしていた。
ステラから響いた声色は悪い予感を的に近づけるとともに、皮肉にも迅速さを求めた自身を賞賛するかのようでもあった。
――『これ以上時をかけてはならん、惑えば道を失うこととなる…… ステラも、そして、汝もな』
鍛冶の神の思いと、自らの思い。
それが決して杞憂ではなかったことと、表れ始めた異変に身が強ばる。
「ステラ…… おれは行けない」
「……どうして?」
「おれはここに縛られている。この島を出ることが『禁則』になっている。だから行くのは――」
「私一人なのね」
ステラに動きはない。しかし、返答が早い。
「でもどうして行って欲しいの? 私はこの神域を出てはいけないのよ? 私は――」
「それはない、ステラもわかっているはずだ。それは二百年も前の話で、当時のステラの仲間たちがステラのためにでっちあげた仕事だ。それがわかってなきゃ、おれに叢雲を会わせていないだろ」
「そう、そうね…… そうだった……」
良一は意思を強く、語気を抑える必要があった。
「でも、二百年も前よ。外に出て何をしにいくの? 私は地上のことなんてもうわからない。それに、私達神族は別に、地上に触れる必要なんてどこにも――」
「っ…… ステラにはあるんだ。見届けてやらなきゃいけないことが、確かめなきゃいけないことが…… ステラ自身のために」
「私のため……?」
明らかに―― 様子がおかしくなっている。
項垂れたままに喋る彼女の言葉はどこか正体を逸しているようで、それでいて口元の笑みは、
「私のため? それがなにか私のためになるの?」
綺麗でありながら、歪んでさえも見える。
今のステラの様子は、辛く、目を背けたくなる。
「知りたいんだろ? 知らなきゃいけないと、ほんとは思ってるんだろ? 見ず知らずのおれにしてくれたように、地上のやつらのことも、一生懸命にしてやってたんだろ? そいつらのためにも――」
「ねぇリョウちゃん」
逃げたい気持ちを隠すように捲し立ててしまった良一を、透明な声が割り込み――
「わかった、私、行ってくるね」
良一の表情を、呆然としたものに変えた。
「え……? あ、え……」
何か発そうにも、声にならない。思考が空転する良一を前に、ステラの言葉は続く。
「リョウちゃんが行ったほうがいいと言うなら、私は行く。そうして欲しいって言うなら、なんでもする。でもね…… もう当時の人々は、私の子たちがどうなったかは…… リョウちゃんも知らないんだよね?」
肺を打たれたように、息が詰まった。
「ああ…… 知らない。鍛冶の神も知らなかった。どうなってるかは、見てもらうしかない」
その無責任さは、逃れていいものではなかった。自分は確かめろと言いながら、ただ凄惨な事実を見てこいと言っているだけに過ぎないのかもしれない。
「でもそれでも、見に行かなきゃいけないんだよね……?」
髪に隠れるステラの表情は、今もわからない。しかし声は幾分落ち着いて聞こえた。
だから良一は、今ならと、自分の想いを伝えることにする。
「……この神域は、ステラが創ってしまったものだ」
良一は視線を落とし、この世界を眺める。
「真っ暗な洞窟しかなかったっていう場所に、湖が出来て、森が出来て、草原が出来て…… すごく透明で、綺麗な水色の空が出来た」
眼下には日が昇る前の薄闇に青く染まった、大自然が広がっている。
「でもこの神域は、これだけ創り変えられてさえも、そこにあるはずのものを生み出せていない……」
『大自然』という、『不自然』。
「生き物がいないんだ。虫も、鳥も、動物も…… 何一つ、動く生き物がいない」
それは自然の摂理を排除した、ジオラマのようでしかなかった。
「鍛冶の神が美しいが虚しいって言ったこの世界を、おれもずっと不自然に感じていた。でもステラの昔を知って、地上での話を聞いて…… 答えがわかった気がしたんだ。大切にした地上の人々、その人々を置いてきてしまった経験が、失うことを恐れたままにしているステラの心が…… この神域を創ってしまったんだって」
愛するものたちの命の喪失―― その恐れを抱え、生み出せた限界が『植物』。
命が短く、はっきりと亡骸として死の形が残る動物たちは、創造されることはなかった。
「おれはステラに…… 立ち向かって欲しい。どんな結末を見ることになっても、置き去りにしてしまった過去に―― 人々の行く末に、立ち向かって欲しい。今もこの場所に自分を閉じ込め続けているステラの、背中を押したいんだ」
この場所は―― 監獄。
ステラの心が自らに課していた、罪悪感の檻。
「それがステラに返せる、たったひとつのことだと思うから」
この檻を出て、前に進めるように。自分にそうしてくれたように、前へと進めるように。
それが良一の恩返しであり、願いであり―― 自身に課した、この世界での『仕事』だった。
「そう…… そうなのね…… ありがとう、リョウちゃん……」
本心を語った良一に返ってきたのは、ゆっくりとした、噛みしめるような礼の言葉。
心が、緩む。自身の行為を受け入れてくれた答えに、緩んでしまう。でもやはり、それを真っ直ぐ受けとることはできない。それは間違ったことを勧めようとしているのかもしれないという自身への疑いと、言葉とうらはらにまだ顔を上げてくれない、ステラの隠された表情にある。
とはいえ、もう後戻りはできない。行動も思いも、表にしてしまった。そしてこれ以上は、今に留まっていてはいけない。
「……扉を開こう。ここから出て行くまで、ちゃんと見てるから…… ステラが自分の手で開いて、その向こうへ……」
「うん……」
うつむいたままに、ステラがうなずく。
そしてステラは良一へと歩み寄ると、彼を越えて、山頂の端へと臨んだ。
――ああ、これで……
一面の青深い空に映える、白いローブの背中。細身の長身から流れる、繊細に輝く桃色の髪。
これで、もう終わる。もうその姿を見ることも、なくなる。
「リョウちゃん……」
良一はかぶりを振って、別れに負けてしまいそうになる目元を引き締める。
「ステラ、さぁ、扉を――」
ステラが、振り返った――
「――今日は、なにをしようか?」
「え……?」
「確かめたあと、すぐに戻ってくるね? 今日はなにをお勉強したい? なにか食べたいものはある?」
思考が―― 停止する。
「リョウちゃん? どうしたの?」
今のステラは顔を上げ、いつもの、何一つ屈託のない微笑を向けている。
「リョウちゃん、大丈夫?」
その微笑が、良一の背筋を凍りつかせ――
「ス、ステラ……! それは違う! そうはいかない! おれは――」
「……? なにが違うの? あ、お出かけがいいの? そう言えばリョウちゃんいつもと違う服――」
「……っ、そうだ! この制服だ! おれはもうこの世界から……」
そこまで言って、良一は、事態に気づいた。
一瞬にして背筋を凍らせた、その微笑の正体、違和感――
「リョウ、ちゃ…… ン……?」
キラキラと輝くステラの琥珀の瞳。その瞳が、光を失っていた。
「ステラ……!」
ふらりと、彼女の体が揺れ、崖に足を滑らす寸前で持ちこたえる。
「ステ…… ラ……?」
微笑は、消えた。表情は、無い。
持ちこたえた体勢で止まったステラ。その首が、動くというよりも、駆動するという動作で良一を向く。
「リョウ…… チャン………」
良一を捉える真っ暗な琥珀の瞳が、チリチリとプラズマのような小さな放電を帯びる――
「リョウちゃん…… リョウちゃんはどこにもいk471、5521045310、110564101060――」




