5.氷柱の王
咆哮の聞こえた位置を目指しているのだろう。ストマールは黙々と降り続く雪を掻き分け、山道を進んでいく。ダテは彼に習い、黙ってその背を追い続ける。
『大丈夫なんですか~? 勘で歩いてますよあの人~』
ダテの頭の中に、よく知っている相手から通信が来る。
めんどくさそうに、ダテは返信した。
『勘ってのは馬鹿にならんさ。確かに方向はあってるから黙ってろ』
相手はまだ言い足りないようだったが、ダテは通信を切った。
目の前のストマールが魔物と対峙したからである。
それは大きな「クマ」の化け物で、挑もうとするストマールを見たダテは少し無謀なのではないかと思った。多少まずくも思いながら魔法を展開しようとするダテだったが、驚くべきことにそれは杞憂だった。
ストマールは、手斧ではなく腰に差していた剣にて「クマ」を倒したのである。
鋭く、重く、魔物化した重厚な「クマ」の首元を切り裂き、一撃のもとに。
「ストマールさん!」
予想外の事態にダテは思わず走りよっていた。
「おう、どうした?」
ストマールはなんでもないことのように答えた。
「いや、なんですか今の…… 剣を握ってるところなんて初めて……」
「なに、昔色々あっただけだ。心構えさえ出来ればあの程度なら相手にならんさ」
先ほどの戦闘の後とは明らかに態度が違っていた。もとより、体格をしてただの狩人達とは違うとは思っていたが、ストマールはやはり只者ではなかったらしい。
ダテは驚き半分、安堵半分と、彼を意識的に守らずとも大丈夫そうな状況に内心で喜んだ。
――人は誰しもいつかは主人公であり、只の人などいない。
人を軽んじるなという、いつしか学んだ教訓はやはり馬鹿に出来ないものだった。
「まぁ、安心しな。俺だって戦うことくらいは出来るってことだ。お前と同じくな」
そう言って、ストマールは剣をしまって歩き出す。
聞かないこと、聞かれないこと。過去がある者同士には、そこに奇妙な連帯感と信頼が生まれる。
ダテは少し頬を緩めると、やりかけで集めたままになっていた魔法の力を手放した。
~~
天候はいよいよ悪くなり、雪は渦を巻いて視界を遮る。
ダテが言葉を挟むまでもなく、ストマールも帰還を考え始めていた。
ストマールは短く、背後にいるダテにこれからの指針を示した。
「後一箇所だけ、この狩場の最奥部、行き止まりになっているそこだけを見る。その場所には洞窟が在る。そこで暖をとりながら吹雪が止むのを待って帰る。それで今日は終いだ」
ダテが返事するまで、妙な間があった。
ストマールが振り向こうと考える寸前、答えが返ってくる。
「……わかりました。気をつけて行きましょう」
間が空いたのは気になったが、結局彼は振り向くことなく歩みを続けた。
やがて、目指す先が狭い視界の中に見えてくる。
ダテには最早どこを歩いているのかもわからない状況だったが、ストマールにとっては庭のような場所なのかもしれない。彼は惑うことなく歩みを続け――
「待て……!」
左手で、ダテの進行を制止した。
「……!?」
ストマールの左腕とダテの間に、何かが飛来して積雪に突き立つ。
ストマールは振り返り、ダテは下を見た。
一本の矢が雪の上に突き刺さっていた。
「こいつは……」
「行きましょう! ストマールさん!」
「おい……!」
ダテが突如、先行して奥地へと走り出した。
ストマールも応対して走り出す。
奥地までの残り僅かな距離を二人は突っ切る。降り積もった雪と舞い踊る雪を跳ね飛ばし、彼らは最奥部へと躍り出た。
「く、来るんじゃねぇ!」
そこには、弓をつがえる男の姿があった。
「ヨーク!!」
「……!? ストマール!」
その男はあの不真面目なお調子者、ヨークだった。そんな彼が鬼気迫った、見たこともない真剣な表情をしている。
だが、今は彼の表情よりも、彼の矢が示す方向へと二人は目を引かれていく。
右後方、二人から僅か三メートルほどの距離に、それが立っていた。
体長約五メートル。二足歩行で立つそいつの体は「クマ」そのものだが、頭部と足先は「シカ」のようであり、角は透明な氷柱で出来ている。尻尾は「ウマ」のようであり、筋骨たくましい腕から繋がる手には「魔物」としか例えようのない紫色の巨大な爪が並んでいる。
その様相に、二人は見入った。
「走れ! 二人とも!!」
その声にダテとストマールは我を取り戻す。風切り音が鳴り、ヨークの手元から矢が放たれる。二人はヨークの援護を頼りに脱兎の如く二足歩行の怪物から距離をとろうと走り出す。
怪物は放たれる矢を片腕を盾のように構え、弾いていた。
「こいつが……! 咆哮の主か!」
走りぬき、地面を転がるようにして反転したストマールが怪物を見上げて言う。
一足先に遠間へと走りきっていたダテは、何も言うことなく真剣な目で相手を見定めていた。
「ダテさんっ……!」
ヨークのいる場所から、聞き覚えのある娘の声がした。
ダテはその声に一瞬驚いた顔をして振り返った。
「ニフェルシア……!? なんで狩り場に!?」
ヨークの背後に、守られるようにしてニフェルシアがいた。狩り場に女性がいるところなどダテは見たことがなく、今の状況や怪物との対比としてもその姿に面食らった。
「ヨーク! なんでもいい! とっととニフェルシアを洞窟の中に置いてこい!」
ストマールは叫び、ヨーク達のすぐ横にある洞窟を指した。
その怒声に一瞬びびって見せ、ヨークはすぐさま彼女を連れて洞窟へと走った。
ダテもその怒声のおかげか戸惑いから抜け、今対峙すべき相手へと向き直る。
身の丈五メートルの怪物が、冷静に自らの腕を盾に矢を弾いた場面を思い返す。
ダテは腰に差していたナイフに手をかけようとして、止めた。
「ダテ、あれはなんだ……?」
身構えていたダテに、ストマールが近寄ってきていた。
その聞き方は、ダテがなんらかの知識を持っていることを確信しているものだった。
「わかりません…… いや、なんともいえません」
その言葉に嘘はなかった。ある程度の目星はついていても正確にはわからないのだ。今はそれよりも。
「来ます!」
「……!?」
ダテは怪物の、足の筋肉が動くのを見逃さなかった。
新たに現れた敵を見定めていたがついに焦れたのか、怪物は巨体に見合わぬ速度で一直線にダテに突っ込んできた。
「ダテ!」
二足で猛然と迫り、ダテのいる地点へと目掛けて右腕の爪を振り下ろす。瞬間ダテは怪物に向けて走り、股下をくぐり、跳躍していた。
空中で体を捻り、後頭部に右足を蹴り下ろす――
「……!?」
怪物は振り返ることもなく、振り上げた左腕でダテの蹴りを弾いた。ギン、と金属同士がぶつかりあうような音が周囲に響き、ダテが弾き飛ばされる。
ダテは中空にて即座に体勢を立て直し、肩膝をついて着地した。
「……お、おい、ダテ!」
ストマールはあまりの攻防に驚嘆し、言いたいことが口先でまとまらなかったが。
「俺は大丈夫です。それより、こいつの腕には剣が折られかねません。気をつけて」
ダテは立ち上がり、右足をプラプラさせながら言った。
信じられないが、あの打ち合いで折れてはいないらしい。ストマールは胸をなでおろす思いだった。
「ストマールさん」
そんな心配をよそに、ダテは怪物に向け指を差した。
その指の先、怪物の右腹部辺りに、ストマールがダテにくれてやった「ナイフ」が突き立っていた。
ポタリポタリと、雪の上に紫の斑点が出来ている。
「大丈夫、腕以外なら刃物でいけます」
いつの間に刺したのか、あるいは投げたのか、ストマールにはわからなかった。
だが、彼の与えてくれたヒントは充分で、ストマールの気力を奮わすに十二分だった。
怪物を見据え、ストマールが剣を抜く。
「なんだ、斬れば倒せる相手なんじゃないか……!」
その様子に、ダテはニッと笑った。
「ストマール!」
自分に突き立ったナイフを見ていた怪物に、複数の矢が降り注ぐ。
怪物は肩口に一本を受け、おののいた。
「ヨーク! 来たか!」
「お待たせ~! 援護ならいけるぜ!」
「ふん、俺に当てるんじゃねぇぞ!」
洞窟の側から、陽気な男が目に活気を溢れさせ弓を構えていた。
「ヨ、ヨークさん……?」
まさか戻ってくるとはと味方の伏兵の登場に驚くダテを尻目に、ストマールが怪物に走りこんでいった。
決して速いとは言えないが、場所が雪上であることを考えればその足取りは軽い。だが、相手の怪物にとっては、人間を超越した動体視力を持つ怪物にとってはそれを捉えることはたやすい。
怪物は悠然とストマールに左爪を構える。
二本の矢が怪物の肩と腹部に刺さった――
狙いの外からの攻撃に怪物の攻撃が留まる。しかし、それでも怪物は目の前のストマールを仕留めんと攻撃を再度決行、爪はストマールの走るポイントへと振り下ろされる。
――瞬間、ストマールが加速する。
人一人を軽く吹き飛ばしてしまう怪物の力はタイミングを逸し、中途になる。ストマールはその攻撃を完全には回避せず、剣を爪に弾かせるとその勢いを利用して間合いへと踏み込み、横薙ぎに怪物の腿を切り裂いた。
紫の血を撒き散らしながら怪物が大きくバランスを崩す。ストマールは深追いはせず、そのまま走り抜き、怪物の間合いを脱する。
「うまい……!」
ダテはその連携と、ストマールの戦闘慣れした動きに思わず唸った。
射手はでたらめにではなく、敵の攻撃のリズムを崩すという明確な目的を持って狙いをつけている。剣士の方は脱力と全力を織り交ぜ、援護と重ね非常に対応し辛いフェイントを使って負担の少ない、最高効率の攻めを心がけている。
明らかに、初めて組んだという戦い方ではない。この二人がどこかの戦場で、見る者に脅威を与えるような活躍を見せていた様が想像出来るようだった。
「感心してる場合かダテ! はったりは何度もきかん、お前も手伝え!」
「は、はいはい!」
ストマールに怒鳴られたダテはおっととばかりに身構えた。
その間も、ヨークは二本の矢をつがえ、狙い続けている。
ストマールは油断なく、怪物をダテと挟撃できる位置へとにじり歩む。
ヨークの矢が合図だった。
ストマールとダテは共に怪物へと突っ込んだ。
ストマールは剣を腰溜めに薙ぎ払いを、ダテは肉体による連撃を狙う。
怪物は眼前で両腕を交差させ、うずくまった。
「あれは……! 危ない!」
ダテにはそれがはっきりと見えた。怪物の角、氷で出来たような透明なそれに「魔力」がみなぎっていく様を。
怪物は立ち上がり、頭をストマールへと向けて両腕を広げる――
「……っ!?」
ストマールの野生が絶対的な危険を察知し、彼は本能のままに横っ飛びに転がった。
――直後、ストマールのいた場所に目の眩む閃光が現れ、炸裂音がこだまする。
「ひいぃっ……!」
ヨークは驚きのあまり後ずさった。
それは稲妻、空から降るはずのものだった。
だが、明らかに、それはこの「生き物」の角から放たれていた。
「おいおい…… マジで化け物じゃねぇか……」
「ストマールさん! 今のは……!」
ダテはあえて、聞いてみた。ある可能性を考えて。
「俺が知るか……! まさか夢じゃねぇだろうな……」
ストマールはまったく、今の現象を理解出来ない様子だった。
ダテは「なるほど」と短くもらすと。
「わけがわかりませんが、戦って死なないやつじゃない! とっとと片付けましょう!」
威勢よく、拳を構えなおした。その姿にストマールがにやりと笑う。
「そうだな、あまり美味そうでもないが解体してやるとするか!」
二人は本気でびびったままのヨークを無視し、挟撃を再開した。




